『この世界の片隅に』の原作とアニメの距離――もしくは戦争についての創作はどう描くのが「成功」なのか


 書いていたら長くなった。
 先に要旨をまとめておく。

  1. マンガ『この世界の片隅に』は前半が戦前・戦時の日常の描写、後半が主人公の心象であり「記憶」と「想像力」をめぐる物語である。他方、アニメ「この世界の片隅に」は、戦前・戦時の日常をそのまま再現・保存することにしぼられた作品であり、原作のもつ後半部分は後景に退いている。両者は別々の作品(別個の価値をもつ作品)である。
  2. 戦争小説・戦争をめぐる創作(マンガ・アニメ・映画・ドラマ・演劇…)は手法と題材を選ぶことで、何かを強調し、何かを切り捨てるので、どんな作品であっても批判は呼び起こされる。多様な書き手が多様に描くことでしかこのジレンマは解決されないのではないか。

 以下は、映画・原作のネタバレが含まれている。


「暗い」「つらいから読みたくない」と「楽しくて何度も読み返したくなる」

 「女性のひろば」という雑誌(共産党発行)の2017年1月号に「『この世界の片隅に』に寄せて」と題してぼくの一文が載った。
 

 実は、同じ号に、児童文学者のみおちづるが、「〈文学のピースウォーク〉が伝えたかったこと 新しい戦争児童文学への挑戦」と題する一文を載せている。
 〈文学のピースウォーク〉は、日本児童文学者協会設立70周年記念出版して刊行された全6冊のシリーズで、みおは次のように書いている。

これまでの戦争児童文学は、その多くが戦争体験に基づいて、戦争の悲惨さを訴えるものでした。それはそれで、体験が激しく胸を揺さぶるものでしたが、今の子の多くが「暗い」「つらいから読みたくない」と敬遠する理由にもなっています。また、加害性に目を向けていないという点もありました。(前掲「女性のひろば」p.97)

 これは、ぼくが今回同誌に載せた一文の冒頭で「この世界の片隅に」(原作とアニメ)の感想として次のように書いたことと、奇しくも対応している。

楽しくて何度も読み返したくなる「戦争マンガ」、何度も観返したくなる「戦争アニメ」なんて、これまであったでしょうか。……折につけ、ぼくは原作のマンガを「楽しむ」ために読み返します。そして、映画もまた同じ気持ちになりました。(実際もう3回観ました)(p.106)

 そのあとで、実際に描かれたエピソードをどう「楽しんでいるか」をつづった。
 マンガの方は、娘(小3)と楽しむ。というか、娘が率先して楽しむ。
 彼女は、ぼくの本棚から勝手に取り出して読み、ぼくの気づかぬコマの細部のセリフや描写を指摘し、笑い、セリフの言い合いをぼくとする。
 別にぼくが娘に「いい本だからこれを読みなさい」と与えるわけではない。
 娘はそういう「教育的配慮」が効く相手ではない。「大義」や「大きな物語」ではなく、面白いもの・断片にうごめく。サブカルでありオタクでありポストモダンなのである。*1
 こうの史代この世界の片隅に』は、娘の好きな「ちゃお」の各種連載作、『双星の陰陽師』『あたしンち』『僕らはみんな河合荘』『デストロ246』『大砲とスタンプ』のような雑多なマンガ作品群とのフラットな競争に(しばしば)打ち勝って、娘の手に収まるのである。*2


 そして、ぼくは「悲惨な戦争モノはもう古い。これからは明るくいかなくちゃ」などということを主張するつもりも毛頭ない
 ただ、戦争を小説なりマンガなりアニメなり実写映画なりにする際には、どのように描くことがいいのか、という模索があり、ぼくの一文も、みおの一文も、その問題意識のど真ん中に触れているということなのだ。

「戦後世代にどう届けるか」という、こうのの問題意識

 ぼくはこうの史代の『夕凪の街 桜の国』を読んだ時(2004年)にこう書いた。

 作者は、ほぼ、ぼくと同世代で、完全な戦後世代である。戦争や原爆の体験はおろか、その「におい」さえも体感できない世代だ。戦後世代にとって、あの時代の「リアル」をどうとらまえて形にするか、苦闘が続けられている。そのみごとな結晶の一つが本作だ。
 戦後世代は、戦争を体験した世代には有効だった表現を、ともすれば「力みすぎ」といったように受け取ることがある。逆に、力をぬきすぎたり、奇をてらうと、届かない。戦後世代にとどける「戦争漫画」というのは、思いのほか難しい。実在したリアルをどう内面のリアルへと結晶させるか。こうの史代はこの課題にみごとに応えた。

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/yuunagi.html


 また、『この世界の片隅に』を読んだ時(2009年)にもこう書いた。

 こうのがそこで述べていること、書いていることには「戦争が終わってはるか後に生まれた私たち戦後世代が戦争というものをどう描くのか」という問題意識が一貫して感じられる。
 こうのが世に知られるきっかけとなった『夕凪の街 桜の国』という、原爆について描いた作品についての感想でも、ぼくはそのことを感じた。とりわけ、こうの史代はぼくと同世代であるだけに、そのことを強く意識せざるをえない。
 したがって、『この世界の片隅に』についても、ぼくは同様の問題関心からずっとこの作品を読んでいった。つまり「戦後世代が戦争というものをどう描くのか」という問題意識である。戦後世代にどう届けるか、ということはもちろんそこに含まれているが、同時に戦争体験世代にどう距離をとるかという問題もそこには含まれている。

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/konosekaino-katasumini2.html


 それは、戦争を描こうとする人たちにとっての焦点であり、もっと広く言えば、戦争体験の継承をどのように国民として行っていくのか、という課題でもある。
 こうのは、自分のマンガを誰と共有してほしいのかということを、くりかえしいろんな媒体のインタビューで述べており、この問題意識が一貫している。*3

私の描いたマンガが家族の昔の話を聞くきっかけになればいいなと思います。(中日新聞2009年4月26日付)

これを読みながら体験者にも話をしてもらえたら、心の中にあるものを私たちと共有できれば、との願いを込めました。(しんぶん赤旗日曜版09年2月15日号)

 

日常の保存・再現に重点をおいたアニメ

 「この世界の片隅に」のアニメを作った監督・片渕須直は、もっと徹底している。
 このアニメ作品については、主人公である北條すずが生きて動いているかのような「立ち上がり方」をさせたことは、すでにいろんなところで言われているし、ぼくら自身がこの映画を体験して実感している。


 そのことを、どのように実現したかと言えば、アニメ独特の手法の他に、アニメが描いた「この世界」、つまり戦前・戦時・戦後の呉・広島を、幾重にも豊かに・緻密に事実を積み重ねることで再現させたのである。

やっぱり僕らは直接戦争を体験していないから、仮に親に聞いても、それをそのまま孫引きしているだけじゃだめな気もするわけです。もちろん「戦争中って本当はこうだったんだよ」という体験者のオーラルヒストリーも大事なんですけど、それは結局そのひとのイメージや記憶の世界ですよね。そうじゃなくてもっと客観的にその時代をとらえ直すには、たとえばその当時に撮られた写真であるとか、日記であるとかが重要になってきます。写真には当時の姿が生のまま写っているし、日記には戦後にいろんな知識が入ってきて記憶が改まってしまう前の言葉が綴られている。それから当時出ていた雑誌の記事とか新聞とか公文書とか、そういうものから七〇年ちょっと前の世界というのを読み取って構成できるようになりたいと思ったんです。このやり方は戦時中を体験したひとがいなくなっても有効なままでしょうから、僕らがもし後世に伝えられるものがあるとしたら、そういうことなのかなと。どこで何を調べれば当時の様子がわかるのかという、読者や視聴者にとって調べ方の道標にならないといけないのかなと思っているんです。(「ユリイカ 詩と批評」2016年11月号、青土社、p.93-94、強調は引用者)

 あたかも当時を切り取ってきて冷凍保存したかのように。
 昔の人の話だけでなく、当時の記録や写真を積み重ね、それらから逆に当時を生きていた人たちの証言と突き合わせながら、立体的に再現していく。
 こうして設計したものを、実写のセットでもなく、当時のフィルムをつなぎ合わせるでもなく、アニメーションによって立体化させてしまったわけである。
 これはある意味で、ずいぶん極端な作品思想の表現でもある。「読者や視聴者にとって調べ方の道標」としての作品。つまり戦争に対する気持ちとか思いを形にするのではなく、戦争当時の状況を、上書きされる前の状態で保存・再現しようとするからである。今「極端な」と書いたが、悪口ではない。一つの明確な目的意識を持った作品思想に立っている、というほどの意味だ。


 簡単に言えば、映画を観ている者は、すずが生きている日常に封じ込められる。
 2時間10分の間、その日常から離脱することはできない。
 だから、原作(マンガ)を読んだ時になかった、涙が何箇所でも溢れてくるような、激しい情緒への揺さぶりがやってきた(一つは晴美が死ぬシーン、二つは終戦のシーン、三つは孤児を引き取りエンディングが流れるまでのシーン)。

空襲について「リアルを抑制」した原作、「日常に侵入する恐怖」として描くアニメ

 他方で原作マンガは、むしろ作品が描いた日常から、いつでも離脱可能である。
 「本」という形式がそのようにさせるのであるが、そもそも連載という形をとっているので、日常の中にある笑いのあるエピソードは、1話ごとの「オチ」としてぼくらに与えられる。ゆえに「お話」を読んでいるという気分がどこかに漂う。
 そして、最初の空襲シーンも、アニメのリアルさとはむしろ真逆の、空一面を米軍機(グラマン)が覆うという、一種のファンタジックな描き方をしている。こうのによればこの描き方は「空襲の体験記に、同じような絵があるんです。空が真っ黒になるほどの飛行機が突然湧いた、と」(『「この世界の片隅に」公式アートブック』宝島社、p.90)というものだが、心象風景であることは間違いない。その心象風景に必ず根拠を求めているのも、こうのらしいやり方だが。
 艦載機に機銃掃射させるシーンの「たたたたた」という音のどことなしのユーモラスさもそうであるし(下図、こうの『この世界の片隅に』下巻、双葉社p.66)、呉の街が空襲で燃え盛っている大ゴマも、アニメの写実的な描写と対照的である。いずれもすずの心象風景であるという印象をぼくらは強く持つ。

 写実的なリアルさをこうのができる限り抑制したといってもよい。
 そうすることで、こうのは、空襲を恐怖によって描こうとする、これまでの潮流から一線を画したのである。



 片渕は、そこを描こうとした。少し描いただけでも、それは本当に日常に空襲が侵入してきたようなリアルさを獲得して、びっくりしたことを片渕自身が次のように告白している。

映像に音声と効果音と音楽を合わせるダビングという作業の、その最初のプリミックスのときに、自分でもはじめて音つきで全篇通して観たんですね。そうしたら大変な感じがして……効果音が全部ついているわけですけど、いままで普通に暮らしてきた世界に、戦闘機や爆撃機が飛んできたときの怖さといったらなかったんですよ。自分ではそういうのも含めて全部計算したうえでつくってきたはずなんですけど、実際に観てみたら、怖くてしょうがない。こんな戦争なんか二度と描くかって思うくらい怖かったんです。(「ユリイカ」前掲p.94、強調は引用者)

 片渕は原作を使いながらすずの心象風景をさしはさんでいるものの、こうのの空襲描写との違いは歴然としている。機銃掃射についても、弾道のたわみから、地表で弾ける質感に至るまで、こうのの「たたたたた」とは大きな差がある。呉の街が燃え上がる様子は、煉獄の火のようなこうのの描写と対照的にリアルな「赤み」を帯びて、そこに「呉のみなさん、頑張ってください」と虚しいラジオ放送の連呼が入ることで、恐怖感が増す。


 片渕が日常を厳密に再現し、あたかもコールド・スリープのように取り出して見せることに腐心したことにより、原作にある「日常の笑い」は「連載の1回1回のオチ」という体裁が完全に消滅し、「日常のエピソード」そのものに変わる。
 ぼくが「女性のひろば」1月号で、すずが海岸線を描いていて憲兵にとっつかまってしまうシーンで起きる「笑い」について書いたのも、原作以上にアニメについてのことだった。まるで日常でよく起きる「思い出し笑い」のようにあのエピソードが思い出されるのである。


 こう書くと、日常を描くという点においてアニメの方が原作よりも優れているかのようであるが、空襲のシーンも含め、まるで「お話」のような色彩で戦前・戦時の日常を手に取れるという点では、実は原作の方に強みがある。例えていうなら、絵本を手にとって開くように、原作の描く「日常」に接することができるのである。
 もちろんそれは「本」という体裁であることが大きいのだが、それだけでなく、原作が民話・絵本・お話のような形をとっているせいでもある。


 これは優劣の差ではなく、戦争体験の継承ということを念頭においたときに、役割の違い、機能の違いということなのだ。

原作の後半部分をアニメはどう描いたか

 原作について、ぼくはかつて次のような感想を書いた。

こうの史代『この世界の片隅に』上・中 こうの史代『この世界の片隅に』上・中

こうの史代『この世界の片隅に』下巻 こうの史代『この世界の片隅に』下巻

 簡単に言えば、戦前・戦時の日常を描くことを中心にした前半と、すずの心象風景が中心となる後半を分けて作品を把握したわけである。
 後半の「すずの心象風景」とは、記憶と想像力をめぐる物語ということだ。
 晴美と右手を失うということの意味、それを「回復」するとはどういうことかを描いている。
 特に下巻は右手が失われ、「この世界」が「左手で描いた世界」になってしまっている。そしてラストはその失われたものが回復され、色彩を取り戻した世界としてよみがえる。これらのことは、まさに、「すずの心の中」がテーマになっていることを端的に示している。
 アニメでは、空襲シーンにおけるすずの心象のコマ同様に、「左手で描いた世界」は、ほんの一瞬さしはさまれるだけで、世界はリアルに保存・再現された日常のまま進行していく。
 ラストで原爆孤児を引き取るシーン、晴美の記憶について話すシーンは、アニメにもあるのだが、まず第一に、この2つのシーンにあった原作の重要なセリフは「あっさりと」改変されている。
 帰還した水原の横を通り過ぎていく際に、すずが述べるセリフは原作では「記憶の器」であるが、アニメでは「笑顔の入れもん」である。
 ここは、晴美が爆弾で殺され、その際に自分にも責めがあったのではないかと思い悩んできたすずが、その記憶を切り捨てるのか、向かい合うのか、結論を出す決定的なシーンでもある。
 原作では「記憶の器」という言い方をしているのは、笑顔で思い出す晴美も、爆弾で殺されてしまった晴美も、どちらもあるがままに受け止めるしかない、というある意味で「器」という受動的な存在であることをきちんと表現したいためであろう。「器」は受け身で注がれるままであり、注がれるものを主体的(=恣意的)に選択しないからである。晴美の記憶全体が豊かなものなのだから、切り捨ててしまうのはもったいない、というのがすずの出した結論なのだ。
 ただ、記憶とは本来そういうものである。
 ある記憶や歴史が気に入らないからといってデリートしてはいけない、そういう性格のものではないか。
 このことは、やはりアニメではカットされたリンのセリフでも裏付けられている。

人が死んだら記憶も消えて無うなる
秘密は無かったことになる
それはそれでゼイタクな事かも知れんよ(中巻、p.136)


 アニメではこのセリフは「笑顔の入れもん」に変わっている。
 「記憶の器」という言い方が、日常にそぐわない・すずらしくないということでもあろうが、原作はあえてそこに違和感を持たせることでフックを作った。
 アニメはこの言い方を日常の中に溶け込ませるべくシームレスにしてしまい、「笑ろうて暮らせる」「わしを思い出して笑ろうてくれ」というアニメ作品の中でくり返される「日常の笑顔」というテーマへ回収している。この描き方は、すずの日常とぼくらの日常がつながっている(地続きである)ということや戦争が日常に侵入してくることを対比的に描き出す際に効果的な役割を果たすのだが、この点では、すでに原作の描きだそうとしたものは、後退している。もしくは別の描き方をされている。


 ラストで原爆孤児を引き取るシーンでも、アニメとの大きな違いがある。
 原作ではすずは、

あんた…
よう広島で
生きとって
くれんさったね(下巻p.139)

と声をかけて、孤児の手をとるが、アニメではそのセリフは省略されている。
 このセリフはこうのの『夕凪の街 桜の国』のあるシーンを思い出させる。
 『夕凪の街 桜の国』において前半の主人公である皆実は、原爆が落とされた日に陰惨な世界が広がり、他人を見捨て自分だけ死ねなかったことへの違和感を捨てきれずにいたが、やがて原爆と向き合うことを決意し、自分が生きていてもよかったということを恋人に「教えてください」と告げる。


 原爆で生き残った人たちが抱える罪の意識は、原爆を描いた文学や作品に繰り返し現れるテーマで、こうの史代はそのことを踏まえてこれらを描いている。

こうして出来た「夕凪の街」は、いくつもの原爆文献で何度も繰り返され、すでに「民話」のように決まった型を踏まえた物語となりました。(こうの「文庫版あとがきに代えて/『夕凪の街 桜の国』双葉文庫

 ところがアニメではこのセリフを削ぎ落とした。
 削ぎ落とすことによって、孤児を引き取るという事件は、記憶・想像力・贖罪などといったテーマから切り離され、特別な意味合いが後景に退き、日常の中のエピソードの一つに収斂していく。


 つまり「記憶の器」も、「よう広島で生きとってくれんさったね」も、そしてリンの「人が死んだら記憶も消えて無うなる」も、ぼくが「ユリイカ」の論評で取り上げた原作の3つの重要なセリフはすべてアニメでは削除・改変されていることになる。


 しかし、それはアニメの瑕疵ではない。*4
 先ほども述べたように、原作は前半の日常、後半の記憶と想像力をめぐるすずの心象という、二つのテーマを取り扱ってきたが、アニメでは後半の設定について大胆に省略・作り変えを行い、原作の前半部分を極度なまでに徹底した「日常の再現・保存」の中へ溶かし込んでいったのである。
 要するに、原作マンガとアニメは別々の作品なのである。
 別の言い方をすれば、戦争に関して記憶と想像力のことをテーマとする作品を読もうとするなら、断然原作マンガを読むべきである、自分がそこに暮らしていたかのような臨場感を味わいたいならアニメを観るべきだ、というふうにも言える。


 先ほど述べたように、アニメが三度涙を流すような情緒の揺さぶられ方をしたのに対して、原作ではそうした反応はぼくには起きなかった。むしろ戦前・戦時の「日常」について思いを馳せ、記憶と想像力についての思いを巡らすものとなったのであり、ぼくが2009年に原作を読んだ際に

 戦後世代は、戦争の日常を想像し、その悲しみや喜びを想像する。戦争体験世代は、忘れたかった記憶であっても、戦時のときの日常の楽しさや輝きを思い出して少しでも語り出すようにしてほしい――そういう実践的な役割を果たすようにこの本はつくられている。こまごまとそこに埋め込まれた装置を解読しなくても、それらの無数の装置は読む者に、こうした実践的な効果をたちどころに発揮するであろう。

 本作は「感動作」というより、力作である。それはこのような実践的な機能を担うために、実に考え抜かれて作られた作品だからである。

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/konosekaino-katasumini2.html

と結論づけたのは、こうした意味においてである。

戦争小説や戦争に関する創作はどうすれば「成功」なのか

 さて、最初の問題設定に立ち返る。
 「女性のひろば」1月号で紹介されていた、みおの一文を頼りに、戦争児童文学の最新作を集めた〈文学のピースウォーク〉シリーズの第1集を読む。『ズッコケ三人組』シリーズで有名な那須正幹が描いた『少年たちの戦場』がそれである。この本については別の機会に論評するとして、その巻末に、戦争小説を数々書いてきた、自衛隊出身の作家・古処誠二が「小説の自由と戦争小説の不自由」と題する解説を書いている。

 けれども戦争をあつかった小説に対する固定観念は強い。「戦争は悲惨だ」「戦争は悪事だ」といったテーマだと世間では思い込まれている。一言で言えば反戦テーマと思い込まれている。自由な解釈がされにくいという意味で非常にむずかしい題材なのである。
 当然のことながら作者は苦しい。より多くの共感を得ようと思えば固定観念を捨てにくく、創作の意義を強く意識していないと誰かの作品の真似になる。(古処/那須前掲、新日本出版社p.217)

 くり返すが、ぼくは「戦争は悲惨だ」「戦争は悪事だ」といったテーマ作品も歓迎する(もちろん無条件にではなく出来次第だが)。
 しかし、戦争を描こうとするとき、創作者たちは「『戦争反対』といっときゃいいんだろ」という惰性に落ち込んでいるのではなく、いつもこのようなジレンマに悩まされているということなのだ。
 それだけではない。
 戦争小説とか、戦争に関わる創作というのは、手法にしろ、題材にしろ、何かを選択することが選択しなかったものを強調することになってしまう。
 例えば、原作では「広工廠歌」にのせて、軍事都市・呉の発展を誇り高く感じる北條家をはじめとする呉市民が抱いた「夢」を描きながら、他方で「同時に誰かの悪夢でもある」としてその発展はアメリカからすれば「悪夢」であるという立場の反転・相対化を描いている。しかし、アニメではこの部分は省かれる(米軍の空襲中に、圓太郎が「広工廠歌」を口ずさむという対比のみが残った)。
 呉の当時を保存・再現したこのアニメは、その客観的記録の性格にもかかわらず、例えば中国などでの受容は相当厳しかろうと予想する。「君の名は。」が大ヒットをしている状況と比べると。

 ぼくは、この映画について「中国国民も納得するように加害性を描け」と言っているわけではない。
 どんな戦争に関する創作であっても、題材について言えば、必ず何かを取り上げて、何かを切り捨てることにしかならない。手法だってそうなのだ。悲惨さを強調する小説やマンガもあれば、楽しさを強調するアニメや映画もあるだろう。それは必ず、戦争という巨大で「豊かな」現象の一面にならざるを得ない。

多様な書き手が多様に描く

 だから、こうの史代が次のように言っていることは、ここに結びついてくる。

私は漫画を描く者として、たくさんある中のひとつのテーマとして「戦争」を描いたにすぎないんですね。というのも、戦争漫画は「戦後漫画の伝統」だと思っているところがあります。夏ごとに読み切りが載ることもそうですし、手塚治虫先生らも戦争体験をされてらして、その体験が傷として残り、作品となり、そこから人生観、死生観を抱いた読者の方々はたくさんいます。戦争漫画は、たくさんの漫画家によって描かれなければいけないと思っています。ひとりが独占して描いてしまうと他の人が描きにくくなりますし、みんなが戦争について自由に語れなくなります。いろんな絵柄の人がいて、いろんな描き方の人がいないと、届く人が減ってしまうと思います。このジャンルは幅広くなっていってほしい。(おざわゆきとの対談で/おざわゆき『あとかたの街』5巻、講談社所収p.190、強調は引用者)

 ゆえに、『はだしのゲン』のようなマンガもあるし、『あとかたの街』のようなマンガもあるし、『ピカドン』のようなアニメもある、ということにしかならない。競い合うように多様に表現されることこそが、戦争創作にとっては豊穣であり、必要なことなのだろう。

「読者に関心を抱かせてこそ成功」という基準

 ただ。
 それでも、戦争小説や、戦争に関わる創作においては、何か基準があるのではないか。
 そういう問いが頭をもたげてくる。
 その際に、先ほど紹介した古処誠二が、〈文学のピースウォーク〉シリーズの第1巻の解説で述べていることがヒントになるかもしれない。
 古処は、「戦争の悲惨さなんてもうわかりきったことなんだから、戦争小説なんか書いて何になる」と言わんばかりの記者たちにこう反問するという。「戦争の悲惨さはさておき、日本がアメリカに宣戦布告した理由をご存じですか」。案外答えられないのだという。
 古処はこう続ける。

 わたしたちは、たぶん錯覚しがちなのである。ことあるごとに戦争は悲惨だと語られ、語り継がれねばならないと強調され、義務教育に盛り込まれ、夏になれば原爆や特攻の映像がテレビで流される。そんな国で暮らしているからこそ知っていると錯覚しがちなのである。さらに言うなら暗記を理解と錯覚し、もっと言うなら平和教育歴史教育と錯覚している。
 知っていると錯覚した人は、もう学ぼうとしない。
 学ばなければ知識は増えない。
 増えなくなった知識は固定観念になる。
 つまり、固定観念は無関心から生まれる。(前掲p.220)

 そして、こう結論づける。

 とすれば、戦争小説と呼ばれるものは読者に関心を抱かせてこそ成功だろう。作者の込めた思いは関係ない。読者が自由に解釈し、その結果として未知の光を見たならば成功なのである。(同前)

 実は、この古処の解説の後に、このシリーズの刊行の言葉が載せられており、刊行に関わり、2014年に物故した、『おしいれのぼうけん』や『ロボット・カミイ』などで有名な児童文学者・古田足日の次の言葉が引用されている。

この本がきみたちの疑問を引き出し、疑問に答えるきっかけとなり、戦争のことを考える材料となれば、実にうれしい。(前掲p.222)

 読者に関心を抱かせ、行動の手がかりとしてこそ、作品としての成功なのだ、というわけである。
 これがその答えだ、ということになればきれいにまとまる。実際、ぼくは、アニメをみて戦時の生活に興味をもち、いくつかの本も読んだし、「楠公飯」も作ってみた。もう一度中村隆英『昭和経済史』(岩波書店)も読み直してみた。そういう意味ではこのアニメはぼくを突き動かしたのだろう。
 けれどもぼくはこの結論はあまりにも創作に実践的機能を負わせすぎではないかという危惧が捨てきれない。
 結局「読者に関心を抱かせてこそ成功」「きみたちの疑問を引き出し、疑問に答えるきっかけとなり、戦争のことを考える材料となる」という「基準」も、やはり一つの答えでしかない
 やはり、こうの史代の言うように、多様な書き手が多様なテーマと手法で描くということに尽きる。
 これが今のところのぼくの暫定的な「結論」である。

*1:かつて、ぼくは保育園のつながりで、戦争と動物園を描いた「ぞうれっしゃがやってきた」の合唱に娘を参加させたことがある。舞台をみた新聞記者が当時6歳の娘に「どこが一番心に残った?」とインタビューにきて「動物が殺されるところが面白かった」と平然と答えた。

*2:ただし、公平を期すために言っておくなら、娘は『はだしのゲン』もしばしば手に取る。

*3:こうのは後述のようにおざわゆきとの対談で、おざわと意気投合して、“自分たちは「戦争の伝承者」ではない”と言っているのだが、その真意は、その対談でも明らかにされているように、自分が「戦争」を描く権威となり、特権的な立場にならない、というほどのものだろう。彼女たちは戦争体験を「届く」ようにすることを問題意識にしていることははっきり述べている。つまり、戦争体験の継承自体は強く創作における必要性として感じているはずである。

*4:アニメの側による省略は、作品の意図や戦略を変えようとしたというのではなく、もっと実務的なものだろう。リンのセリフはリンがあまり出てこないので省略されたのであろうし、「記憶の器」はわかりにくいし、すずが言わないと思ったから「笑顔の入れもん」にしたのだろう。「あんた…よう広島で生きとってくれんさったね」のセリフは、「えっ、この子、すずと知り合いだったの?」のように、単純にこの孤児とすずの関係がわからなくなってしまうから削ったのではないかと思える。ラストのくだりは、原作だとはっきりした区切りがあるが、アニメだと一瞬何が起きたのかわからなくなってしまった人もいるようだ。