『放浪息子』逐巻的精読(4) 13〜14巻

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放浪息子 13 (ビームコミックス)
紙屋A いよいよラストですね。
紙屋B そうですね。別にたいしたオチもありませんが。
 紙屋Bさんは、高槻さんには全然反応してませんね。
 そんなことないですよ。普通にかわいい。かわいいんだけども、特にこの13〜14巻っていうのは、おしゃれしなかった女の子がおしゃれに目覚めていくみたいな感じで、本当に普通なんですよね。
 どうして反応しないんでしょうか。
 よくわからんのですが、確かにさおりんが言っていたようにそれまでの高槻くんは「女であることが嫌なだけ」という感じで、男性化しようとしたいた。というか中性化しようとしていた。男のぼくからみると、たしかにそれは「女が脱けていく」みたいな感じでしかないんですよね。
 ということは、女っぽくなっていくこの13・14巻あたりは萌えるんじゃないんですか。
 うーん、そうやって女っぽくなっていく高槻くんですが、女性として魅力があるかというと、別に…という感じなんですね。凛としているわけでもない。それこそ、さおりんの言うようにうじうじしているだけ。逆に真穂みたいなかわいさがあるかというとそうでもない。14巻でナンパされる高槻くんが出てきますが、あのときのかっこうも「普通にかわいい」っていうだけですよね。
 酷評ですね。
 いやっ。だからっ。別にキライなわけじゃないんですよ。ひっかかりがないんです。
 ふーん。他方で、末広安那にはムッハーなわけですか。
 目が離せないっていう感じなんですよね。13巻ではもうなんといってもあのマッサージですよ。まあ前も書きましたけど、マッサージってやらしいじゃないですか。
 あやまれ。全国のまじめな鍼灸マッサージの人たちにあやまれ。
 いや、どんなに健全な職業でも、そうですね、たとえば医者でも、他人に体触られるのってすごく気持ちいいんですよ。ぼくは。ましてやそれで快楽がそこから湧き出るとなるともうね。自分がにとりんだとしたら、という気持ちであのシーンをみると、安那ちゃんみたいな子にマッサージの体裁を借りて欲情されているというのが目もくらむ感じです。安那ちゃんがうっすらと自覚している感覚が…こう…かわいいっていうんですかね。
 いやいや、別のことをしていたら、アレになってしまうという、エロネタの定番でしょ。
 そんな身も蓋もない言い方はやめるんだ。
 それ以外のシーンにも安那は出てきますが。
 あとはですね、安那ちゃんに萌えるというよりも、真穂とのからみのあるシーンが、2人そろうとすっごいリアルな空気が出るんですよ。ぼく的には14巻の「ぼさつ」会話。
 ああ。修一が安那と高槻さんと一緒にいて「そんなことないよ かわいいよ」とさらりとほめるんですよね。それでそのあとすぐ場面がきりかわって、安那と真穂がゲームしながら会話している。「あの年頃の男子でさ なかなか面と向かって女の子にかわいいって言えないと思う やっぱメンタルが女子なのかな」って安那が言うんですよね。
 そうです。で、真穂が「最低最低最低!! 自分の彼女の前で他の女の子ほめる男なんて最悪だよ!」って騒ぐという。安那ちゃん、すっごく冷静で、微笑んでゲーム画面みながら「シュウのそういうところがおもしろいなって話」と言う。それを聞いて真穂が…。
 「もー なんでそんなにぼさつなの? なに極めたらそうなれるの!?」ってかわいく妬むという。これ、何がいいんですか。
放浪息子 14 (ビームコミックス)
 まず、女の子のかわいさをきちんとほめると女の子はうれしいっていうネタを、フェミニンでありたいというぼくが渇望しているわけですね。
 いやー、それ、あんたがリアルでやったらキモいでしょ。
 そうなんですわ!!!! なんかさあ、いざ自分のパートナー以外の女性に言おうかと思うと、声がうわずって、口に出しているころにはハアハアした感じになってものすごく男臭くなる。完全にセクハラおやじですよ。
 自然に言うんですよ。意識して言ったら身も心も立派なセクハラおやじでしょう。
 同じこと言ってもホントにさらりと言えちゃう人がいて、なんていうんですかね、差別ですね。これは。んで、安那ちゃんって全般的に達観してるでしょう。そゆとこに知性を感じるんです。でも達観しきっているわけじゃないから、「ほ 他の女の子 ほめないで」なーんて言ってしまうあたりがすごい愛すべき隙ですよね。かわいい。達観している自分は必要だと思いながら、「まほはかわいいな あたしはまほみたいになりたいと思う かわいくわがままがいえるのはいいなぁ」というふうに制御できない自分を出したいというあたりがほどよく矛盾しているんですよね。本当に横にいたら、まあつきあってやってもいいかな、と。
 アホか。
 そういう点では海老名泰一郎とそのお見合い相手も落ち着いていていいですね。どこかしらに達観がある。とくにあのお見合いの女性。「愛されてますね」とか「もうずっと好きな人もいないし」みたいな言い方が渋い。これにくらべて、にとりんのお母さんはいけませんね。動揺しすぎでしょう。にとりんの体育祭で混乱して泣いちゃうという感じが、親としてはすごくよくわかるんだけど、どうにもいけません。
 結局本当にめまぐるしく評価の視線や感情移入の立場がかわるわけですね。
 そう思いました。だから多義的に楽しめる。性的な視線や立場が単層な人では楽しめないのではないでしょうか。
 いや、お前もほとんどモテない男の目線からあんまり外れてないんだけどな。

おわり