ジムとしての町内会活動


 町内会の活動って、まじめにやるとすごくカロリー消費するよ。
 いや、うちの町内会は、まじめにやってないし、そういう何でもかんでも引き受けちゃって重荷になっている町内会活動を、ぼくは批判してきたわけだけども。
 今日はあえて、そういう重荷の町内会活動をやってみてはどうか、ということを考える。考える、というか、単なる思いつきを書く。書き散らす。


 たとえば、チラシ配り。ポスティングのほうね。
 行政の下請けとして町内会が広報紙を各戸に配っている自治体があるけど、あれは相当なカロリー消費だと思う。NHKの番組で、1000世帯に行政の広報物配っている町内会長の夫婦が出て来たけど、ああいうやつ。田舎だと1軒1軒が離れているのすごい距離歩く。都心だとそんなこともないのかといえば、今度はマンションなどが立ちはだかる。あれをエレベーター使わずに階段で上り下りしたら、どんなハードなジムだよ、って思う。事実、中層階の団地なんかはエレベーターがなくて、俺もやってるけど、キツいわ。こういうのを配布時間のレコードとって、町内会で記録を貼り出したらいいんじゃないか。


 うちの団地では廃自転車の撤去なんかをみんなでやっているけども、あれも筋トレになる。20台とか1人で運んだら、もう汗だくですわ。廃バイクなんかは、どんなバーベルですかって思う。


 夏祭りとか防犯パトロールとかイベントごとに住戸にハンドマイクで知らせて歩くようなのは、カラオケと同じで気持ちのいい発声ができる。
 絵本・マンガの読み聞かせとか、娘の学校での朗読の宿題なんかにつられて、最近(ここ1年ぐらい)、大西巨人神聖喜劇』を風呂場で声を出して読んでいるんだけど、あれって気持ちいいのな。
 ぼくはサヨクだから、ハンドマイクで街頭で訴えをしたりすることがあるんだけども、ああいうのは、最初はなんか照れくさい。しかし、次第にやっている本人は快感にかわっていく。聞かされている方はうるさいとか迷惑とかいう話はおいといて。それは内容にうっとりするということもあるが、発声そのものが体にとって快楽なのだという要素もある。読経が法悦に誘うというのは、そのような効果からだろう。


 こんなことを書くと、どうせ「変に運動すると腰や足を痛めるよ」とかいう野暮な意見もでてくるに違いない。そこで、専門のアドバイザーをつけて無理のない運動をしてもらうんスよ。
 町内会とNPOのコラボってよく行政あたりがもち出してくるけども、最初町内会側の「期待」は、「町内会は担い手や人手がない……だれかやって……」という出発点から「じゃあNPOといっしょにやりましょうか」と行政に言われて「えっ! NPOが何かやってくれるの!? やったー!」と思う、そんな横しまな気持ちからたいていは出発している。でも実際に「コラボ」してみると、NPOの人が講演とかワークショップをして、町内会の人がそれを聞き、「はい、じゃあ(地域のみなさんみんなで)やりましょうか!」と言われて、「えっ……結局やるのは俺たちなの? NPOの人が肩代わりしてくれるんじゃないの?」と不純な気持ちを爆破されてしまうのである。
 まあ、だからアレですよ、こんなときくらいNPOの人や専門家を行政の仲介でよこしてもらって、「腰や足を痛めない指導」をしながら、町内会的なポスティング、筋トレに励んでもらうわけですよ。


 団塊の世代がリタイアしても全然町内会にはやってこねえ、みたいな話を以前書いたけど、そういう人たちは、なんかリタイアして、町内会にも出ずに、ウォーキングとか夫婦でやってたりするわけですよ。そんでもって、まあ1カ月くらいすると、そんなウォーキングはやらなくなってしまうわけですよ。面倒くさいから。雨が降ったり、冷たい風が吹いたら、そらあ、挫けますわ。別に挫けても誰も文句いわんし。
 アホですねー。
 そんなことなら、正規の町内会をフルに引き受けて、忙しくカロリー消費や肉体的運動やっていればいいのに。なにしろ、雨が降っていて「今日は面倒くせえな」とか思っても、いや、もんんんんのすごい冷たい風がビュービュー吹いていても、あげくに雪とか降っていても、市の広報物を配る仕事は「待ったなし」。「うう、今日配らないと配布期限をすぎちまう…」。嫌でも体を動かすことを強要されるわけですわ。


 「健康のために町内会をやりましょう」という触れ込みをもっとやってみてはどうか。