冬目景『イエスタデイをうたって』が完結した。
15年か。
いつまでも決断しない若い人たちの恋愛のウダウダした様子をかくも長く見せられたという意味で記念碑的かもしれん。
いや、多くの恋愛マンガは、成就すれば終わりっていうところがあるから、決断しないところばっかり見せられるよ。確かに。
でも、そういうマンガには恋愛としてのドラマがある。少女マンガのように、無理に山場の「ハラハラ」イベント持ってきたり。いい悪いは別として。
だけど、『イエスタデイをうたって』は、まさに「ウダウダ」なんだよ。
冬目という作家は、セリフに、はっとするような鋭さがない。
それはふだんの作風にとっては明らかな悪口である。
いつまでも見蕩れていたくなるような絵を描くマンガ家に対して、そのことをぼくはほとほと惜しむのである。
が、この『イエスタデイをうたって』が描こうとしていた、「いつまでも決断しない若い人たちの恋愛のウダウダした様子」にとっては、そのセリフの鈍さがむしろ合っていたのだ、と終わってみて思う。
「いつまでも決断しない若い人たち」がウダウダと考え込んでいる、抽象的な堂々巡りに、冬目のセリフ回しは何と似つかわしいことか。
人生の重大な決断は、いつでも具体的なはずだ、という40代になった自分の小賢しさは、最終巻11巻における登場人物たちの次々の決断の抽象性に驚く。
たとえば。
榀子と陸生が公園でお互いの結論を話し合うシーンの抽象性に、悶死しそうだ。
オレはさ…
感情っていうのを表現するのが
苦手なもんだから
ココロは自分の考えの一つだと思ってた
でも…この一年 頭とココロが一致しない…
そんな感じだった
オレもわからなかった
それがどういう事なのか…
ただ一つわかる事は
オマエといるときの違和感だけ
だけど、20代ってこんな感じだよねと思い直す。
『東京タラレバ娘』みたいにならないのは、20代だからである。
冬目のセリフは、実はその空気を描くのには合っている。特に、これほどまでに長くウダウダを見せるには。