石牟礼道子『苦海浄土』

 リモート読書会は石牟礼道子苦海浄土』だった。

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

 

  水俣病について書かれたということは有名な本だが、果たしてこれはノンフィクションなのか、小説なのか。石牟礼は「新しい形式の詩」だという。一読して、その意味がわかった。なるほど「詩」である。

 つれあいも言っていたのだが、本書を読む前は「水俣病について書かれたものだから、きっと有吉佐和子『複合汚染』のようなルポなのだろう」と思っていた。しかしそうではなかった。「社会問題としての水俣病がわかる」という本ではなかったのである。

 率直に言って、水俣病(の概要)について知り、環境問題について学ぼうと思うのであれば、入門としてもっと「適切」な本がたくさんある。

 ぼくは本書を読んで、水俣病そのものの中身ではなく、まず「文学」としてのインパクを受けた。

 そのことは実は、以下の記事で書いた。

 本書を読んだ後に映画「82年生まれ、キム・ジヨン」を観たが、人格が分裂してしまうほどの感情移入・共感をして語り出すというところに「文学の誕生」の一つのあり方を見たのだった。

 

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 読書会の参加者Aさんは「変な話かもしれないが、この本を読んだ時、宮沢賢治を思い出した」と言った。

 若松英輔の『苦海浄土』の解説本の中に、石牟礼が『水はみどろの宮』という童話に触れて、「この童話の世界にふれると私は、宮沢賢治を思い出します」と述べている。石牟礼は宮沢賢治作品に若い頃出会い「天啓」としている。若松は宮沢賢治の「小岩井農場」という詩を評しつつ、

悲しい出来事があって、それを耐え忍ぼうと我慢する。しかし、どんなにそれを耐えてみたところで淋しさは湧きおこってくる。悲しければ、悲しいままでよい。人は、その悲しみを灯にして、人生の道を進むことができる。悲しみは人を闇に導くのではない。それはいつか、消えることのない光になる、と賢治はいうのです。賢治と石牟礼は、二人とも近代が宿している不可避な問題の告発者であり、詩を書き、童話を書きました。二人が、硬質な言論だけでなく、むしろ、童話や詩の世界に近代の闇を打ち砕いていくヒントがあると気づいていたという事実は、注目してよいと思います。(若松英輔『NHK「100分de名著」ブックス 石牟礼道子 苦海浄土 悲しみのなかの真実』KindleNo.1044-1050)

と二人の共通性を指摘している。

 参加者Aの感慨は決して珍しいものではないのだ。

 『苦海浄土』には水俣病患者の描写がさしはさまれるが、参加者Bは「読むのがつらい」と述べたけども、ぼくや参加者Aは、石牟礼が患者の「美しさ」のようなものを描こうとしている印象が強かった。少なくともぼくは「つらい」というような感想は持ち得なかったのである。

 石牟礼は『花の億土へ』のなかで

美とは悲しみです。悲しみがないと美は生まれないと思う。意識するとしないとにかかわらず、体験するとしないとにかかわらず、背中合わせになっていると思います。

と書いている。若松は、これを解説して「大きな悲しみを背負った者の生のなかにこそ、至上の美があるというのです」としている。

 ぼくはそのように描こうとしている意図は感じたし、石牟礼に限らずそうした価値観を持った作品に出会うことは確かにある。しかし、ぼくはあまりそのことが理解できない。どちらかといえば、そのように描くことに違和感を抱くのである。

 そのような描き方はデフォルメであるし、ものごとの一面の極端なまでの拡大辞だろう。

 言葉を奪われた者の言葉を「呪術師」のように紡ぎだすのだとしたら、わかりやすい怒りや恨みが出てくるわけではない。こんなふうになるのかもしれない。

 しかし、そうした一面性こそが石牟礼の文学の魅力なのだろう。

 だけど、これでいいのかなと思う。

 若松の解説本を読むと、『苦海浄土』はすぐには理解できないかのような記述がある。

苦海浄土』を読み、何かが分かったと自分で思ったら、それを打ち消し、もっと問いを深めていくような態度でなければならない。この作品を読んで何かを知ったと思えば思うほど、私たちは大きな誤解をしてしまうのかもしれないのです。(若松前掲書KindleNo.365-367)

 何もかも深遠で、理解できないものだとされているような気がする。

 戦争の犠牲者の問題もそうなのだが、確かに当事者には当事者にしかわからないことがある。しかし、例えば一般論として、何かの被害者や犠牲者について「かわいそうだね」という小さな同情から、それこそ石牟礼が問題にしていたような「自然な連帯」は始まるはずである。そうした気軽な理解に対してあまりにも高いハードルを立てすぎていないだろうか。

 運動としての広がりと、文学としての奥深さは、およそ異なるものだということを、この作品を読むとつくづく感じる。

 

いくつかの雑感

 それとは別に、本書を読んで思ったことをいくつか雑感的に記しておく。

 一つは、参加者Aがこの本から宮沢賢治を思い出したと言ったように、なんとなく童話のような、美しい描写が随所にあり、「声に出して読みたい」という衝動に駆られるということが挙げられる。

 前にも述べたけど、ぼくは大西巨人神聖喜劇』を毎日風呂で声に出して読んでいる。その際、九州北部の方言の会話の箇所を読むのが割と好きで、『苦海浄土』でも、地元の言葉で出てくるところや、風景を描写しているあたりは、声に出して読みたくなる。

 例えば冒頭のこれ。

 年に一度か二度、台風でもやって来ぬかぎり、波立つこともない小さな入江を囲んで、湯堂部落がある。

 湯堂湾は、こそばゆいまぶたのようなさざ波の上に、小さな舟や鰯籠などを浮かべていた。子どもたちは真っ裸で、舟から舟へ飛び移ったり、海の中にどぼんと落ち込んでみたりして、遊ぶのだった。

 夏は、そんな子どもたちのあげる声が、蜜柑畑や、夾竹桃や、ぐるぐるの瘤をもった大きな櫨の木や、石垣の間をのぼって、家々にきこえてくるのである。(石牟礼同書KindleNo.34-40)

 

 

 二つ目は、宗教について。この作品全体に宗教のムードが漂っているのだが、特に江津野杢太郞の家を訪ねるシーンで、その家の神棚に祀ってある石の由来を杢太郞の祖父が語る下りだ。

あの石は、爺やんが網に、沖でかかってこらいた神さんぞ。あんまり人の姿に似とらいたで、爺やんが沖で拝んで、自分にもお前どんがためにも、護り神さんになってもらおうと思うて、この家に連れ申してきてすぐ焼酎ばあげたけん、もう魂の入っとらす。あの石も神さんち思うて拝め。(石牟礼前掲書KindleNo.2231-2234)

  参加者Aは「これは杢太郞の家が貧しいことを表しているんじゃないのか?」と言っていたが、ぼくはそこが強調点ではなく、若松英輔が解説しているように、海から拾ってきた石に神秘なものを感じてそれを拝むというのは、まさにこれは「信仰が生まれる現場」なのであろう、という気がした。

 ぼくらは何かあると拝む。祈る。新年に神社に行って何かを祈願するというのがそれだし、苦しい時にやはり何かを祈る。そういう素朴な信仰のありようの延長にあるのが、この祖父の信仰じゃないのか。宗教は複雑な教義や施設を排して、そういう次元から出発したら、むしろ現代の日本では蘇生するんじゃないかとふと思ったりした。

 

きっかけに

 さて、そのような『苦海浄土』ではあるが、この読書会では、水俣病をめぐり現在の裁判闘争が闘われていることが話題になった。参加者の中には「え、もう終わった話じゃないの?」という人もいた。

 ぼくも、本書を読みながら、国会質問をいくつも聞き直したし、裁判をめぐる記事を読んだりもした。

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 また、今は埋めたてられている現地にも行こうと思ったし、「水俣病 その20年」という記録映画も見た。水俣病についての写真家であるユージン・スミスを描いた映画も見に行こうかと感じた。

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 つまり、いろいろあっても本書を一つのきっかけにして、何かの行動をしようとは思ったのである。