ぼくも家系図を作るのにハマっている。
ぼくが参考にしたのはこの本。『家系図を作ろう!』。
120ページほどでイラスト・図が多い本だ。知りたいことが簡潔にわかる。冒頭で紹介した記事でも書いてある通り、役所に行って「系図を作りたいのでさかのぼれるだけ戸籍・除籍簿*1がほしい」というとたいてい担当者が親切に教えてくれる。
ハンコと身分証明書、そして手数料のためのお金を持っていけばOKである。あとはその場で記入する書類だけだ。
郵送でもできるが、詳しくはこうした類の本を買ったり借りたいして調べてほしい。
除籍簿の文字は最も古いものが明治に書かれたもので、少し読みにくい。ただ、数人の分をじっと見て記述のパターンを覚えてしまうとあとはスラスラとわかった。
戸籍でたどれる一番古い人はマルクスと同じ頃
父方の方は完成した。
除籍簿に記されたもっとも古い戸主は「嘉永5年」=1852年だった。
A三郎としておく。
A三郎には父・B兵衛がいて、それが「前戸主」として小さく載っている。しかし、B兵衛の生没年はどこにも書いていない。
残念!
ところが、B兵衛の妻(A三郎の母)・C子は「文化13年」=1816年生まれと書いてある。これが除籍簿に載っている最も古い年である。
C子は「明治元年」=1868年に亡くなっている。
ということは、B兵衛もほぼ同じ頃の生没年だろう。
伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」が完成した頃、あるいはカール・マルクスと同じ頃に生まれて、明治維新の頃に死んでいる。
ぼくの「おじいさんのおじいさんの父親」がB兵衛、その妻がC子。
これがわが紙屋家でたどれる一番古い夫婦である。
ぼくの家の除籍簿を調べても、「隠された大いなる秘密」のような特別なものはなかった。
戸籍の中にはいわゆる「戦死者」さえも一人もいなかった。
それでも、戸籍(除籍簿)には、人の不思議な運命がいろいろ書かれていて、ぼくは昨年のちょうど今頃から夏にかけてこの「ミステリー」の読解に深々とハマっていた。
父親が亡くなり一家がバラバラに
例えば曽祖父(ひいおじいさん)の弟・D治郎の子ども4人は、D治郎が30歳で亡くなると、養子に出されたり、戸籍を抜けずに遠くに行ったりしている。
長男のE雄は父D治郎の死から6年後に名前を変えている。どうも紙屋家の戸籍を抜けないまま、隣の県に住んでいて、20代でその隣県で死亡している。死亡を「同居人」が届け出ているのだ。これは推察に過ぎないが、結婚せず改名して遠くにいるというのは、寺に入って僧侶になったのではないだろうか。
二男のF男は戸籍を抜け、遠くの島(F島)へ、養子にもらわれていく。少なくともF島に親類がいるとは聞いたこともないし、F島に行ったこともなく、存命の父も何も知らない様子であった。養子先の名字(J山)も初めて聞く名字だった。
三男のG郎は、父D治郎の死から20年経って25歳で結婚し、他家の婿養子として迎えられ、紙屋家の戸籍から抜けていく。
四男のH夫は、父D治郎の死から6年後に、近隣の村に養子に出されていく。
曽祖父が紙屋家の「戸主」だったわけだが、その家のどこかに住む形で曽祖父の弟・D治郎一家は暮らしていたと思われる。
しかし、D治郎の死によって、この「居候」的な一家は解体し、妻は里帰り、子どもたちは次々養子に出されていく。
ただし、紙屋家に長く残った子ども(三男・G郎)もいた。
三男・G郎が結婚するよりも前にぼくの父が紙屋家で生まれており、父に「G郎を知っているか」と聞いたら「知っている」と答えた。しかし父は「遠くの親戚としてのG郎」を知っているだけで、「G郎がかつて紙屋家にいたということは知らない・記憶にはない」と答えたのである。
その時の雰囲気はどういうものか知らないのだが、戸籍(除籍簿)から読み取れることは客観的に見れば「一家離散」である。
ぼくはしんみりしてしまった。
そして、あろうことか、この二男のF男が養子にもらわれていったF島を訪ねてしまう。
F島は小さな島であるから、墓誌などを見て回ったりした。すると養子先と同じ「J山」という名字はいくつかあった。F男と同じ名前、つまり「J山F男」の墓誌もあったので思わず宿泊先の民宿に事情を話してしまったら、親切にもその民宿が知り合いの「J山」さんやその近隣の「J山」さんに電話までしてくれた。
すると、つながった電話に出た一人の話によれば「確かに養子で来たF男という人は覚えているが、F男はもう亡くなったし、子孫はだいぶ前に島を出ていってしまった」ということであった。ああ。
まあひょっとしたら突然現れた「遠縁を名乗る中年男性」を警戒して嘘を言ったのかもしれないが、もうF男の痕跡はこの島にはないのだなと、とりあえずあきらめるしかなかった。(会ってどうしたかったのか、と問われれば困ってしまうのだが。)
写真の整理
家に眠っていた古い写真も掘り起こし、できる限り顔・名前が一致できるようにさせた。一番古いのは、A三郎の妻(1852〜1915年)の写真であった。
世話になっている寺の過去帳についても、他の家の個人情報が侵されない形で閲覧させてもらった。除籍簿よりも古い情報が出てくるのではないかと思ったからだが、除籍簿以上の情報は出てこなかった。
祖父の兵歴についても調べようとしたが、該当する資料は保存されていないようであった。
さっき実家のA県に照会。対応は非常に丁寧。A県では終戦時に文書を焼却したため3割しか残っておらず(怒)、祖父の名は同姓同名含めリストに無し。「恩給を受けていたら別の探し方がありますよ」と言われた。 / “第二次世界大戦で兵隊に行った親族がいたら三親等以内なら…” https://t.co/UUhIVaVa2E
— 紙屋高雪 (@kamiyakousetsu) January 30, 2019
今、母方の系図づくりに取り掛かっている。
また、系図づくりとは別に、80を超えた父と母からライフ・ヒストリーについて聞き書きをしている。祖父が亡くなっていろいろなことがわからないままになってしまい、ひどく後悔しているからだ。
自分のルーツを何らかの形で知っておきたい人は、祖父母・父母の聞き取りと合わせて今の時期にやっておいてはどうだろうか。
差別問題と戸籍
ただし、自分のルーツなど知りたくもない人、思わぬことを知ってしまうのが嫌な人には当然オススメしない。
また、差別問題については、前述『家系図を作ろう!』には次のような記述がある。
最初の近代的な戸籍は、この年〔明治5年〕の干支(えと)をとって「壬申戸籍(じんしんこせき)」と呼ばれました。しかし、これには差別問題につながる記載があったことから、昭和44年以降、閲覧禁止となり、除籍謄本…などの交付も行われていません。つまり現在では誰も見ることができないのです。(『家系図を作ろう!』p.50)
(紙屋家についての記述は一部事実を変えて記載しています。)
*1:戸籍に記されている家族が死亡・婚姻・離婚などで全員除籍になった「ぬけがらの戸籍」のこと。戸籍簿から除かれて閉じられ保管されている。