先日の記事で『母は汚屋敷住人』を紹介したけど、まあたいていの家はそこまでではない。
むしろ今日紹介する『そのとき、あなたは実家を片づけられますか?』(扶桑社)のように、実家の老親の家の片付けをどうしよう…的レベルの悩みの方が、数としては多いんじゃないか。
すでに自立した3人のきょうだいが、次第に片付けができなくなっている老父母の実家をどうしたらいいのか悩み、片付けをする物語。『ワーキングピュア』『ちっちゃな頃からおばちゃんで』の小山田容子がマンガを担当している(監修・安東英子)。
小山田容子『ちっちゃな頃からおばちゃんで』 - 紙屋研究所
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20120730/1343588637
病的なまでにモノを捨てられない「ホーダー」や、セルフ・ネグレクトとは区別される、老親の実家整理は、
- 思い出や「もったいない」がジャマをしてモノが捨てられない傾向。
- 誰か(子や孫)に不用品を「あげよう」とする傾向。
- きょうだい間の役割分担の葛藤。
などがたたかいの相手になる。
中でも大敵なのはどうも1.のようで、2章・3章で、「洗面所だけ片づけてみせる」など親にやる気を出させる7つのアドバイスなどを描いている。
だけど本格的にはキッチンとリビングの整理を描く第4章で、最大の「カオス」として位置づけられている。
結局片付けの専門アドバイザーに頼る。
基本は、親たちに同意・説得を取り付けながら、モノを捨てていくプロセスになる。例えばフライパンが5つあるけど「ふだん使うものはどれ?」と問いかけて2つだけ残す……といった具合だ。
大きな不用品を処分した上で、残るこまごましたものを15くらいの箱や袋に分けて分類し、整理するとともに全体量を把握するという手法をとっている。
ちょっと大変だろこれ。
いや、大変なんだけどさ。
これやるのかよ、と気が遠くなりそうである。
捨てるのはいいんだよ。そんな大変な気持ちにならない。
むしろカタルシスがある。
同意・分類のプロセスがもうね。
大変そう。
自分の実家をイメージしてみる。
昔の農家らしく2階は事実上の納屋である。そこに絶対に二度と使わない食器類や衣服、贈答品などが大量にしまいこまれている。
これは捨てるだけでいいだろう。
別に親は何もいうまい。
つうか、親が生きているうちに捨てなくても、親が死んで、実家を解体する必要が出たときに、そのままにしておけばいいのではないかと思う。
あと、うちの親は親戚・現役時代の知り合いを「流通圏」として、すごい規模の贈与経済を成り立たせているのであるが、もらった食べ物などをせわしなく親類・近所・知り合いに配って回っている。魚などを調理のための道具・器具(巨大冷蔵庫)などもある。体のガタがきたらこの経済循環は破綻するであろう。
しかし、これも捨てるだけでいいのかもしれない。
いや、わからんな。その時になってみないと。
親たちは「捨ててくれるな」というかもしれないのだ。
そんな時に、この本の指南が役立つのかもしれない。
だから『そのとき、あなたは実家を片づけられますか?』と聞かれても、今のところは「わからん」「どうだろ?」としか答えられない。
ただ、この本の6章で、片付けがひと段落して子どもたちの出入りが少なくなると、母親が「おかんアート」を作り始める下りがある。日用品や毛糸などを使って小さな人形や編み物を作ってしまうことを「おかんアート」と呼んでいるのだが、主人公の母親はその寂しさを埋める行動についての心情をこう吐露する。
楽しかったのよ
この数カ月
みんな集まってワイワイやって
久々に昔に
戻ったような
気がしたわ
実家の片付けというのは、それをきっかけに自立した子どもが老親に最注目する「イベント」なのかもしれない。
片づけるかどうかはある意味でどうでもよくて、子どもたちが再結集し旧家族を限定復活して見せるという親孝行イベントのつもりで、面倒な作業も引き受けて帰ってみるというのが、実際には本質的なことのようにも思える。