古処誠二『線』

線 (角川文庫) 引き続き、『この世界の片隅に』から関心を広げて、戦争小説を読んでいる。先に古処誠二『死んでも負けない』を挙げたが、同じ古処の『線』を読む。
 アジア・太平洋戦争における南方戦線、開戦当初の時期での、現在のパプア・ニューギニアでの旧日本軍によるポートモレスビー攻略を描いた小説である。
 ◯話の短編がまとめられたオムニバス形式で、主人公がすべて違う。そして、掲載の順番と戦争の時系列がだいたい一致している。

飢餓とマラリアのイメージ

 本作を読んで戦争(ポートモレスビー攻略戦)の印象は、補給と輸送が困難を極め、ひたすらマラリアと戦傷に悩まされた戦争であったのだなあということである。最終話近くの状況、包囲された日本軍のいた地域全体に処理されない死体、糞便、泥水が溢れ、その中を飢え・病気・負傷に苦しむ生者がいるという、まさに生き地獄のイメージが強く残った。
 初めは死んだ兵を、穴を掘って埋めたが、やがてただ片付けられ積み上げられるだけになり、ついにはそれさえもされなくなって、セブリ(小屋)に死体が放置されるだけになっていく。

思えば、ギルワ中央地区の守備は都合五旬にも及び、知らぬうちに正月も過ぎていた。その間、隊は兵力と体力を落とし続け、今や野戦病院の森全体が死体に覆われていた。(「お守り」/古処『線』所収、kindle2884/3276)

形を保った病棟がかえって残酷な印象を強めてならなかった。壁はなく、原住民の住居に倣って高床を張っただけの小屋である。それは傷病兵を救うつもりでいたとの言い訳にも思え、見つめるほどに長谷川は虚しさを感じた。病棟の床に横たわった人影は微動だにせず雨を受けていた。マラリアにもがいて転げ落ちたのか、その周囲にも人影が折り重なっていた。目をそらした先には無数のセブリが見え、そのすべてに死体が蝟集していた。病院勤務者が死者を埋めていたのはわずかな間だけで、墓標を立てられた患者も限られている。埋葬の力すら捻出できなくなると死体は野積みされるようになり、その余裕もなくなると放置されてきた。(「お守り」2927/3276)


 戦闘で死ぬ、という状況は、もちろんそれ自体許され難い不幸であろうが、戦争や軍隊においてはそれを「名誉の戦死」として「讃え」、「言祝ぐ」、たくさんの「尊厳」の装置が用意されている。
 他方で、ここで描かれたような餓死、感染症などによる病死、戦傷をもとにした病死、精神錯乱による自殺的戦死といった状況では、「尊厳」がことごとく奪われる。
 同時並行で『黒い雨』を再読しているのだが、死者の「数」という点でも、「尊厳のない死」という点でも、似たものを感じた。
 こんなことが数千、数万の規模で起きれば、民族として「もう戦争などは2度とすまい」と思うのは当然だろうと感じる。
 『黒い雨』に書かれた、

戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。(2523/4872)

というのは、まぎれもない民族の実感であったろう。憲法9条による軍隊も持たず戦争もしないという革命的な思想は、(たとえそれが国連軍の到来を当初想定していたかもしれないにせよ、そういうものとしては受け取られず、)「無抵抗で侵略されて占領されてもいいから、戦争だけはやめておこう。自衛戦争だってまっぴら御免だ」という国民実感に支えられたものだったはずだ。
 ぼくはそのことについて、まず思いを馳せた。

人間の普遍を浮かび上がらせるために

 しかし、古処の本作は、そういうことを言いたい小説ではない。いや、そういうふうに受け取ってもらっても別にかまわないが、そこに狭めた小説ではない、とおそらく古処ならいうであろう。知らないけど。


 言い方をかえよう。
 (作者の意図としては)「悲惨」を描こうとした小説ではない、ということだ。
 それぞれの短編を読めばわかるが、短編ごとにテーマが違う。
 例えば、兵士ではない「軍属」や「人夫」が登場する。
 あるいは、「義勇軍」として台湾の高砂族が頼りにされる話もある。
 あるいは、マラリア患者と戦傷兵は同じ傷病兵であるにもかかわらず、周囲の扱いや自尊感情が違い、そこに差別や抑圧が生じる。
 こうした、人間集団の中に生じる矛盾や対立、葛藤が普遍的な問題として取り扱われ、そこに小説という形式を古処が選ぶ必然が浮かび上がっている。

戦病兵と戦傷兵の差

 今例に挙げたマラリア患者=病兵と、戦闘による負傷を受けた者=傷兵は、ぼくらは「傷病兵」とひとくくりに考えるが、そこには違いあった、というのが古処の指摘である。

昨夜の上等兵が饒舌だったのも、戦傷は名誉で戦病は不名誉という不文律があるからだった。(「蜘蛛の糸」2119/3276)

自分がどこでどう傷ついたかを戦傷者の多くは語った。声は不必要に大きく、暗に後送の優先権を主張していた。敵機の爆弾か機銃弾による負傷が多い中では、戦闘による銃創を追った者は最も鼻が高い。濠州ヘイトの撃ち合いを詳細に語る兵隊ふたりにいたっては他を睥睨するような顔をしていた。(「蜘蛛の糸」2154/3276)

 この短編を読むと、致命的な傷を受けない戦傷で「殊勲甲・乙」を得たものは、郷里で店を開けるような小金を得ることができ、その資力をあてにするヨメ=女もゲットできるということになる。
 ユージン・B・スレッジ『ペリリュー・沖縄戦記』では、名誉とカネを得つつ必死の戦場を離脱できる戦傷を「百万ドルの負傷」と呼んでいたが、同じであろう。ただスレッジの叙述より、古処の小説はさらにその優遇ぶり、差別ぶりの描写が微に入り細に入りしている。
 しかし、実際に傷病兵を後送する、数少ない船が着くと、この状況は一変してしまう。ここの味わいは小説そのものを読んでほしいが、タイトルの通り「蜘蛛の糸」を比喩ではなく現実の問題として突きつけられる。
 人間が共同する、ということは、共同することが総員の利益にもなり、生き延びる率が高まるからこそ可能なのであって、そこに不純な秩序が入り込めばたちまちその共同は崩壊してしまう、ということがわかる。名誉性の大きい戦傷兵は優先されるが、名誉性の小さい戦病兵は後回しにされる、というルールは人間の生存にとってなんの合理性も有しない。


戦史における通俗的理解のディティールを塗り直す

 もう一つ。当然、戦争についての小説、なかんずくアジア・太平洋戦争の現実を描いた小説でもある。その時にこの小説が果たす役割は、「戦史における通俗的理解のディティールを塗り直す」ということだろう。
 「神は細部に宿る」という言葉をここに適用すれば、そのような具体的な箇所を、戦後数十年たって生まれた作家が調べなおした史実をもとに、再構成し直すことで、これまでの戦争理解が具体的な生々しさの中で覆される…ということになるはずである。


 例えば、前にも紹介したが「戦友」という言葉は、「同じ部隊に属して生活をともにし、戦闘に従事する仲間。戦場でともに戦った友」(『デジタル大辞泉』)と普通は理解されているが、古処は、

厳密には、兵営において寝台が隣り合う初年兵と二年兵を戦友といった。語意としては相棒に近かったが、ようは新兵とその世話役の古兵である。(「糊塗」504/3276)

という知識の塗り替えをやっている。
 しかもその後の短編で

支那での戦いが四年にもなろうかというご時世で、戦友という言葉の意味も単純化していた。(「たてがみ」1915/3276)

として、この言葉がすでに戦争中に単純化を始めていった経緯までを書いている。大西巨人などは、この「単純化」された「戦友」を使っている。いわば、戦時を詳細に描いた現役経験者よりも詳しく書こうとしているのだ。


 「一銭五厘」もそうである。
 兵隊はハガキ1枚で召集されるので、兵士のコストはハガキの値段であった一銭五厘しかなく、兵器や軍馬の方のがはるかに貴重だった、というのは、現代でもよく知られた話だし、経験者が往時を語る際に「昔は兵隊の命は一銭五厘といってな……」のように語られたものである。
 大西『神聖喜劇』にもこのくだりはある。主人公の天敵である軍曹が次のように叫ぶ。

お前達のような消耗品は一枚二銭のはがきでなんぼでも代わりが来るが兵器は、小銃は、二銭じゃ出来んからな(大西巨人・のぞゑのぶひさ・岩田和博『神聖喜劇』第1巻、幻冬舎、p.98)

 ところが、古処は、この「常識」にあえて突っかかる。

兵隊を指して言われる一銭五厘の値段は、往年の郵便葉書から来ていた。奇妙といえば奇妙だった。召集令状が葉書であるはずもなく、かつ現役徴集の者もいる。入営間の給料や恩給をも考えると全てが不適切だった。しょせん、もののはずみで誰かが口にしたところが定着した慣用句でしかない。(「たてがみ」1880/3276)

 兵隊のコストは、単純に考えても給料や食費、恩給が含まれているのだから、召集のためのコストだけではあるまい、というのは、その通りである。これはぼくも一度考えたことがある。
 ここで古処が塗り直している知識は、むしろそこではなく、召集令状が葉書ではなく、封書で来ているという事実であろう。

当事者の経験主義を超えるために

 『死んでも負けない』の感想でも書いたが、古処は、戦争末期の記録や資料を膨大にあたり、当時を再現している。ひょっとすると戦争経験者を超えるかもしれない厳密さでディティールを作り上げていく。
 これは『この世界の片隅に』でも同様の精神が発揮されている問題でもある。
 事件や時代の当事者の経験というものは、たしかに強い。
 だけども、それは絶対だろうか。
 ぼく一個をふりかえっても、必ずしもそうとは言えない。
 例えば町内会やPTAの活動経験をぼくはもつが、その経験がかえって一面的な町内会やPTA像を作り上げてしまうこともある。町内会やPTAは、調べるほどに全国で多様な姿をしていて、普遍的な姿を描くことは実はかなり困難なことだ。というか、うかつに一般化できないところがある。
 「経験主義」というのは、たいていは仕事や活動の進め方などを我流でやることをさすけれども、戦争小説や創作にも当然同じ問題は現れる。
 細かくは、細部の事実が不正確なものとして積み上がる問題として現れるだろうけども、それだけなく、自分が経験した体験に一面的にとらわれて戦争観を構築してしまうことは、戦争世代にこそあった危険かもしれない。
 古処のような戦後世代は、普遍的な戦争現象を、事実を積み上げていく中で迫ろうとしている。


 ただし、事実を積み上げれば普遍的なものに迫れるかといえば、必ずしもそうとは限らない。もっと大きな理論、直観、本質規定が事態の核心をざっくりつかむこともある。
 この辺りのバランスが難しいところで、だからこそ、方法が一義的に定まらない、創作物(小説・映画・マンガ……)の面白さがある。



余談:標準語にひっかかる

 以下は余談。
 本作を読んでいて、どうにも違和感が残ったのは、言葉の問題であった。古処はほとんど方言を使わない。ドラマ「新選組!」を演じた香取慎吾を見ているとどうしてもあの近藤勇はトランクスを履いている気がしてならない、という評を読んだことがあるが、標準語を中心に構成された本作を読んでいると、どうしても現代の自衛隊員がやり取りをしているような錯覚を覚えてしまう。
 まず、ぼくが大西巨人神聖喜劇』の影響を受けすぎているせいでもあろう。対馬の部隊に所属した主人公をとりまく「戦友」たち、とりわけの会話の多くは北部九州の方言でつづられている。
 『この世界の片隅に』や『父と暮らせば』も方言丸出しである。
 もっと若い頃、ぼくはこういう方言で書かれた文体を疎ましく思ったものだったが、今は違う。声を出して朗読するさいには、少なくとも北部九州の方言と広島弁に関しては、方言で書かれた会話体を読みたいと体が欲するほどになってしまった。
 古処は、うかつに標準語で書いているのではない。
 そのことは、作品の中で、意識的に方言を用いる登場人物が出てくるところがあるからだ(「豚の顔を見た日」「お守り」)。
 たぶん、『神聖喜劇』では新兵の教育が描かれていて、それは北部九州から対馬に集められたという事情が大きく関わっているのではないか。海外に派兵された部隊は、全国からの混成になるために、標準語で話すことが多かったのでは……というのがぼくの推察だが、当たっているかどうかわからない。