横山旬『午後9時15分の演劇論』1巻

 美大の夜間部学生が集まって、1本の演劇を仕上げる話である。

 一度も舞台経験がない2年生の古謝タダオキが自分なりにカンペキと思うビジョンをもとにいきなり演出の役割を買って出るところから物語が始まる。

 根拠のない自信で出発し、空回りし、周囲から浮いていく…という話なのかなと思って読んでいくのだが、違う…違うな。

 

午後9時15分の演劇論 1 (ビームコミックス)

午後9時15分の演劇論 1 (ビームコミックス)

 

 

 そもそもメンバーは、古謝の演出指導にあからさまな不満を言わない。部分的には言うのだけど、古謝の言っていることが全くの空回りではなく、それなりに支持を得られているのだろうかと思う。

 古謝は途中から「やっつけ」の指導になってしまう。効率的に練習が進むような「前向き」な指導なのだが、こだわりが捨てられ、古謝の演出を舞台美術として支えようとしていた宮本から「チキン」と罵られてしまう。

 しかし、照明も舞台美術も役者もそれぞれなりに頑張る。頑張った結果、ゲネプロの段階でみた芝居は、古謝の目から見ても「これはこれでいいんじゃないのか」というものに仕上がっていく。台本を書いた教授からも絶賛される。

 だが、それは古謝がもともと演出として求めていたものではない。

 宮本もあれでいいのか、もともとのお前の演出と違うのではないかと意見を言うのだが、古謝自身は迷ったまま、その方向を変えられない。

 そして本番が幕を開けて、予想外のことが起きる。そこで1巻が終わる。

 

 どんな展開になっていくのか全くわからないのだけども、自分の想定・演出の完全なコントロール下に置こうとしていた演劇は、自分の思惑と違うさまざまな力や要素の合成力として出来上がっていき、さらにこれに観客を加えた舞台は、ハプニングやその場での相互作用によって新たな変数を生み出すので、もはや演出家から見て完全に制御不能の「いきもの」になっていくようだ。

 自分の描いた演出の中に劇を収めこもうとした理想の力と、集団が作り上げる芸術であり観客とのインタラクティブな作用として、当初の想定を次々に食い破っていく現実の力と、どちらが正しかったのか、2巻でその勝負がつくということだろうか。あるいはその問題設定すら超えていくのだろうか。

 久々に買った、電子でない紙のマンガということもあるかもしれないが、グラフィックの過剰さが「演劇」というものの過剰さによく合っている。

 2巻を楽しみに待つ。