藤緒あい『先生、あたし誰にも言いません』

 表紙とタイトルを見て買う。当然エロいことを期待するわけである。

 

 

 そして1巻。女子高生が青年男性教師にセックスしてほしいって腕をとって自分の胸に触らせて…って「期待」通りである。

 ところが、こうやってエロい気持ちで読み始めた2巻以降、自分が抱いたエロい気持ちがまるで公判に引きずり出されて糾弾されるかのように物語が展開されていく。

「女子高生相手とか

 ワンチャンあればって思うようなぁ」

 とは青年男性教師・清野が同級生たちと飲んだ時に、女子校に務める清野の境遇を羨ましがる同級生の一人の発言である。自分の子どもがもし女子高校生で大人に手を出されたら許せないと思うくせに、自分は「ワンチャン」あればセックスしたいと考えるのだ。

 この同級生は、本当はセックスをしたいという気持ちを抱えながら、大人が子どもとセックスすることは許されないという「正しさ」を生きているのである。

 

 

 「正しさ」に囲まれた社会に生きているけども、「正しさ」は「本当のこと」とは乖離しているので、人々はそれをどうやって埋めるのかといえば「愛」を使うしかない。「愛している」という言葉で「正しさ」と「本当のこと」の間にあるがらんどうを埋めるのである。

 「愛している」という概念の中には「本当のこと」という要素が含まれていないので、簡単に虚偽のもの、中身のない空っぽのものに転化してしまうのではないか、あるいは悪いものを覆い隠す概念に変わってしまうのではないか。

 本作は無謀にも「本当のこと」を暴露することで、「正しいこと」に覆われている日常世界が壊れてしまったとしても、その方がいいのではないか、そうやってぶち壊れても何かが残るのではないかと主張する。

 本作は虚偽に囲まれて窒息しそうになっている当事者(例えば虐待を受けていながら告発できない人)への応援歌としても読むことができるが、もっと広く「愛」批判として読むこともできる。

 愛の否定ではなく、既存の「愛」概念を批判し、止揚しようとするのだ。