伊東順子『韓国 現地からの報告』

 リモート読書会で伊東順子『韓国 現地からの報告──セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)を読んだ。

 

韓国 現地からの報告 (ちくま新書)

韓国 現地からの報告 (ちくま新書)

  • 作者:伊東 順子
  • 発売日: 2020/03/06
  • メディア: 新書
 

 

 韓国に住んでいる著者が話題ごとに書いた短い文章の集まりなので、当然様々なことを考えたのだが、一番印象に残ったのは、実は「慰安婦」問題での日韓合意と徴用工判決というド硬派な部分だった。

 

通俗に流されない、基礎にある確かなロジック

 「慰安婦」問題での日韓合意は、岸田外相(当時)の声明をきちんと載せていたということだ。改めて読んで、そこに

安倍内閣総理大臣は、日本の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒し難い傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する。

という文言があり、新しく設立する財団には日本が予算を一括して拠出することが書かれている。

 この声明自身は政府が予算を出し、総理大臣が「おわびと反省」を表明するというのは、河野談話の路線であり、決して悪いものではないことが説得的に示される結果になる。

 伊東は、街場の議論では日本の市井にいる「ふつうの」人々が、この声明をろくに読んでいないことをあげて、「心からのおわびと反省」に反する行動が日本政府側にあるのではないかという点で丁寧にその矛盾をついていく。

 つまり、伊東の議論は緻密なのである。

 こうした「現場・現地」レポートというのは、ざっくりとした感覚を紹介することに主眼が置かれるために、その基礎にある認識が粗雑になる場合がある。しかし、伊東の場合はそこに厳密さがある。それがこの本の揺るぎなさ、確かさの源泉になっているように思われた。

 徴用工問題でもそうだ。

 左翼的論調ではこれを「個人の請求権は失われていない」という問題にしていってしまう。

 しかし、伊東は、個人請求権が消滅していないという弁護士のコメントや西松建設での和解のケースなどを紹介した上で、

「法律的には解決済みでも、人としてやることは終わっていない」──というのが、私の意見だった。一企業と昔の従業員という関係の中で、謝罪や和解が行われるべきだと思ってきた。ところで今回の判決文をじっくり読んでみて、その「解決済み」が危ういものだということに気づいた。(伊東KindleNo.1268-1271)

として、判決文をよく読み直す。そして問題の核心が日韓基本条約だとして次のように述べるのだ。

「条約」には、日韓双方で根本的に合意していない部分がある。それは、「日韓併合」が「合法」か「非合法」だったかという点だ。そこを一致させないまま、あいまいな文章で条約を締結し、国交を回復したのが一九六五年のことだ。(伊東KindleNo.1273-1275)

 

 日本政府の立場は、「日韓併合」は「合法」であり、したがって請求権協定によって支払われた「無償供与の三億ドル、有償の二億ドル」は「賠償金」ではなく、「独立祝い金」(当時の椎名悦三郎外相の言葉)だとした。つまり、日本政府は賠償の義務を否定していた。なので、今回の件でも散見する「解決済み=賠償は終わっている」という意見は、逆に日本政府の立場とは相反することになる。

 今回の訴訟は「原告らは被告に対して未払賃金や補償金を請求しているのではなく、上記のような(強制動員への)慰謝料を請求している」(判決文)のである。不法な強制動員に対する慰謝料は一九六五年の請求権協定に含まれておらず、それは当時の日本政府自身が認めていたではないか、となる。(伊東KindleNo.1275-1283)

 

 「合法」前提で払われた過去のお金ではなく、植民地支配(併合)そのものが違法であったことを前提にした判決なんだよということを実に正確に見抜いている。これはすごい、と思った。

 この視点は、松竹伸幸の本を読んだ時に、ぼくもはじめて知って感動したポイントである。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 伊東が「現地」の市井の声・感情を紹介しながら、通俗感覚で済ませるのではなく、その基礎にしっかりとしたロジックを置いている。そのことが本書(『韓国 現地からの報告』)の白眉であると感じた。

 

 ぼくは、今年の夏休みにいろんな人と会う機会があったが年配の人たち、いわゆる「そのへんのおじちゃん、おばちゃん」と話した時に、なぜか日韓関係の談義となり、「韓国はなんでいつまでも謝罪や賠償を要求するのかね?」「何回謝れば向こうは気がすむんだ?」という趣旨のことを別々に・何度か聞かれた。

 ぼくが今のところ結論として出したのは、

自分たちが本当に求めている謝罪を日本がしていないと、韓国側が考えているからです。 

というものだった。これはつまり日本が韓国を植民地にしたこと、あの植民地支配が違法だったという認識があるかどうかということだ。

 いくつかの問題は結局ここに行き着くと思えた。

 なぜそう言えるのか、は別の記事で改めて書きたいと思う。

 

 リモート読書会では、「だけど伊東の本では、韓国の若い人たちや世論一般はデフォルトではそれほど歴史問題に関心がいないように書いてあるけど。例えば徴用工問題は歴史問題としては微妙な顔をしていて、ホワイト国問題として激昂したって書いてあるよね。ただし、報道されて時間が立つと歴史問題としての認識が広がった、みたいなことが書いてあるよね」と指摘された。言われてみればそう書いてある。

 確かにそうなのかもしれない。

 だから韓国の一般市民がいつでも植民地支配の合法・非合法を世論感情としてこだわっているとは限らないとは思う。しかし歴史問題として繰り返されるのはなぜか、という問いにしてみたら、やはり植民地支配(併合)の合法・非合法問題に行き当たるということになるのでは、と修正したい。

 

検察の力の大きさ

 伊東の本ではそれ以外に気になったことがいくつもあったので以下、列挙しておく。

 韓国の検察には「絶対権力」「腐敗」のイメージがつきまとっていることが驚きだった。曺国のことは「文政権の腐敗」として日本でも話題になったが、韓国では「検察改革をしようとして検察側から追い落とされた」という話として広がっている。陰謀論かもしれないが、それが信じられるほどにまで検察が大きな権力を持っている。

 そう言われて初めて次のような記事にも目がいくようになった。

www.jiji.com

 リモート読書会でも「秘密の森」という韓国の検察ドラマが紹介された。

 

 

 日本の検察の負のイメージは「独善」ではあるが「腐敗」ではない。また、政治を支配するというほどの「絶対権力」性もイメージとしてはない(もちろん冤罪によって被告の生殺与奪を支配しているというイメージはあるが)。

 韓国好きの職場の同僚からは、韓国の金持ち学校を描いたドラマで、エリートの肩書きとして「検事総長の息子」というのがある、と聞かされた。そういうものなのか。

 

韓国の民主主義は遅れているのか? 進んでいるのか?

 伊東の本で他に気になったのは、韓国の民主主義を不当に持ち上げたり、逆に遅れた国だとみなしたり、そうしたアンビバレントな日本の感覚だ。これはぼくも以前書いた。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

学生人権条例は日本でも欲しい

 また、韓国の中学生・高校生たちが学生人権条例によって、不合理な校則から自由になっていることは「日本でもこれは、やりたい!」と切に感じた。といっても、受験競争・推薦競争が相当にきつく、教育全体はおよそ窮屈そうで、とてもそこで学びたくはない、子どもを学ばせたくはない、と思ってしまったのだが。

 

 伊東の本には韓国のテレビの取材で伊東が同行した南阿蘇鉄道の話が出てくる。

 「このエピソードは面白かった。紙屋さんは九州ですから行ったことがありますか!?」とリモート読書会で聞かれたが、その箇所はなんの感興も催さなかったところであった(笑)。