(ネタバレがあります)
武田家滅亡の甲府を舞台にして、家族を惨殺された少女レイリが武田の部将に剣豪として育てられ、武田最後の嫡子・武田信勝の「影武者」となっていく物語である。
一読して、岩明均『剣の舞』を思い出した。
戦争終了後の兵士たちの略奪、農民家族の皆殺し、性暴力に晒される少女、剣豪としての成長……。しかし、1巻の原作者あとがきにも、最終巻の原作者あとがきにも、『剣の舞』への言及はない。
山本直樹は虚構によって連合赤軍事件を描こうとした『ビリーバーズ』では果たせず、実録に徹した『レッド』を描いた、というのがぼくの考えなのだが、同じように岩明は『剣の舞』で果たせなかったことがあったから『レイリ』を作ったのではないか。
岩明は本作の1巻のあとがきで
「こういう破滅型の、少々イカれた少女が描きたい」として生まれた物語、というのでもない。
私は「キャラクターが描きたい」ではなく「出来事が描きたい」という所から物語を書き始める。
と書いている。
このあとがきを「信じる」なら、『剣の舞』は新陰流の創始者・上泉信綱や疋田景忠が物語の起点だし、その契機となった「出来事」は武田に滅ぼされる側の史実である。そして、『レイリ』では土屋惣三であり、滅ぶ武田側の史実がその契機である。つまりまるで違う「出来事」なのだ。
しかし、ぼくは作者(原作者)のいうことをそのまま信じない。
似た少女を配置して、その展開と結末を変えさせたのは、やはり前作で果たせなかったことを新作で果たそうとする欲望があったに違いない。*1
『剣の舞』では主人公の少女・ハルナは性暴力を受け、家族を皆殺しにされる。結末としてハルナは復讐を遂げるが、殺されてしまう。ハルナが武力を得ようとするのは、家族への復讐のためである。ハルナは復讐相手を見つけた際に、再び性暴力の記憶によって蹂躙されかけながら、新たな愛の対象となった疋田の教えを思い出し、性暴力を加えた相手を最終的に粉砕する。復讐は遂げられ、愛は「実り」、性暴力は敗北した。
『レイリ』では、一刻も早く死にたがるというレイリは、最終的に変わっていく。
わたし 「死にたがり」は やめました
自分のまわりで人が死ぬのは、自分以外の誰かのために死んでいるのであって、自分のやろうとしていることはそれらの人々の行為を無にすることだと思い直して「死にたがり」をやめるのである。自分を大切にしたいという思いを吐露してからレイリは惣三への自分の気持ちに気づく。また、レイリは性暴力をなんども受けかけながら、いずれも回避している。恋心を抱いた惣三は戦死する(信綱や景忠は生き残る)。
『剣の舞』が暴力と復讐に全てを収斂させているのとは正反対の結論になっている。
これは原作者が単に短編に合わせた結末と長編に合わせた結末を二つ用意しただけなのだろうか。それとも、前作で果たせなかったものを新作で果たそうとしたためだろうか。
ぼくは後者のように思える。
原作者がそのように考えたとする証拠はないし、ひょっとしたら全く別のことを言っているインタビューとかがあるかもしれないのだが、作品は社会に放たれた途端にもう作者の独占物ではないのだから、ぼくとしては本作をそのように評価するわけである。
そしてなぜ後者のように思うかといえば、家族と性暴力のための復讐のために少女の人生があった、という結末は、たとえ愛が「成就」したといっても凄惨な悲劇であることに変わりがないからである。もちろん「凄惨な悲劇」である作品が優れた作品であることはよくあることなんだけど、主観的に幸福そうに死ぬハルナが客観的に見るとあまりにみじめなのだ。
だけど。
うーん、やっぱり、「みじめ」に死んだハルナの方が印象に残ってしまう。どちらの作品も抜群に「面白い」のだから甲乙をつける話じゃないんだけど。
思ったことを断片的に言ってみる
その上で、思ったことをいくつか。断片的に。
一つ目。『剣の舞』でハルナが疋田に「わたしのこと……きらい?」と聞くシーン。豊田徹也『アンダーカレント』で主人公の女性が謎の男・堀と二人で自動車に乗っているときに明後日の方角を見ながら疲れたように「堀さん あたしのこと好き?」と聞く(堀は無言)シーンをすごく思い出す。ぼくが女性にそうやって言われたいのだと思う。主体性のない男性としてのぼくは、好きな人がそうやって言ってくれるのを待っているのである。
二つ目。レイリがいったん「弱い女」になろうとした瞬間に、眦を決して男たちを殺して回るのは爽快であるが、その直後に惣三に抱きしめてもらうのは、なんだか結局「弱い女」に戻ってしまったかのようで力が抜けてしまった。抱きしめてもらわない方がよい。
三つ目。レイリが家康を後ろから刃物で脅すシーン。3回出てくるけど、『レオン』の冒頭でレオンがナイフで脅し、メッセージを告げた後に暗闇に消えていくシーンを思い出す。
四つ目。歴史のパズルの解けぶりは見事だった。信勝が撒いた種(明智光秀への偽書簡)が信長という勢力を分解させる力となったことが一つ。もう一つは、穴山梅雪が本能寺の変の後に帰路で殺されること。山岡荘八『徳川家康』を原作にした横山版のそれを読んだ時に、穴山梅雪が伊賀山中で殺されるシーンはなぜだかぼくの心に残っており、あの謎の死はこういうふうに「説明」されるのかと思った。
五つ目。室井大資の絵。スプラッタな戦闘シーン(いや、むしろ岩明のそれは体液が飛び跳ねないことが特徴だが)で岩明は背景が真っ白であることが多く、それがむしろ「静止」しているかのような独特の強調の効果を与える。室井の絵柄は簡潔なのに描き込みがしてあって、岩明のような効果をもたらしつつ、同時にリアルさを保ち続ける。ふさわしい絵柄だと思った。ただ、どうしても読んでいる最中『秋津』が思い出され、レイリや信勝を「ことこ」「いらか」みたいに思っちゃうんだよね…。
*1:ひょっとしたら原作者インタビューのようなものがどこかにあるかもしれないが、探せなかった。