斉藤章佳『男が痴漢になる理由』


男が痴漢になる理由 これまでの人生において、ぼくの知り合いの中で、痴漢で逮捕されて職を失った人が2人いる。
 一人は、電車で女子高生に痴漢をして逮捕された。
 もう一人は、女性のスカートの中を盗撮して逮捕された。
 どちらも大卒えせ文系インテリみたいな感じの人で、そういう属性がぼくによく似ていた。
 本書を読んだ時、痴漢の一つの典型的なタイプとして「四大卒、会社員、妻子あり」が挙げられていて、他人事じゃねーなと思った。

特に痴漢は、いってみれば“平凡”な人ばかりです。両親から愛情を受けて特に不自由なく育ち、四年制大学を卒業して就職し、結婚して子どももいる男性。 外見的にも、ごく平凡。ナヨッとした線の細いタイプで、一見すると女性に乱暴をしそうにない人も少なくありません。 ゆえに妻も、両親や子どもも、会社 の同僚や友人たちも、彼が毎日のように通勤中に痴漢行為で女性を傷つけているとは夢も思わない──これがリアルな“痴漢パーソナリティ”です。
(斉藤章佳『男が痴漢になる理由』 (Kindle の位置No.301-306). イースト・プレス. Kindle 版、強調は引用者)

 「性欲が強いけどモテない男性」といった痴漢イメージは的外れだと、斉藤は指摘する。


 痴漢の本質は、「性欲解消」ではなく、「支配欲」だと斉藤は述べる。

痴漢には自尊心が低いタイプが多いく*1います。そういう者ほど人との関係で優位性を獲得することができれば、求めていた“心の安定”を得られやすいのです。これこそが、痴漢が求めているもの。痴漢行為の本質は支配欲にあり、それを満たせると感じているからこそ、彼らはこの行為に溺れます。
(前掲書、Kindle の位置No.747-750)

「男性の支配欲がすべての性犯罪の基盤になっている」──そういい換えても いいでしょう。 (前掲書、Kindle の位置No.754-755)

 斉藤は、「男性は女性より上に立つ存在だ」という意識が多くの男性には潜んでいるとし(斉藤自身にもある、という)、常に人との関係で優位性を保てていないと不安定になるパーソナリティの持ち主がいて、そうした人たちが、この歪みをもち、会社でのストレスなどを背景にして、何かのことを引き金にして痴漢を初めて依存してしまう……というパターンを描いている。
 斉藤によれば、男性に自殺が多いように、ストレス対処法(ストレス・コーピング)が男性の場合選択肢をあまり持たない人が多く、それが痴漢という形に結実してしまう「原因」でもあると見ている。


 ここまでは、ぼくの中にもこうした痴漢との共通の因子があることを自覚させられる部分である。
 ただ、痴漢と自分との間に溝があるのではないかと思ったのは「人は何をきっかけに痴漢行為に目覚めるのか」の節だった。
 この節では例えば偶然で女性の体に接触をしてしまうことが「きっかけ」の一つで、そこで女性がさして嫌がらなかったという「学習」によって次に踏み出してしまう……というケースが挙げられている。
 他人の痴漢行為を目撃し、女性がさして気にするふうもなく電車を降りていくのを見て、「成功教訓」として俺にもできるのではないかと感じるというケースも示されている。
 斉藤も

仮にそれが刺激的な体験になったとしても、ほとんどの男性はそこから痴漢行為をはじめません。
(前掲書、Kindle の位置No.603-604)

けれど、一部の男性はそこに“メリット”を感じ、常習的な痴漢行為へと発展 していきます。逮捕されれば仕事も家族も社会的信頼もすべて失うかもしれないという、彼らにとってのリスクをはるかに上回るものがそこにあるからこそ、 この性的逸脱行動にのめり込むのです。(同前、Kindle の位置No.604-607)

としているように、多くの男性はそこを越えないし、越えようとする男性も(被害女性のことを考えてではないが)リスクのことを考えて思いとどまるのが大半のように思える。


 ということは、「多様な選択肢を持つストレス対処法さえ身につけておけば、最終的にこの溝を超えることはない」、ということになるだろうか(仮に「痴漢テーゼ」と名付ける)。
 実際に痴漢行為に手を染める男性は、そうはいっても「少数」であるという事実は、「痴漢テーゼ」と整合的である。
 ただ、男性の多くに「男性は女性より上に立つ存在だ」という意識があり、その歪みが背景にあること自体は踏まえておかねばならない。
 こうした土壌があって、ストレスという条件が加わり、そこに対処法との乏しさという最後の一撃が加えられれば、その時は自分が痴漢になる可能性がある、というふうにも考えられる。
 現実に誰もかれもが痴漢になるわけではないが、ある条件が重なることで痴漢になる可能性がある、ということだ。


 虚構と現実に関わって、本書で注意を引かれたのは次の記述である。

ほぼすべての痴漢が“痴漢モノ”といわれるAVを観ていると断言できます。(前掲書、Kindle の位置No.1180)

倒錯的な性行動を取り扱ったAVをくり返し視聴することで、知らず知らずの うちにその人の内面で認知の歪みが形成され、ゆくゆくは性犯罪の引き金になる……これはプログラム受講者らからヒアリングしていて、強く実感すること です。(前掲書、Kindle の位置No.1198-1201)

 「痴漢テーゼ」とこの「事実」の関係は、ストレス・コーピングの選択肢が少ない、「溝」を超えてしまう男性にとっては、AVによる認知の歪みの累積は、性犯罪=痴漢への引き金になるが、多くの男性にはその引き金にはならない、ということになる。
 しかし、別の言い方をすれば、痴漢AVは、多くの男性にとっては痴漢の引き金にはならないが、認知の歪みを累積させていく危険はある、ということになる。
 これは、ぼくが、「『ジャンプお色気♡騒動』に思う」という記事で書いたように、

 自分が女性(異性、または同性)をモノのように扱っている、性的な対象、性的な存在としてのみ扱う、っていう影響が入り込んで、日常の小さなところで出ちゃっているかもしれない。

 そういう「小さな」影響は、「性暴力を真似る」みたいなわかりやすさでは出てこないんだよ。「微細な=無自覚な」影響は、読んだ者の中にこっそりと残る可能性がある。それが日常の女性に対する態度や視線の中に現れないとは限らないんだよ。……という批判。


 これは、簡単には否定できないと思う。

http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20170707/1499363338

という指摘を裏付けているように思う。
 政治的にある歪みを持った虚構作品は、それを「解毒する」現実感覚や学習知識を持っている人がそれを鑑賞したら、大半は「解毒」して楽しめるのかもしれないが、思わぬ影響が実は自分の中に蓄積している可能性があるのだ。


 くり返すことになるが、虚構を楽しむことは、自分の中で知らないうちにいろんな「小さな」歪みを蓄積させていく危険がある(そしてこれもまたくり返しになるが、「だから規制しろ」というふうにはよほどのことがない限りは主張したくない)。


 本書の後半は、痴漢のような性犯罪を再発防止するための更生プログラムの話である。
 「痴漢がどう更生するかなんて知ったことか」と思う人もあるだろうが、ぼくは個人的にこの再発防止のプログラムに関心があったので、興味深く読めた。
 「更生」という問題にあまり関心がない人は、自分の中に蓄積された「認知の歪み」がどれほど大変な努力をしなければ是正されないのかを本書で知るといい。

*1:原文ママ――引用者。