ヤマシタトモコ『違国日記』

 祖父母・父母・兄弟の6人で暮らしていた田舎の実家を「暮らしにくい」と思ったことはその当時なかったが、家を出て一人暮らしを続け、やがて家族を持つ身となってみて、今あの実家に戻りたいかといえば、やはりもう戻って生活する気はない。つうか、もうできんだろ。

 ぼくが実家で生活をしていた頃、父はよく遠くへトラックで出かけていたし、戻ってきても夜中までお客さんと飲みに出ていた。つまりぼくの私生活とはほとんど交わらなかった。母は父の仕事を手伝うのに忙しく、ぼくの生活態度への指導とか注意は細々としたことを機関銃のようにしてぼくに伝えたが、ほとんどそれはホワイトノイズと化していた。要するに聞き流していた。だから、ぼくが実家で生活してた頃は、父母からのうんざりすような介入がなく、「こんな家にいたくない!」などとはほとんど思うことはなかった。

 しかし、ぼくが家をいったん出て、遠くから相対するようになった両親からは、ぼくに理解できない価値観がだしぬけに突きつけられるような場面にしばしば遭遇することとなった。

 こういうことがあった。

 ある日、突然母からぼくに電話がかかってきた。全くの普通の日。平日の昼間のタイミングである。しかし電話口で母はややかしこまった口調である。何事であろうかと話を聞いてみると、お前が実家に帰るときに持ってくるお土産の「安さ」に、本当は腹わたが煮えくりかえる思いがしているという、思い詰めた電話であった。

 そのとき、よく「めんべい」の数百円程度のものを買って実家に帰っていたのであるが、そのような土産は両親への軽侮であり侮辱であり、人を人とも思っていないやり口であり、社会人失格のクズのような態度だと密かに思われていたのである。それが爆発しての電話だった。

 これまでも父母が贈り物の多さを誇り、ぼくらにもよく贈り物をしてくれているのは感謝していたが、まさかそんな気持ちを抱えていたとは夢にも思わなかった。むしろ「贈り物が多すぎて腐っちゃう」と言っていたことを真に受けて、日持ちのするものを、軽く渡すことは、両親への配慮のようなつもりでいたのだが。

 ぼくは一応謝った。次からは帰省のたびに数千円の土産物を渡すように切り替えた。しかし、ことほど左様に、両親が本当に考えている礼儀やら道徳とやらのいくつかはぼくには理解できない「違国」のものであり、その「違国」で再び暮らしたいとはまるで思わないようになっていた。

 

 実家に戻ることはもう想像もつかない。

 代わりに、自分がそこを出て、つれあいや娘と築いてきた今の家庭での、メンバー相互(夫と妻、父と子、母と子)の距離感とか、そこでのルールとか、自分たちなりにこれが最適だと思うように仕上げてきた文化なので、ここから離れることこそ、もはや到底考えられない。

 

 だけど、小学生の娘にとってはどうなのかしら。

 ぼくら夫婦は「国定哲学」を押し付けたり、強圧政治をしたりするようなことがない「寛容な民主国家」のつもりでいるのだが。

 

 もし彼女が今わが家を出て、他の家に行くようなことがあったとしたら、元のわが家の文化や価値観はなんと偏狭なものだったのかと呆れることもあるのだろうか。

 

 

 

 ヤマシタトモコ『違国日記』は、突然両親を失った中学生・朝(あさ)が小説家をしている、独身の叔母(32歳)・高代槙生(こうだい・まきお)に引き取られて暮らすことになる話である。

 朝が、突然違う文化と生活に放りこまれる様は、「違う国」=「違国」に来た人のようである。

 しかし、率直に言って、ぼくは槙生が示す共同生活の距離感はまことにすばらしいと思った。ここはユートピアですか? とさえ思う。一緒に(結婚)生活を送りたいくらいだとさえ感じた。

 槙生自身が内省的・思索的・知的である。だって、自分に湧き上がってくる欲情でさえ理知的に眺めて、それを制御しようとするんだぜ?

 自立していて、それで同居人=子ども=朝への介入にわきまえがある。自分の一言が子どもを縛ったり、のちのちまで影響を与えてしまう「呪い」になったりするのではないかと恐れている。それはとってもとっても大事なわきまえではないだろうか。

 食事などの用意について「生活ができればいい」という構わなさは、ぼくとよく似ている。特にあの、昼食!

 レンチン米に大和煮の缶詰と茹でたほうれん草(夕べの残り)を食べるなんて、お前は俺か、とさえ思った。*1

 

 

 人に生き方を押し付けないが、倫理や正義、責任についての線引きがある。子どもを誰が引き取るかなどという無遠慮な会話の中に放置しない、両親の遺体の確認を子どもにさせないなどといった線引きが。

 家族であった姉への憎しみは、特別と思えるほどのこだわりがあるのだが、それを槙生は自覚してよく飼い慣らしていると思う。だからこそ、その感情を脇に置いてその姉の娘を引き取ったのである。

 朝の友人・えみりが家族から「いずれ(誰でも)結婚するんだから」と言われたことに違和感を覚えたことを、槙生は解いてしまう。朝にとっても、えみりにとっても、その家の文化に長いこととらわれていて、それを覆せないでいるのだが、槙生の家・槙生の言葉という「違国」はそのナショナリズムを解毒してしまうのである。

 なんという開明的な君主であろうか。

 4巻で、元の恋人だった笠町とラインをしながら笑うところの表情がとてもストイックでいい。

 まさしくユートピアだと思う。

 その心地よさゆえに何度も読み返したくなる。

 

 4巻において、槙生が職業としている小説=虚構=物語というものは、「初めての違う国に連れていってくれるような……」と形容されている。それは「かくまってくれる友人」とも比喩されていて、「違国」が、槙生の人生において必要欠くべからざるものとして肯定的にとらえられていることは疑いない。

 

 

 「違国」は、現実の呪いを解き、相対化してしまう。この作品の中で積極的に素晴らしい土地として示されている。

 

砂漠

わたしにさみしく

見えた彼女の砂漠は

わたしには蜃気楼のように

まぼろしめいて遠かったが

本当は豊かで潤い

そしてほんのときどきだけ

さみしいのかもしれない

 とは4巻における朝による、槙生=「違国」イメージである。

 しかしながら、3巻ではまだ、

久しぶりの

たぶん両親をなくして

以来はじめての

おだやかな

いうなれば 幸せな夜だったように思う

わたしだけが 知らない国にいるのだと

いうような心地で眠らないのは 久々だった

 と朝の心情吐露を読んで、ぼくはびっくりしてしまった。

 えっ! 3巻だよ!? ここで「はじめて」!? おだやか!? 幸せ!? それまではそうでなかったのか!

 

 

 

 家族という共同体には、本当はこういう「違国」のような距離感やわきまえが必要なのではないか。「毒親」のような呪いができてしまう親密な空間を一旦なかったことにしたいと多くの人が思っているからこそ、この物語に憧れる人、心地よさを感じる人が少なくないのだろう。

 

*1:いつもだいたいぼくの昼は、レンチン米or夕べの残りのご飯、鯖缶、納豆、残りのサラダである。