室井大資『秋津』には「親の酔態はツラかろう」というようなセリフが出てくる。思春期前の子どもが見る「親のだらしなく酔った姿」というものは親の威厳を崩壊させるから。まあ、最近の「トモダチ親子」にはそんなものは関係ないのかもしれないが。
女性の酔った姿が「いい」と思うのは、単純にエロいからじゃねーのか。
だらしなく恰好をくずしたうえ、ひょっとしたら普段下げないようなガードを下げて、自分にしなだれかかってくるかもしれないから、というストレートなスケベ心。
……というのは、まさにぼくの特殊事情なのだろう。
世に広くある「ギャップ萌え」を一番わかりやすく表すのは、酔った時の姿。とくに、日常は能力が高く、スキがないように思われている人が酒に酔ってスキだらけになるのはその最たるものだ。
『お酒は夫婦になってから』は、1話ごとにカクテルを紹介するマンガである。主人公の水沢千里は職場ではデキる、堅物の主任であるが、酒に酔ってしまうとめちゃくちゃだらしなくなる。その様が見られたくないので決して外では、特に職場同僚の前では酒を飲まない。
飲むのは、家に帰って夫・壮良(ソラ)のつくるカクテルを飲むときだけだ。「しふくううううううう(至福うううううう)」というため息でその恍惚をあらわすのがパターン。
酔った千里は、夫に愛の告白をしてしまったり、膝枕をさせてしまったりと、デレデレベタベタイチャイチャなリア充展開である。「氏ね!」と呪う特定読者も少なくなかろう。
「女のひとり酒」を描いて酒と肴を論じ続ける新久千映『ワカコ酒』をはっきりと意識した作品だと思うが、グルメに興味のないぼくは、『ワカコ酒』よりもむしろこちらの『お酒は夫婦になってから』のほうに惹かれる。
カクテルがわりとカンタンにつくれそうな感じがするのがよい(『ワカコ酒』は想像するしかない)のと、やっぱりなんといっても千里の酔った感じがかわいい。
しかし、千里にはもう少し「スキのなさ」を演出してほしい。
「スキがない」という形容は、「硬過ぎる」ということの言い換えである。すなわち“対応はマニュアルとしては完璧だけど、やりとりや受け答えに柔軟性がなくて不自由である”ということだ。大きな意味では「スキだらけ」なのである。
そういう頑さの描き方がやや類型的で、もっと「デキる感じの精神的に窮屈そうな女性」「それが疲れた瞬間のスキ」みたいなものは描けるんじゃねーのか、とおねだりしてみる。
うちの夫婦?
うちはダメですよ。千里・壮良夫婦と逆なので。
40すぎの男の甘えた酔態なんか、誰も見たくねえ。