りべるむ『三十路とレディ』

三十路とレディ りべるむ『三十路とレディ』を読んだ。
 あらすじだけ紹介すると、女子高生の経血をなめるのが好きな高校のイケメン養護教諭と女子高生の「恋愛」。うわぁ…、ドン引き…といかにもなりそうな中身だ。
 みてよ、アマゾンのカスタマーズレビューに並ぶこの低評価、この反発。

  • 「生理の血を口につけるって何?気持ち悪い」
  • 「命令を聞かないと、薬を出さない、休ませない、経血舐めさせろなどの行為に及ぶ30代男性、それを受け入れるのが恋愛だと錯覚する女子高生。 不快で最低な表現が多数あります。話の展開も、それっぽいセリフで弱っている人の同意を求めるような表現方法といい、傲慢にして劣悪。」
  • 「生理痛が酷いと保健室に来た女生徒に経血を舐めさせろとか下着を脱がし血を手に取り唇に塗ったり・・・どの辺のターゲットに向けた作品なのか理解に苦しむ(汗)」
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 なんだよこの評。手塚治虫の『ブラックジャック』を読んで「畸形嚢腫から動く子どもができるなんて気持ち悪いと思いました」みたいな感想をいうようなもので、「それがどうした?」と呆然としてしまう評である。
 しかし、こうした評にもかかわらず、マンガの大半は女子高生と教師の保健室での会話ばかりだ。経血が出てくるシーンがないわけではないが、ごく一部にひかえめに描かれているだけで、上記のような評は、設定から想像をふくらませているわけである。


 ぼくがこの作品を堪能したのは、前提条件として、「経血が好きなイケメン教師」という設定をした場合、いかにもありがちなそれをなめる猟奇的な描写がほとんどなかったこと。「ありきたりさ」を脱している。
 かわりに用意されているのが、女子高生と男性教諭の軽妙な会話。ギャグといってもいいほどの。三十路のその男性教諭は女子生徒のことを「レディ」とふざけて呼ぶ。


「そういえばレディ 何で先生のこと好きになったの」
「ねぇ 私今気持ちが悪いの 吐いてんの オエッ
 すごい普通に気持ち悪い質問するのやめてくれない」
「レディが吐いてるの初めて見た」
「うっ… 私も初めて見た」
「レディの嘔吐物は好きになれそう」(新しい時代が来た!)
「おおえええええ」


 男性教諭はたしかに女子生徒にセックスをしたりはしていないのだけども、扱いにおいて「愛玩物」的なのである。男性教諭は最後には女子生徒との卒業後の結婚をさらりと口にしたりする。責任をとるような、優しいような、そんな体裁をみせるんだけど、膝に乗せたり、胸をさわって「体調管理」したり、匂いをかいだり、いびつなペットだよな。歪みや暗さ、病的な感じといった具合には、一切描かないので、作者自身が「なんにも問題ないじゃん!」みたいな能天気を感じ取ってしまう読者がいるのかも知れないと思った。
 一方は「子ども」であり、他方は大人だ。また、一方は生徒であり、他方は教師だ。そして一方は愛玩具のように接しようとするこの態度。他方は、甘えまくる。よく考えると、いやよく考えなくとも歪みまくっている
 だけど、二人とも相思相愛なのである。
 女子高生の方は、ツンデレなんだけど、本当にペットのように教師を慕っている。好きで好きで仕方がない、という感じが伝わってくる。
 リアルでこういう恋愛があったらどうすんだ、ダメに決まってるじゃないか、ということを保留さえすれば、率直に言って何とも甘美な関係だと思った。虚構でこそできる歪みである。
 生理を完全把握して、機嫌のいいのも悪いのも受けとめちゃうって「親」っぽいのだが、自分の欲望のためには無理をさせているのがまったく「親」っぽくなくて、逆に激しく歪んだものを感じる。こんなに歪んでるのに、こんなにあけすけに好きって感じがたまんない。それを設定と会話で基本的にやっちゃっているのがすごいと思う。会話がワンパターンというしょうもない批判がされているが、逆だ。会話がいい。



 アマゾンのカスタマーズレビューで「薬を飲まずに誰かと会話ができるぐらいの痛みなら、それは生理痛が酷いとは言いません」「生理痛を分かってない人が描いちゃダメ」とか悪態つかれていて、作者が心底気の毒である。死ぬほどどうでもいいじゃん、そんなこと。ここでお前さんのいう「リアルな重い生理痛」についてよく描けたとして、何かこの作品に関係あるのか?
 「背景が真っ白」とかいう悪口もあったが、描きこめばいいのかよ。描きこんでつまらないマンガのほうが昨今多いんだよ。


 りべるむについて何の利害もございやせんが、渡世の義理で、評価が低すぎるのが可哀相と思って、ついカッとなって書いた。後悔はしていない。