雑誌「EX大衆」2020年5月号で『映像研には手を出すな!』について「本作が『部活モノ、女子高生モノ』である必然」について書いています。
この号で『映像研には手を出すな!』について「本作が『部活モノ、女子高生モノ』である必然」について書いています。 https://t.co/5RuGdFRo6U
— 紙屋高雪 (@kamiyakousetsu) 2020年4月19日
もともと編集の方からの依頼では、「女子高生の部活モノ」というカテゴリではなかなか珍しい絵柄であるということを前提に、「漫画版のキャラの絵」について『けいおん!』以降の絵柄の流行を踏まえつつ、この作品の特徴を書いてほしいということでした。
難しいけど面白そうな依頼だなと思い、お引き受けしました。
まず、ビジネスとしてのアニメ制作現場にしなかったのはどうしてだろうかということを考えました。頭に浮かんだのは『アニメタ!』と『西荻窪ランスルー』という2つの作品でした。ただ、拙稿では紹介していません。
次に、「女子高校生の文化部的活動」作品との比較をしてみる必要があるなあと思ったので、次の2作品、『菫画報』と『それでも町は廻っている』を例にあげました。
この2作品は、妄想と現実がときどき交錯するという点で似ている点があります。これが「文化部」的なものとどう重なっているのか、という視点です。
妄想の紹介の仕方として、このあたりも紹介しました。『宮崎駿の雑想ノート』や『大砲とスタンプ』の兵器紹介などです。
そして「女子高生」であるということ。
映像研については若干考え方が違っています。最近の世の「性」の扱い方からちょっと違うだけで「ニュートラルな性」の性的要素をシャットアウトしたいわけじゃないのです。「女性性」がメインキャラになってないだけでもあり「私は女よ」という女がいてもいい。主要キャラはそうじゃないというだけで。 https://t.co/FToBwlkPD8
— 大童 澄瞳 SumitoOwara【公式】 (@dennou319) 2018年12月13日
評論する側としては、作者(大童)のこの発言は踏まえるべきだが、とらわれすぎるべきではないとも思いました。
拙稿では「女子」であること、「女子高生」であることを重ねて考えてみました。
「中身おっさん、外見美少女」という天才的発明として、『苺ましまろ』があります。『自分がツインテールのかわいい女の子だと思い込んで、今日の出来事を4コマにする。』(拙稿で紹介しませんでしたが)なんかもそうですが、この系譜の子孫がマンガの世界では一種の隆盛を迎えていますが、大童的な戦略とはまったく別の路線です。
まあそんな一文です。
この文章も、やはりふだんは辛口の我がつれあいから、「作品名がたくさん出てきてひどく(昔の)オタクくさい」と笑われながらも「面白い」と言ってもらえたので、ひとり悦に入っております。