ものすごく高い能力を持ち、しかし*1、「ブス」であるという家政婦・小田切里が主人公である。里が依頼を受けた家々で起きる出来事ごとを描いた短編集になっている。『放浪の家政婦さん』がシリーズの最初で、『ピリ辛の家政婦さん』『誰そ彼の家政婦さん』と続いている。
最初は「家政婦風情」と軽侮する各家の人々が、その能力の高さに舌を巻き、屈服に近いような完璧さで屈服させられる展開が、だいたい仕込まれている。そしてそのたびにぼくなどは胸がすくような思いになる。ぼくは、こういう「準備運動がてら遊んでやるか」みたいな「惨敗フラグ」*2を立てて、そのヒールがモノの見事に沈没していくのを見るのが好きなんだけど、そこに「専門知識っぽいスパイス」が介在していることが不可欠。もっともらしいから。つまり、専門外の人間としては煙に巻かれているんだけども、その能力の高さについて根拠だった説明をされているようだから。本『家政婦さん』シリーズでは、家事や趣味にかんするウンチクがそのスパイスをなしている。
たとえば、家政婦協会のコーディネーターの男・万里に連れられて行った創作和食の店。里は出された料理を興味深そうに質問しながら食べる。シェフ兼オーナーの女性と談笑して。
「こんばんは。お料理はいかがですか?」
「とてもおいしいです。盛り付けも凝ってますね」
「ありがとうございます」
「とくに先付けのマグロのたたき具合がとてもいいな。漬けにしてゴマまぶしてミ・キュイ?」
「お詳しいんですね。ええ。加熱でなくオーブンの余熱で」
「いい感じになるもんだなあ。温度は? 80度くらい?」
「それくらいですオーブンの扉は開けたまま10分前後で…」
「なるほどー。“勉強になった”」
しかし、店を出るとその女が追ってくる。やはりお代はいただけない、と。万里には談笑して和やかに食事をしていただけのように見えたからさっぱり事情がわからない。
「言いたいことがあったら言ったらどうなの!?」
「盛り付けでごまかしてるけど、あの値段取るなら少しは季節考えたらどうなの?」
蒼白になる女。
「旬でもない桃太郎、フォンデュにしたって旨いわけないだろう。あと食器は食洗機にぶち込む前に手で洗え。チーズのこびりつきも気づかないなんて目ぇついいてんのか?」
「小田切さん!」
「言えって言うから言ってんだろ」
あまりに指摘が的確すぎて、一言もないオーナーの女。「申し訳ありませ…」としぼりだすように言うと、里がそれをさえぎる。
「苦情を言うほど不潔な洗い残しじゃなかったから言わなかっただけ。料理自体はどれも…そば以外はおいしかったよ。とくにミ・キュイはどっちもね。コースの前後に配置なんてシャレてる。……また来ていい?」
そう告げた瞬間、オーナーは目を潤ませながら、半ば里に恋に落ちたように見つめるのだ。
「待ってます…」
って、ポワポワハートの甘ったるいスクリーントーンが飛んでます。3年も通って名刺ももらえなかった万里と違って一瞬で名刺までゲットして濡れた目で哀願されるほどのモテようの里。コジャレた創作和食の店の後に、万里と里は、場末の居酒屋のような店に入る。彼女の声は「相対性理論」というバンドの「やくしまる」に似ててちょっとイイよね、と、タバコをふかしながら、どうでもいいことのように里がつぶやいた一言は、まさに万里がさっきの創作和食の店に通いつめていた核心的な理由だった。自分の心の中を、そんなふうにコトのついでみたいに見抜かれてしゃべられる側の心境やいかに。
里は居酒屋っぽい店でがつがつと食べる。
「ハウスキーピングは肉体労働なんだよ。
あんなどこに収まったかわかんないちまちましたの食って、明日働けるか。
肉をくれ 肉だ! あと焼きそばー」
万里のような一般人がついていけない料理ともてなしのバトルに完璧な勝利を収めた後、そんな料理は自分の今の生活には何の価値もないとばかりに無関心をきめこむ里の態度は、まさにヒーローっぽい、芝居がかったカッコよさだと思う。
うむ、まさに里はヒーローである。
ハウスキーピングの専門能力と専門知識は、自分を軽んじようとするあらゆる悪意を軽々と乗り越えていってしまうし、それは幅広い教養のすそ野をもっていて、そんな人間がバンカラで荒い口も聞けるのだという幅の広さをもっていることを読者たるぼくらは見せられて、どうして里に惹かれずにいられようか。惚れるね。間違いなく。
「ブスじゃなくて絶世の美女だった方が面白くないか?」とすべてをぶちこわしにする発言をしたのは、ぼくのつれあいであるが、その憎まれ口にあえて乗って考えてみると、ここはやはり「ブス」でなければならないだろう。
だって、美女であれば、家人たちはその美貌にすべてを収斂させてしまうし、そこにばかり気をとられてしまうもの。依頼をした家族は、容姿にとらわれずに、まずはハウスキーピング能力を無心に評価する。そしてその高さに舌を巻く。そしてまた、容姿にとらわれることなく、そのワイルドな口ぶりや無頼な態度に、逆に人間としての幅の広さを感じてしまう。こうして読者は、容姿を完全に超越して里に惹かれてしまえるのだ。したがって、里は鉄の必然性をもって「ブス」でなければならなかった。
「ブスに惹かれたということは、容姿以外の内面を評価したということなのだ」という古典的なドグマがここにはある。そして、ぼくの心の中にもこれが巣食い、見事にこの作品のテコにされてしまっているのである。
ブスで貧乳で、ガリガリの里。
妄想の中でセックスしたい相手じゃないんだ。
人格と肉体のあるパートナーであり、同時に自分もそんなヒーローになってみたいという同化の対象として里がいる。里になってみたいし、里と暮らしてみたい、ということだ。そんなふうに自分がマンガの女性に惹かれることもあるんだと発見できた。