ドイッチャー『スターリン 政治的伝記』

 ぼくがぼくにインタビューしてみた。

――この本、なんで読んだんですか?
スターリン―政治的伝記 これ買ったの、20代のころだったかなあ…。だから十数年、「積ん読」状態だったんだよね。字がみっちりだし、過去のこういうロシア革命史を読んでいると、名前と人物関係を追っているだけで疲れちゃう印象があって、「ええっと、時間と気持ちに余裕があるときに読みますね…」てな感じで自分に言い訳して、読んでなかった。
スターリン秘史―巨悪の成立と展開〈1〉統一戦線・大テロル ところが最近、不破哲三の「スターリン秘史」の連載が「前衛」で始まったのね。これが面白いんだわ。
 とくに独ソ戦って、あらためてスゲエ勝利だったんだと気づかされた。
 日本共産党の綱領には、ソ連批判の後にも、ずっと反ファシズム戦争としての第二次世界大戦におけるソ連の貢献を記述してあったんだけど、なんでそんなものをいつまでも書いているのかわかんなかったよね。だけど、不破の本やこのドイッチャーの本を読んで、いかにドラマチックな反転勝利だととらえられていたのかを知った。
 それでまあ、最初は独ソ戦のあたりだけを読んでいたんだけど、意外と面白いんだわ。どんどん読める。
スターリン - 「非道の独裁者」の実像 (中公新書) それと横手慎二の『スターリン』ね。これで革命前のスターリン像にも興味をもっちゃった。で、これもドイッチャーの伝記の最初の方を読み始めたら、ここも読みやすい。それで全部読んじゃった。
 不破と横手、この2冊がなかったら、とうていこの大部の本は読み通せなかったと思うね。


――不破もスターリンについて書いてますね。まだ連載が続いてますが。
 不破や日本共産党が嫌いな人は「ふん。代々木が今頃になってスターリン批判か…」とか思う人がいだろうけど、いい・悪いは別として面白いから読んでみるといいよ。不破は生きてるうちにスターリン評価をやりきっちゃわないといけないと思ったんだろうね。『スターリン大国主義』や、20回党大会報告では全然足りねえなと思ったんだろうね。

2つ印象に残ったこと

――ドイッチャーの著作に戻って、一番印象に残ったのはどこですか。
 「一番」というのは難しいけど、二つ大きな印象を残したことがある。
 一つは、さっきもいったけど、独ソ戦の勝利。それに対するスターリンの貢献ね。もう一つは、スターリン体制がつくりあげられる前と後では党の体質ががらっとかわっているってこと。
 この二つだよね。

ドイッチャーのスタンス

――ドイッチャーはスターリン崇拝者なんですか。 逆、逆。ドイッチャーは、ポーランド共産党に昔いたんだけど、まさにスターリンのせいでそこを離れていった人間なんだよね。だからスターリンにはうらみがあるはずなんだ。彼は「序論」で書いてるよね。

スターリンを弾劾する伝記をあらわすほど私に容易なことはなかっただろう。(上p.4、1963年みすず書房版、以下同じ)

 だけどドイッチャーのえらいところは、

だが、私は決してしまいときめた一つのことはこの本を知的惰性から書かないことであった。(同)

というふうにしたことなんだよ。ドイッチャーは、

取り上げられた歴史的過程の不可避性を実証しない限り、歴史家はその任務を完全に果たしたということはできない。(同)

って言ってる。スターリンがなぜ成功したのかっていう必然を冷静に明らかにしたいってわけだ。
 まあでもこの本は、1948年に書かれたから、ホントに第二次世界大戦が終わったばかりのころなんだよね。ということは、反ファシズムが勝った、スゲエスゲエ、そこに貢献したスターリンはすごい、っていう雰囲気冷めやらぬころなわけだよね。だから、その点が色濃く出ている。
 関係ないけど、藤子不二雄Aの『まんが道』で中学の卒業試験をやっている描写が出て来て、そこに世界史っぽい教科書の中身が出てくるんだけど第二次世界大戦を「全体主義対民主主義」って対立軸で書いている。戦後直後のとらえ方は、ソ連は「民主主義陣営」だったわけだよね。よく考えるとぼくの小さい頃、つまり1980年代初頭くらいまでそういう把握は当たり前だったような気がする。
 なんだっけ。ああ、ドイッチャーがスターリニストたちから追い出されて、しかし、第二次世界大戦ソ連の戦功を祝う空気が充満した中でこの伝記を書いたって話。


――追放された身だったけど、そういう空気を浴びて書いたわけですか。
 うん。実際のところはどうだったか知らないけど、複雑な気持ちがしたんじゃないかな。集団化はまちがいだ、粛清はまちがいだ、ってかなり早くから警告を鳴らしてきた人でしょ。だけど、そういう徹底した集権の専制国家をつくりあげたことによって、工業化を達成し、先進ドイツの侵略を打ち破ることができたっていうふうにも言える。
 横手がロシアで横行するスターリン賛美のロジックを紹介してたけど、ドイッチャーが批判してきたものは、あたかもすべてこの独ソ戦を勝ち抜くための試練だったかのように見えてしまう。「♪今はわかるの 苦い日々の意味も」っていう…。そして、そういうスターリン万歳、スゲェの論調が席巻する中でこの本を書くって、大変なことだったんじゃないかなあ。どっちかの空気に引きずられるっていうか。


――この本にはまっぷたつの評価があるそうですね。
 ドイッチャーが最初に書いているけど、スターリンへの非難が強すぎるっていう批判と、スターリン賛美だっていう評価とね。つまり、出来のいい伝記だってことだよね
(笑)。
 スターリンを批判する気持ちにおいては人後に落ちないというほどのドイッチャーだったけども、根底的にはスターリンを評価した。彼は、こう書いてる。

スターリンは、絶対的に無価値、無用の記録を持つヒトラーらの暴君の仲間に算え入れることはできない。ヒトラーは不毛な反革命の指導者であった。これに反しスターリンは悲劇的で自己矛盾があったとはいえ創造的な革命を指導し、開拓した人である。(下p.216)


――それこそ、第二次世界大戦直後の興奮の中で書いた評価じゃないんですか。
 いや、実はこの評価を、スターリンが死んで、フルシチョフスターリン批判があった後の、1966年の追記の中でもわざわざくり返しているんだよね。すでに1948年の時点で書いていた次の点を強調しただけなんだよ。

スターリンの業績のよりよい面が彼自身より永続することは、クロムウエル、ナポレオンの業績のよりよい面が彼らより永続していることと同じように確実である。だがこれを将来のため汚辱から救い、これに十分の価値を与えるためには、歴史はクロムウエル後にイギリス革命の成果を、ナポレオン後にフランス革命の成果を洗い清め、作り直さなければならなくなるかもしれない。(同前)


――うーん、スターリンをほめすぎじゃないですか。
 今ここを読むとそう感じても無理はないよね。1948年に書いたことを、1966年であるとはいえ、取り消したくないっていうプライドのためのようにも読める(笑)。だけど、ドイッチャーには、ドイッチャー自身が書いた「スターリンに屈服した古参ボルシェヴィキの心情」があったんじゃないかとぼくは思うんだよね。


――「スターリンに屈服した古参ボルシェヴィキの心情」? うん。ドイッチャーはスターリンに屈服した古参ボルシェヴィキたちが、ツァーリの過酷な弾圧下でも屈服をしなかった闘士だったのに、なんでスターリンに屈服し、変な「自己批判」をしたりしていたのかをこんなふうに書いているんだよ。

彼らのなまぬるい態度は、スターリンのなし遂げた変革はその手段についての判断はともかくとして革命を傷つけることなしには逆転不可能であるという認識とともに生まれてきたのである。スターリンのとった手段は彼らを恐怖で充したにもかかわらず、彼らはスターリン主義者、反スターリン主義者をとわず、すべて同じボートに身を託しているものと感じた。自己卑下はこのボートの指導者に彼らが支払った身代金であった。従って、彼らの自説撤回は全面的な誠実でもなければ、全面的な虚偽でもなかった。(下p.44)


――スターリンにラディカルに反対する、すなわちスターリンを「除く」ことは、スターリン体制であるところのソ連体制、つまり革命によって生まれた体制を傷つけてしまいかねないという気持ちがあったってことですか。
 そういうことだね。ドイッチャーによれば、決してスターリンに屈しなかったトロツキーでさえ、「反革命の危険に対してスターリンと協力する用意があると提案した」(下p.45)らしいよ。
 こういう気持ちはドイッチャー自身にもあったってことじゃないかな。
 これは日本の、ごく古い共産党員の中にもあった心情だと思う。ソ連という体制は間違いはたくさんあったけど、それを根底から否定することは、自分が人生をかけてきたものを否定するような感情があった。だからソ連が崩壊したときにどう評価するかに躊躇があったと思うんだけど、最初日本の共産党は「解体は当然」という程度のトーンの声明だったのを、宮本顕治あたりが「双手あげて歓迎」という凄まじい「ふっきれ感」に変えて出し直したのは、政治的には恐ろしく敏感な「英断」といえるだろうね。まあ、日本共産党の反対者は「何言ってやがる」とは思っただろうけど。

独ソ戦というドラマ

――ドイッチャーもそれからは逃れていないというわけですか。 そう思うんだけど、だとしても1948年にそんな心情の欠片をもっていることを、誰がとがめられる? っていうか、その時点でここまで相対化しているってホントにスゲェって思うよ。
 まあ、前に戻るんだけど、反ファシズム勝利という今日の世界秩序の根底にあるものをソ連独ソ戦にほぼ独力で勝利することで導きだしたということは、人の心をうたずにはおれないと思う。
 独ソ戦って、すごくドラマチックでしょ?
 初めはヒトラーお得意の卑劣な不意打ちで破滅寸前まで侵攻される。大変な犠牲を払う。それで英米がほとんどあてにならない中で、一進一退をくり返しながら、ついには逆転していく。その間に、首都を捨てなかったスターリンの「英雄的行動」だの、スターリングラードでの「英雄的攻防」だの、まあ「大祖国戦争」とソ連で言われてきただけの逸話満載なわけだよ。物語化しやすい。
 ドイッチャーの本の中にも、例えばモスクワを放棄しないスターリンの姿に、ソ連国民が励まされる様子が出てくるよね。

当時をモスクワで過ごした人々は、後になって、スターリンが彼の政府の諸機関とともにモスクワを離れなかったという知らせが、モスクワ市民の気持ちを引きたたせた効果について述べている。モスクワ市民は、スターリン一身に象徴された、勝利への意思が不退転である証拠をこの知らせのうちに読み取った。(下p.138)


 それから、ドイツに抵抗し続けるソ連軍の象徴としてスターリン人気が西側で高まる様子も描かれてる。


――いつごろですか?
 1942年、スターリングラードの攻防の前だね。


――その段階で、ですか。
 そうなんだよね。逆に独ソ戦の帰趨がまだ決しない段階だから、神にも祈る気持ちで反ファシズムの願いを託していたんじゃないかな。もう大陸にはソ連しかいないわけだから。

西側内の古い反ソ感情に代って、ロシア的なものすべてとスターリン個人に対する一般大衆の讃嘆の声が急速に高まりつつあった。この声には子供じみた面もあったが、心から出た声であることは変わりなかった。ルーズヴェルトチャーチルも、溢美の言を惜しまなかった。西側の目には、それまでのスターリンの姿は、かけ離れた不可解な存在または反発さえも叫ぶものとして映っていたが、いまや、国民的愛情とでもいうべきものが彼の姿を包みはじめた。(下p.144-145)


――スターリンというのは、この独ソ戦において、どういう役割を果たしたのですか。その軍事的な才覚といいますか…。 ぼくも別に他の本をよく読んでいるわけじゃないから、このドイッチャーの書いていることによる他ないんだけど、よく問題にされる独ソ戦開戦時の「自信喪失」についてはやっぱり書かれているよね。


――不破哲三なんかはどんな感じですか。 違う立場だよね。不破は、一瞬青ざめたけど、その場ですぐ持ち直したっていう評価をしている。
 ドイッチャーの場合は、こうなんだよ。
 イギリスの政治家の証言として「スターリンに意気消沈の影を認めることができた」(下p.134)といい、終戦後のスターリンの戦勝祝賀会での発言「われわれは……絶望的状況を体験した」(下p.135)という言葉でそれを裏付けてる。

戦争の最初の数ヵ月間は、不安がスターリンの心をさいなんだに違いない。とはいえ、世界に対しては、彼は、ただ鉄のマスクしか示さなかった。/彼は、たじろぎもせず、自若として、この鉄のマスクを守り続けた。それは驚異的であった。恐らく、このマスクこそ彼の最大の武器であったろう。これは、彼の勝利への意志に、英雄的、ほとんど超人的様相を与えた。(同前)


 実際にはかなりの期間落ち込んだけども、すぐ鉄のマスクをつけつづけたっていう評価だね。外見的には不破と評価が一致している。


――これって、すごいことですよね。ほとんど自国の存亡の危機が迫っているというのに、動揺をほとんどみせずに戦争の指揮をとり続けるっていうのは。 そうなんだけど、フルシチョフや横手慎二なんかの評価はちがうんだよね。見た目にも絶望して、2週間は引きこもってしまった、みたいな感じ。
 あと、自分が不意打ちされたという戦略的大失態を犯しているにもかかわらず、緒戦の責任を現場将校にとらせて処刑したりしてる。こういうのを見ると、「軍事的天才」みたいな評価を与えるのはどうにもためらわれるわけだけど、それでもドイッチャーの本には、彼の軍事的采配ぶりがいくつも活写されてるんだ。
 不破が、ソ連を含めた第二次世界大戦の欧米各国の、政治指導者の軍事戦略の指導ぶりと比較して、日本では軍事的に責任をとるようなことがまるでないひどさを描いてる。この対極にあったのが、スターリンだといえるだろうね。

戦時中、クレムリンを訪れた多くの連合国側代表は、軍事、政治、外交など大小さまざまの問題について、スターリンが直接、最終的決定を下す場合が多いことを知って一驚した。彼は、事実上、彼自身の政府の最高軍司令官、国防相、主計総監、供給相、外相、そしてさらに儀典課長までも一身に兼ねていた。(下p.135)

――儀典課長っすか!? このあたりの描写は面白いよね。ドイッチャーは、スターリンの戦争指導をトロツキーチャーチルヒトラーと比較して、彼らが前線の戦闘現場に関心を寄せたのとは対照的に「戦争の体臭に心をひかれなかった」(下p.138)って書いてる。スターリンの軍事的才能の精華は、ロジスティクスだったみたい。

近代的表現を使えば、彼は主として、戦争を補給(ロジスチックス)の面から眺めた。人的資源と武器供給を適切な量と均衡のもとで確保し、これらを適切な時期に、適切な場所に配備、輸送し、決定的戦略的な人的物的資源を集結して、決定的瞬間に介入する準備を整えること――これらの作戦が、スターリンの任務の十分の九を占めた。(下p.139)

――こういう戦争観、戦争指導というのは、補給が全然ダメダメだった日本軍と好対照をなしていますね。 そうそう。


――不思議なのは、ソ連が暗黒の体制だったはずなのに、どうしてここまで国民的団結をつくれたのかということです。 ヒトラーもそう思っていたわけだよね。大粛清や集団化で国民の中に不平不満が渦巻いていた、だから、ドイツ軍が侵攻すれば、つまりドアを蹴破れば、腐った建物が瞬時に崩壊する、と予想していたわけ。
 それが頑強に抵抗し、逆に長期化するもとでますます屈強な粘りを見せた。
 ドイッチャーはこの点をものすごく肯定的にこう書いてる。

戦前にロシアの経てきた大変革は、そのあらゆる暗黒面にもかかわらず、国民の精神的資質を鍛えあげていた。国民の大多数は、ロシアの経済的、社会的躍進の成果を身にしみて感じており、外部からの危険に対しては、歯をくいしばってもこれを守り通そうと決意していた。(下p.151)

人心の安定がなければ、国民が苛酷な要求に応ずることはできなかった。また国土を熱狂のるつぼにまきこむことは不可能であった。このような白熱した熱狂裏のもとでこそはじめて、来るべき数年間の偉大な勝利をかちとることができるようになったのであろう。(同前)

ボリシェヴィキ」から「官僚機構」へ

――さて、独ソ戦についてはそれくらいにして、もう一つ紙屋さんが印象に残ったという点、「スターリン体制がつくりあげられる前と後では党の体質ががらっとかわっている」という点については。 うん、ボリシェヴィキっていうのは、いろいろいっても、西ヨーロッパ的な教養の最良のものを引き継いだ「知識人」の香りのする組織だったと思うんだよね。レーニンという政治機械はその象徴だったし、トロツキーブハーリンもそうだったといえる。


――レーニン的な知識人と、スターリン的な実務家を対立的に描くのは、しばしば聞きますよね。
 ドイッチャーによる、次のようなレーニン描写はいかにもレーニンという気がする。

レーニンは、彼の追随者の多くと違って、思想の実験所内の批判的研究者であった。最後には、彼は自分の発見を必ずなにか政治的に利用した。発見によってマルクス主義に対する彼の確信がゆらぐことは決してなかった。だが、彼は研究中は偏見にも私心にもとらわれずに、問題を追求した。彼は時には、自分の知識の大切な点が空白になっているのを埋めなければならないと感ずることがあったが、そのようなときには、問題点について自分の見解を述べる前に、大英博物館とかフランスの国立図書館に閉じこもって豊富な新しい資料をわがものとするため一年間も実際的政治活動から遠ざかることさえちゅうちょしなかった。(上p.103)


 少なくとも革命前というのは、社会科学的な学究の基礎の上に、政治的見解を築いていたという印象を受ける。
 党内で哲学論争もかわされるし、政治路線についても激論をかわしあう。
 そういう風土の中で、政党が運営されていたわけだよね。
 ところが、革命後のある時点から、この気風が死んでいくわけ。その一つの大きな契機を、ドイッチャーは、党内反対派の禁止にみてる。

拘束されない自由な内部論争の記録を持つ党にとっては、党内反対派の禁止はゆいしょある慣習からの最も劇的な逸脱だった。いまや、党は自己の性格と相容れず、自己を確立しようとして自己矛盾に陥った。(上p.182)

これから以後、党員は自分の意見を述べるのを恐れるようになった。個々の意見は調べあげられたうえで“相容れない階級の圧力”を反映するものだとされる恐れがあったからだ。どの見解がボリシェヴィキ的またはプロレタリア的であり、どの見解がそうでないかを決定できるのは最高権威だけとなった。政治局だけが革命的英知を保管するようになった。思想の交換は政治局から下部へと一方的にしか行われなかったので、指導者の大部分は彼らのあとをついてくる人々の気持ちと接触することがだんだん少くなった。党はだんだん官僚機構と変った。(上p.183)


――他人事じゃねえよって感じがします。 うん……。まあ、反対党が禁止されているっていう事態の中ではあるんだけどね。まあ、スターリンが台頭してくるのは、こういう風土の中なんだよね。

革命を救うため、党は独立心と批判精神と勇気を持つ革命家の自由な集まりでなくなってしまった。党の大部分はますます強力になってきた党機構に屈服した。それ以外に解決の道はなかった。この機構を動かすテコを取り扱い、これと最も緊密に結び付いている人、育ちと性格からいって、この新しい官僚的見解を最も身近に受け入れられる人――こうした人々が自動的に新時代の指導者となった。行政官が理論家を押しのけはじめ、官僚主義者と委員型の人が理想主義者を追いやった。(上p.184)


 言うまでもなくこれがスターリンなわけ。
 理論家じゃなくて、行政官、つまり組織実務者と専門家のようなテクノクラートが支配するような組織になっていく。
 革命運動にとって、組織をしっかり動かせる力がないと、ただのおしゃべりサロンになってしまうから、両者は理想からいえば統一されているべきだし、現実的には緊張感をもって結合されていないといけないはずだよね。
 レーニンというのは、その両面を兼ね備えていたということができる。


――党組織が大きくかわってしまったというわけですね。 ドイッチャーは、指導者すなわちスターリンの文体が国民的文体になってしまった悲劇を、スターリンによる党大会での報告の一文をあげて嘆いているんだよね。たとえばこんな調子。

わが党だけがどの方向に事を進めていかなければならないかを知っており、またそれを成功裏に導き進めている。わが党が勝れているのは何のお蔭か。それは、わが党がマルクス主義の党であり、レーニン主義の党であるからだ。それはわが党が、その活動に当たって、マルクスエンゲルスレーニンの学説を指針としているからだ。われわれがこの学説に忠実である限り、われわれがこの羅針盤を持っている限り、われわれがこの仕事で成功を収めるだろうことは、疑いの余地がない。(下p.56、17大会でのスターリンの一般報告)


 ドイッチャーはこの文体を指して、「歴史家たちは、かつてトルストイドストエフスキー、チェホフ、プレハーノフ、トロツキーを知的指導者として持った国がその言語、文学の精彩をこれほどまでに完全に抹殺されるのに甘んじたのは、どういうわけかといぶかるであろう」(同前)と皮肉ってる。
 いやー。ほんとねー。他山の石としたいですわー。マルキストとして、こんな文章だけは書きたくないねー。


――端折らずに言うと、なんでこれがひどい文体だと言えるんでしょうか。
 これは一応マルキストマルキストにむけてマルクス主義の「正しさ」を訴えている文章なわけですけど、だからといって無前提にマルクス主義の道が「正しさ」を保障するわけではないよね。あるいは、マルクス主義と冠されていれば、無前提に正しいわけでもない。
 たぶん、マルクス主義というものを、今後マルクス主義者と言われている人たちがどう扱っていくべきなのかということを論じようとすれば、これまでの歴史の中で大局的には正しい指針をさし示せたことを、大筋でスケッチするしかないと思うんだよ。
 たとえば、第一次世界大戦、恐慌、第二次世界大戦、戦後という具合に。
 そのうえで、マルクス主義が果たして解明できるのかどうか挑戦を受けている新しい事態があるよね。そこに挑めるかどうか、謙虚に研究していこう、みたいな呼びかけがあって、初めてマルクス主義をこれから刷新していくことに迎えるんじゃないかな。
 スターリン的な書き方は、知的な頽廃だよね。


――それはスターリン的実務家のマルクス主義のとらえ方に一つの根源があると思いますけど。 ああ、本当にそう思う。
 ドイッチャーがその点を的確に指摘してるよね。

スターリン型実務家の哲学的、理論的問題に対する関心は厳しく限定されていた。彼らはマルクス主義の通俗解説者から手渡されたマルクス哲学の基本方式を知的にも政治的にも便利な手段として受け取った。これらの方式は最も複雑な問題をも解く魔法のカギを与えるもののように思われた。――学問を半ばかじっただけのものにとっては、このようなカギを持つことほど安心感を与えてくれるものはない。半インテリ――社会主義はその中堅分子をこの層から取り上げた――はマルクス主義を、取り扱いが容易で、うそのように能率の高い、精神労働節約機械として愛用した。この機械を使えば、一つの思想を片づけるにはこのボタンを、別の思想をやっつけるにはあのボタンを押せば十分だった。(上p.103)


――うわあああああああああああああああああああああ。
 うわあああああああああああああああああああああって感じだよね。つうか、これ、俺のこと? みたいな。