川崎昌平『重版未定』


重版未定 クセになるマンガだ。
 なんども読んでしまう。
 『重版出来』がストレートな出版への情熱なのに対して、売れない中小出版の現場からの「情熱」は、冷めているように、倒錯しているように、無のように、見える。その幾重にもねじれて伝わってくるメッセージが、じわじわくるのである。

重版しない本はダメな本なのか?
重版して儲って……それがなんだ?
千人の読者が求める本と1万人の読者が求める本は
違う
1万人のために編集すると
千人を見捨てることになる。(1巻p.200-201)


 バカ売れして、そしてすぐに消えていく本というのは、いったい何であろうか。
 売れている本を読んだとき、「何でこんなものが売れて(ウケて)いるんだ」と思うことがある。「これでなければ売れないというのであれば、売れなくていいわい」と思ってその本を閉じる。
 大学で先輩から「いい本だよ」と教えられた本の多くは「売れない本」だったし、社会人になって読書の達者な人に自主ゼミで教わった良書も「売れない本」だった。


 2巻で同人誌で見つけた著者に、途中でトンズラこかれた主人公の編集者が、同僚から、

著者がトンズラかまし
原稿が間に合わないっていうんだったらな――
お前が著者になるんだよ!(2巻p.168)

と叱咤激励(という名の恫喝)をされて、残りの部分を狂った情熱で仕上げてしまうシーンがすごく好き。こんな表現の仕方は『重版出来』ではありえない。
 著者というか本の中身に惚れ込んで、その本が出ることを、こんなに倒錯した熱量で実現させてしまうのだ。
 筆を止めないことだけを最優先して、ひたすら考えずに書く。
 考えたら止まってしまう。止まってしまったら書き上げられない。時間切れで全てがパーになるからだ。それだけを恐れて猛進して書く、なんていうひどい情熱を、ぼくは「編集者」という物語の中で見たことがなかった。


重版未定 2 そして、売れる。

重版したのはな
その本がおもしろいからだ
おもしろい本を
おもしろいと信じて編集した
自分を信じろ
(2巻p.196)


 重版は結果としてついてくることがあるというだけで、ここには「おもしろい本をおもしろいと信じて編集」することしかないのである。むろん、たいていは、おもしろくっても重版なんかしないのである。
 その「おもしろい」は、千人にとっての面白いかもしれないのだから。


 売れるかどうかでなくて面白いと信じた本を作るのが編集である、とはよく聞かされた話だけども、著者にかわってその本を書き上げて世に送り出してやることまでその本に殉じる狂気を描いたところにこの本の良さがある。