松田奈緒子『重版出来!』


重版出来! 1 (ビッグコミックス) オリンピックをめざすほど柔道バカだった黒沢心が出版社に入ってマンガ編集部に配属される。黒沢が主人公というより、マンガ業界全体にかかわる人の労働を1話ごとに扱っていくオムニバスであり、黒沢の存在はそういう業界の人々を何かしら刺激していく触媒としての役割を果たしている。

働きマン』と『チャンネルはそのまま!』を思い出す

 一言でいって、安野モヨコ働きマン』によく似ているなと思った。
 『働きマン』には雑誌現場で労働するさまざまな「働きマン」が登場する。マンガ編集マンガってたとえば『編集王』のようなものはあるけど、雑誌や営業のしくみを微細にとりあげて世界のリアリティを構築するのとはちょっと違うよね。その点で『働きマン』と『重版出来!』はよく似ている。
 そんでもって『働きマン』がああいうふうに休載になってしまい、「あの後継がどこかで読めないかなー」と思っていた矢先にこのマンガだった。いわばニーズを埋めた形。


働きマン(1) (モーニングKC (999)) 中身もときどき『働きマン』っぽい。2巻112ページで編集部が業務としてツイッターをはじめるときに人間性がモロに出てくるのを描くシーンがあって、編集部の一人が各人のツイッターをながめながら爆笑するコマで「アハハハハハ」って笑うあたりとか。「なにがおかしいのですか?」という吹き出しの外の手書きも。
電車の中で軸をつくって立つ話とか。
 ベテランの松田にむかって「『働きマン』に似てるわー」っていうと完全にインネンつけてるみたいだけど、そうじゃないから! こういうのを読みたかったんだから!


チャンネルはそのまま!(6) (ビッグ コミックス〔スペシャル〕) (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL) もうひとつは、佐々木倫子『チャンネルはそのまま!』の主人公、雪丸花子を思い出す。ローカルテレビ局に「バカ」枠で採用されたと噂される雪丸が台風の目になって、テレビの番組制作周辺の労働を微細に紹介しつつ、それを変えていく(もしくは何も変えない)様子が描かれるからだ。構成が似ている(まあそんな構成のものは他にもあるけど)。
 雪丸が憎めないのは「バカ」だから。失敗の連続っぽいものに笑ってしまいながら、ときどきそれが大成功に変身したり、もしくは従来の価値観をひっくり返してしまうことにつながってしまうから。
 ところが、『重版出来!』の黒沢は、「ナイーブな小熊」であるけども、雪丸とは似ても似つかない。
 体育会系で熱い。すなわちマッチョに労働をこなすバイタリティがある。「労働への熱意は体力だけの問題じゃないってことはこの作品でもさんざん言ってるよね?」というツッコミがあるかもしれないが、そうはいってもお前がそんなにたくさん歩いて書店をまわって元気でいられるのはやっぱり体力があるせいだよね? といわずにはいられない。
 それと、黒沢がかかわった話は、漫画家も大変身するし、編集者の弱点も克服されるし、すごいことだらけなのである。身近にこういう存在がいたら、嫉妬するんじゃないか。「オレは考えすぎて何も成果が出せないが、黒沢みたいな素直な心、高い熱量で仕事すれば結果が出るんだ…」みたいな。コンプレックスのかたまりみたいになりそう。
 保育士の見習いみたいなことをして落語家に入門してしまう、尾瀬あきらどうらく息子』では主人公はびっくりするくらいうだつがあがらない。「うだつがあがらないけど、天才の片鱗がみえる」とかじゃなくて、もう全然。そういう主人公に比べると、黒沢のあまりにもスーパーウーマンぶりがまぶしい。まぶしすぎる。

暑苦しいし無瑕疵すぎるぞ黒沢は

 黒沢が無邪気に放つ言葉って、オレが批判されているみたいなんだ。高いテンションで「やりがい」をうたうマンガはそこが怖い。
 1巻の「売らん哉!」という3連続の話に出てくる営業・小泉は、「仕事としてはしっかりこなしているけど、本当に打ち込んでやってはいない」という存在である。小泉は営業での攻勢をかけるためにサイン会をしたいと思って作家の担当編集に話をもちかけるが、担当編集はフェイスブックで遊んでいるくせに、サイン会などという面倒な話をもちかけるのをしぶる。「オレだったら──もっと仕事に打ち込むのにな…」とふと思う。ふと思うけど、もっと打ち込んでいる先輩編集者と遊んでいるっぽい編集者の中間のようなところにいる自分に気づいて恥ずかしくなってしまう。
 存在感や熱量が低くて書店から「ユーレイ」といわれていたことにショックをうける小泉。「ユーレイ」から脱出したい。「本気」になりたい。「頑張りたい」。小泉は他方で「頑張れ」とか「頑張って」という言葉が嫌いである。「頑張れ」がインフレをおこしてゲンナリするからだという(そういうことを今そこで「私たちも頑張って売りましょうね!」といった黒沢の前でよく言えるよな…とは思うが)。
 この話は、結局小泉が本気を出していない自分を否定して、本気を出すように変革されることで結末がつけられる。黒沢的なマッチョさで化学変化を起こされるのである。


 ひとが変わる、というときには、内発的な矛盾にエネルギーがあるというのがぼくの信念なので、その意味では小熊こと黒沢の役割が大きすぎる。小泉がもっと自分の現状に対して底を打たなければならない。黒沢はもっとバカで、軽くあってほしいのだ。

でも泣いたぜ

重版出来! 2 (ビッグコミックス) なんか悪口みたないことを書いてるな。
 しかし、面白いんだよ。マンガオタクにとって、マンガが製造される細部の世界や描写がこれだけ綿密に描かれていればやっぱり基本は面白い。


 2巻の「シンデレラの夜!」はなぜか泣いた。
 マンガの原稿が製版会社にもちこまれる。その製版労働者の女性・及川を描いている。
 
 及川は仕事が大好きで、しかもマンガが大好きなのである。
 だから、お見合いで話すことはマンガや仕事のことばかり。そして、たいがい見合い相手の男性はそれにあきれる。
 ところが、いま話をすすめている「潤一さん」は違う。マンガ、しかも及川の担当雑誌がものすごく好きで話がこれ以上ないというくらいに合う。しかも、女性が男性にまざって深夜まで労働するということにも理解を示し、「いいお仕事ですねえ」と言ってくれる。いや、深夜労働を礼賛するんじゃなくて、及川が語る職場の楽しさに心底共感してくれるのだ。
 「潤一さん」が及川お気に入りのアーティストのライブチケットをわざわざとっておいてくれた。誕生日。そこでプロポーズされる予感を持つ。

話が合って
気が合って
彼以上の人はもう見つからない。

とは及川の独白。
 そう。これは「この戦争が終わったら、俺、結婚するんだ…」的死亡フラグ


 そうしたら来ましたよ、やっぱり。
 残業。
 及川は仕事を選んでしまった。プレミアライブをドタキャンし、怒らせてしまったのではないかと落胆する及川。

こうやっていつも仕事選んで、
チャンス逃して──
頑張ったって報われないのに──
私のかわりなんて、たくさんいるのに──

と沈みきったところに黒沢が原稿をギリギリ持ってくる。
 ナマ原稿を開ける最初の感動が大ゴマで描かれる。

それでも、この感動を裏切れないの──

 頑張りが報酬や評価の引き上げ、社会的承認に結びつくわけでもない、という自己確認の一言がセリフに入っていたのがぼくには効いたと思う。家族(結婚)や社会的承認を欲しているぼくにとっては、そこを捨ててまで仕事が与える「感動」を選ぼうとする業の深さというか、修羅の道をむしろ見た。鬼気迫っているのである。


 疲労困憊しつつも、黒沢のいい笑顔に救われた及川は、「いい笑顔だな 疲れふっとぶわ…」と自らを慰めつつ家路につく。


 と、そこに!
 なんと、「潤一さん」が会社の前のコンビニで待っていてくれたではないか!
 ケーキを買って。
 そして、

マンガ読んで待ってたから


というセリフつきで!
 涙があふれだす及川。
 泣いたよ、いっしょに。おれも。


 マンガへの職業的愛情が度が過ぎる演出をするために、最愛の彼氏を切る、という演出をするのかと思いきや、どこまでも深くマンガと彼女を愛してくれているという逆転で……くそう、こんな演出で泣くなんて、とは思いつつ、よかったわー。