山本直樹『レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ』

レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ(1) (イブニングコミックス) 連合赤軍事件をモデルにした実録『レッド』は、第二部も大詰めである。

山本直樹『レッド』1巻 - 紙屋研究所 山本直樹『レッド』1巻 - 紙屋研究所

 最初の書評でも書いたが、『レッド』は実録に徹している。どんな小さなセリフやしぐさも手記や記録に根拠を求めている。
 追い詰められた集団が狂気の暴走を続け、密室的な内部で凄惨な暴力をふるう「興奮」は、もともと山本が『ビリーバーズ』で虚構として描こうとして果たせなかったものだ。
 虚構を脱して愚直なまでにドキュメンタリーの手法に徹したのが『レッド』である。
 山本の創作史的には、(ぼくに言わせてもらえば)『ビリーバーズ』の破産の上に、築かれたのが『レッド』なのだ。

山本直樹『ビリーバーズ』 - 紙屋研究所 山本直樹『ビリーバーズ』 - 紙屋研究所

 さっき(2017年3月16日)ぼくがNHK浦沢直樹の漫勉」で山本直樹の特集を見たとき、『レッド』を軸に作画の解説がされていたのだが、山本のタッチを“どこか突き放したようなタッチ”だという趣旨に解説していた。
 しかしそれは山本作品に共通のものというより、山本作品の中でもまさに『レッド』の手法である。
 『あさってDance』にせよ『ありがとう』にせよ『ビリーバーズ』にせよ、どこかけれん味があるのがむしろ山本の特徴ではないか。
 茶化し。ニヒル。大げさ。諧謔。そういう演出を以って閉鎖集団の狂気を描こうとしたが、その狂気の(好奇心的な意味で)一番のスピリットを取り出すことはできず、一切の主観を交えずに(実際にはそんなことはできないが)客観的に描くことでそのエグさが描けるのだと判断したに違いない。


 そういう意味で、『レッド』は第二部にあたる『レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ』に至るまで、ストイックなまでに手記や記録に依存して描かれている。エロもほぼない。


 山本的な好奇心から見て、連合赤軍事件の中で一番「興味」を引くのは、やはり「総括」の名によるリンチであろうが、その中でも「死刑」と称される殺し方であろう。
 ぼくも以前の記事の中で書いたが、このくだりは、記録を読んでいても本当に「不思議」で、例えばもはや殺されることがほぼ決定されている被害者は尋問される中でこんな問答をする。

森氏は追及を再開した。
「組織を乗っ取ったら、どうするつもりだったんや」
「植垣君を使ってM作戦をやり、その金を取るつもりだった」
「M作戦をやっても金額はたかが知れてるぞ」
「商社から金を取るつもりだった」
「いくら取るつもりだった」
「数千万円取るつもりだった」……
「そんなに金をとってどうするつもりだったんや」
「宮殿をつくって、女を沢山はべらせて王様のような生活をするつもりだった」
「今まで女性同志にそうしたことがあるんか?」
「そうしたことはないが、いろいろな女性同志と寝ることを夢想する」
「誰と寝ることを夢想する?」
「大槻さんです」(永田洋子『十六の墓標』下p.278〜279)

レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ(4) (イブニングコミックス) 明らかに異常な答えである。
 しかし、そのまま「死刑」は執行される。驚くべき残酷な方法で。
 これは山本『レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ』3巻で描かれる。
 ということは、この第二部の3巻こそ山本の一番描きたいものではなかったかと思っていた。


 ところが4巻を読んで奇妙なものを見つけた。
 白根(大槻節子がモデル)が今度は「総括」の対象となり、暴力による衰弱の後、厳寒の中で柱に縛られている中で、意識が遠のいていくシーンがある。
 そこで、なんと、白根の意識のな流れのようなものが描かれるのである。

足の感覚がない
いつからこうしているんだっけ?
総括?
私 死ぬの?
ここどこ?
私 死ぬのかな
死にたくない
革命のための死?
いやだ
死にたくない
(山本『レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ』kindle4巻、講談社、45/195)

 ぼくの調査不足かもしれないが、これは手記や記録にはないものではないか。
 そもそも死にゆくものの意識など記録に残しようがない。
 これは、山本が『レッド』において守ってきたドキュメンタリーに徹するという手法を逸脱してしまう決定的な瞬間ではないのか。


 いやぁ、「実はこんな記録があるんですよ」とか「他でも記録にないセリフや展開はすでにいっぱい使ってますよ」ということであれば、ぼくのとんだ赤っ恥であるけども、あえてそうではないということで話を進めていく。


 もしそうだとすれば、これは山本が矩を超えてまでその叫びを描きたかったという瞬間であり、作者山本の気持ちの絶頂を紙に落とした一瞬ということになる。


 ぼくは『レッド』1巻が描かれたときに、

 個人的には、大槻(『レッド』では「白根」)の造形に関心が高い。『レッド』では妊娠したまま殺害された金子(『レッド』では「宮浦」)の描写が目立っているが、大槻=白根のように詩を書いたり、恋愛もし、元恋人の殺害に加担したことを耐えきれないほどのまとな精神をもちながらも、やはり活動家として指示を愚直にこなし、殺害に加担しつづけ、そしてやがて殺されていく悲劇性の高い人物にこそもっと焦点をあてて描いてほしい気持ちがある。大槻=白根の描写は1巻では数えるほどしかないが、ぼくはその数コマをまじまじと見てしまっている。

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/red.html

と記した。
 まさに、山本『レッド』は白根の死を作品中、最も逸脱したフォーカスを当てたのである。
 閉鎖集団としての狂気と、常識的な人間感覚が交差する一点が、この白根の死であったということができる。