『中国からの引揚げ 少年たちの記憶』

少年たちの記憶―中国からの引揚げ 『引揚展』にかかわった関係で、中国引揚げ漫画家の会編『中国からの引揚げ 少年たちの記憶』を読む機会があった。中国からの引揚げ体験をもつ漫画家たちが当時の体験を1コマずつのマンガに描き、それに本人や聞き取りをした人間(石子順)の注釈が加わっているという著作である。


 まったく何もしらない人のためにいっておけば、戦前、日本は中国東北部に事実上のかいらい国家ともいうべき「満州国」をつくり、日本人は多数「経済進出」のために「満州」や中国大都市へ移住していた。特に貧しい日本の農業生活に見切りをつけて「満州」へ「開拓移民」という形で、場合によっては村落の大半を移すような植民は象徴的であった。
 そして、敗戦とともに、これらの在華・在「満」の日本人は、中国の現地民の暴動、ソ連軍の侵攻による殺戮・暴行・略奪に遭い、想像を絶する逃避行を重ねてようやく内地(現在の日本本土)へ引揚げをおこなった。


 そう聞けば、この『引揚展』も、悲惨きわまる引揚げの悲劇ばかりが描き込まれていると想像するかもしれない。もちろん、史実としての引揚げの本質はその部分であろうが、当時子どもであった漫画家たちの内的な世界に映った「満州」・中国や引揚げは、必ずしもそのようなことばかりではなかった。それがこの本をみればわかる。


 というのは、この本のおよそ半分が、中国での戦前の日々の暮らしや中国の自然を描いたもので、どちらかといえば楽しげな日常が多く描かれているからである。

子ども時代の楽しさ、子どものリアルさの記憶

 子どもそのものではなく、子ども時代の体験をもつ大人が描いた子ども時代の描写だから、逆に子どもが描くのよりもはるかに牧歌的・叙情的に記憶がデフォルメされている。
 たとえば、この本のマンガの中には食べ物にかんする楽しい記憶が数多く出てくる。典型的なのがタンフールー(糖葫芦)で果実の水飴漬けである。


真っ赤なサンザシの実に水飴をつけたのが、団子のように五つ六つ串刺しになっている。表面は甘いのに、やわらかな実は酸っぱいのだ。(p.16、石子=ちばてつやへの解説)


 古谷三敏もタンフールーを描いているが、人のよさそうな現地のおじさんが新聞紙にくるんで子どもの古谷に渡している様子を描いている。古谷は別の絵でもタンフールーを食べていて、妹がそれをほしがっている絵を描いている。もっともその横には、赤ん坊を「売り」にだしている中国人のうつろな姿が描かれているのだが。


 他にも、里芋を焼いたり、マントウ(饅頭)を食べたりする思い出が描かれているのだが、学習漫画のテイストで描かれた山内ジョージの絵は一風かわっている。子どもがマントウを買っている日常風景ではあるのだが、実はそれは体験したものではないという。母親に厳しく禁じられており、絵は「願望」を描いたものなのだ。

そのころ、日本人は中国人とは同じと思っていなかった。日本人は中国人やロシア人たちと仲よくしようといったが、実際は日本人社会の中にとじこもっていた。だから中国人が食べるものさえ警戒し、子どもたちにも食べることを禁じていた。(p.38、石子=山内への解説)

 もちろん、これとは異なる体験はこの本の随所には出てくるが、中国人社会との隔絶や敵対という要素もまたいろんな漫画家が描いている。ニコニコ笑う中国現地の露天商がマントウを売り、それを日本人の子どもが買うというシーンでさえ「願望」として描かれている現実もあることに驚く。


 自然については、日本との違いが子どもだった漫画家たちの心の背景に深く刻み込まれているようで、それを正面からテーマにしたマンガもあれば、さりげなく背景として描かれているマンガもある。


 たとえば、冬の厳しさは日本とは比べ物にならず、汲取式だった便所では大便が凍り、それがやがて「塔」となって積み上がり、その先端部を木槌などで叩いて壊さねば用が足せなかった様子を森田拳次は描いている。


 あるいは、雪の降る灰色の曇天が背景にくることが多く、子どもだった漫画家たちにとっては、「満州」の天気はこのように映じていたのかとわかる。ちばてつやが繁華街を兄弟で歩いているシーンも、絵画的には抜けるような晴天を描くことで沸き立つような繁華街の猥雑さが生まれるのではないかと素人考えで思うのだが、画面の3分の1をもしめる空は灰色である。ちばの心に残った「奉天」の繁華街とはまさにそのようなものだったのだろう。


 森田が墨絵のような「満州」の静寂を描いていたり、赤塚不二夫が真っ赤な空に一面の黒いカラスを描いていたりする。何より、本書の表紙になっている「巨大な赤い太陽」はいろんな人が描いており、「満州」でもっとも印象に残る風景なのだろう。大陸的なダイナミズムのある風景が心に深く刻み込まれているのだ。
 対比的に、引揚げで見た内地の「箱庭」感は、複数の人がこの本でも証言している。
 このコントラストは、「満州」や中国が「異郷」であることをきわだたせずにはいられない。そして日本とはまったく違った土地での遠い昔の体験という隔絶性とともに、「異土」で死ぬことの悲劇性をも読者に知らしめる基盤にもなっている。



 子どもの遊びもユニークで、煉瓦を削ってビー玉然としあげる山内ジョージの根気と工夫には脱帽した。


 食べ物、自然、遊び……という、子どもの生活にとってもっとも関心の強いものが本書の入口に蟠踞している。そして、それは戦争を体験していない、しかも「満州」での生活など体験したことのない戦後世代のぼくらにさえ、その日常に入り込むうえで大きな役割を果たしている。


 というのも、ぼくが楽しんだというばかりではなく、4歳になるぼくの娘が、ぼくがこの本を読んでいるとやってきて、いっしょに見始め、これは何か、あれはどういうものかと熱心に質問し、「すごいね」とか「寒そうだね」とかあれこれ感想をいいはじめたからである。さらに驚くことに、次の日は、「この本を読んで」といって絵本がわりにぼくのところに持って来たのである。

絵画的リアリズム、大人のリアルとの対比――マンガ表現の意味

 マンガとして、しかも「少年の記憶」としてそれを描くことの特別の意味を、漫画評論家石子順は、本書で、対比的に書いている。比べられているのは、引揚げ体験もまだ冷めやらぬ1953年に、元満州重工業開発会社総裁の高碕達之助が書いた『満州の終焉』に挿入されたスケッチである。
 絵そのものは載せられていないが、7点にわたるスケッチが紹介され、引揚げの恐怖や悲惨が大人の生々しいリアリズムの筆致でとらえられているのを、石子はつぶさに紹介しているのだ。


おとなの目撃、体験したことが、帰国後すぐに描かれたものでしょう。リアルであり、つらいこと、残酷な瞬間を切りとっています。子どもの記憶ではありません。昨日のことのように、しっかりとおとなの頭にきざみこまれた記憶を描いたものなのです。つらさ、きつさがじかに記録されています。生命からがら引き揚げることができたものによる、忘れられない瞬間の証言となっています。(p.181)


 これにたいして、この本は、大人の直截なリアリズムではなく、長い時間かかって浮かび上がり、やがて大人になったあとに濾過された「心象風景」を集めたもので、しかもスケッチではなく、デフォルメを特徴とする漫画という表現によって編まれたものである。そこに本書の魅力がある。


ここには少年たちの記憶があります。子どもの心にはよかったこと、おもしろかったこと、びっくりしたことなどが強く残るのでしょう。そして子どもにとって、一番関心があってしあわせなことといえば、食べることです。ここでは食べること、食べるものが多く出てきます。(同)


 子どもの強い関心事であった遊び、乗り物などが描かれる。
 そして、戦争の現実や引揚げの体験もそこには描かれている。


戦争の現実は、八路軍の捕虜、手榴弾、B29、防空演習などに反映されていますが、恐ろしさは感じていません。そして、敗戦。敗戦の混乱、暴動ということよりも、立売りをしたり、初めて見る外国兵の恐ろしさに、敗戦の実感がにじみ出ています。子どもの目に映った敗戦は、家を追い出されて集団で移動するあたりにも描かれています。(p.181)


 「家を追い出されて集団で移動する」というのはちばの絵のことだろう。山内ジョージも敗戦で官舎を追い出されるのだが、元いた家の五右衛門風呂をのぞきこむと、フロはマントウを焼くのに使われていた様子がややユーモラスに描かれている。その可笑しみが、逆に敗戦体験をリアルなものにしている。


これが漫画で描かれているところがいいのです。つらいこと、深刻なことでもやわらげられ、時には笑いがこみあげてきて、ユーモアの底から泣き笑いさせて、子どもたちにとって敗戦、引揚げというのは、生活も環境も大逆転する大変化であった、ということがうかがえます。(p.182)


 戦争体験の継承をどのようにおこなうか、という問題をしばしばぼくはとりあげてきた。こうの史代の『この世界の片隅に』をとりあげたとき、トリビャルともいえるほど日常のこまごました生活を詳細に描いたのは、まさに同じ働きだろうと思う。自分たちとは同じところもあるが、やはり異なっている生活の実際から世界に入り込み、その皮膚感覚を共有するなかではじめて「戦争」も体験しうるのかもしれない。

満州」体験は漫画家生活に影響を与えているか

 石子は、

いま、本書を見ますと、引揚げ漫画家の共通点が浮かんできます。赤塚不二夫からはじまって、森田拳次古谷三敏北見けんいち高井研一郎上田トシコたちはみなユーモア漫画系、ギャグ漫画系です。笑いにあふれています。キャラクターが可愛らしくておもしろい。たとえばちばてつやのように物語系のリアルな絵、シリアスなキャラクターであっても、ユーモアのセンス、笑いの精神を忘れていません。このユーモア、笑いにあふれているという共通点は、子ども時代の“満州”中国体験とかかわりがあるのではないかと思われます。(p.188)

としている。
ちばてつや漫画館 (漫画館シリーズ) ちばてつやは、「屋根うらの絵本かき」という自伝的短編(『マンガ家誕生。』所収)のなかで、「満州」での引揚げ体験が自分の漫画家生活の出発点にあることを描いている。
 引揚げの途中、引揚げ集団から遅れてしまったちばの一家は、徐という懇意にしていた中国人の家にかくまわれる。日本人をかくまったということがバレるとまずいので、妻と子どもたちは冬の間中ずっと屋根裏に押し込められている。
 オモチャひとつあるわけでもなく、狭い薄暗い部屋に日がなこもりっきりの、ただ寝て起きるだけの生活。子どもにとってそれがどんなに退屈な日々であるかは想像に難くない。
 ちばがもちだした2冊の童話集、「お絵描き」のためのわずかなクズ紙だけがあった。ちばは弟たちのためにそこに「絵本」を描いてみせるのだ。それを飽きもせずずっと読んでいる弟たち。ちばによって小さな読者をもち、それに喜ばれる原点を得たのはまさにこの瞬間だった。

こうして現在 ぼくは漫画家になっているのですが……
あの 満州でとじこめられた数か月の生活が
ぼくの一生をきめてしまったように
おもえてならないのです(文庫版p.79)


 なんかあらすじ紹介だけだと、「いい話」みたいに終わっているが、この作品の冒頭にはアイデアが浮かばず事務所にカンヅメにさせられて苦悶する現在のちばの様子が描かれ、ラストにもまた編集者に囲まれて苦吟するちばが溶暗のなかに描かれて終わる皮肉たっぷりの終わり方なのである。一種のユーモアである。