あずまんの不幸

橋下市長の「慰安婦は必要だった」について東浩紀氏「問題発言なのか?」 - Togetter 橋下市長の「慰安婦は必要だった」について東浩紀氏「問題発言なのか?」 - Togetter

 東浩紀は、「問題発言なのか?」と言っている。こういう書き方をすれば「問題発言のはずがない」という反語に聞こえてしまうのはしょうがないと思う。
 だけど、そのあと、東がつぶやいたのは、

あの発言を問題視しているひとは、「政治的に正しい戦争は慰安婦なしでも行われるべきだ」と主張するのだろうか。いやいや、正しい批判は、むしろ「戦争は慰安婦を含めあらゆる暴力を呼び寄せるものなので、やっぱ戦争はよくない」というものだろう。

https://twitter.com/hazuma/status/333810569620639744

というもので、「問題発言です。でも批判の仕方がよくない」という具合の構造になっている。その点で東の発言を「橋下発言の擁護者」というふうにだけ描き出すと東に足もとをすくわれる。


 こういう東の論だては、たとえば、原爆投下を批判する発言をとらえて、「原爆投下だけが問題なのか? 通常兵器で人を殺す戦闘は問題ないのか?」というふうに言っていることに似ている。暴力に満ちた戦争という異常世界にたいして、現代のフツーの日本人はものすごく嫌悪しているわけで、その異常世界から、ことさら民間人に対する特殊な暴力である「慰安婦」問題とか原爆投下だけとりだして批判するのは、現代のフツーの日本人が違和感を抱くんじゃないの? ということだ。


 うん、まあそれは一つの理屈だ。


 んで、ここまでは、東が「慰安婦問題は、強制による対民間人暴力であり、戦前の規範に照らしても許されない」というふうに慰安婦問題を理解したという前提で書いているんだけど、東の発言をその後追っていくと、ポルノや売春問題一般と同じレベルの暴力性と混同する発言をしているのが散見される。


そうですよ。彼のはそういう前提での発言でしょ。RT @kitamura3gou @hazuma 橋本さんは閣議決定を信じて日本政府は絡んでないと思って発言したわけですから、それで東さんは「問題ないのではないか?」と思ったってことでいいんでしょうか?

https://twitter.com/hazuma/status/333823004721180672

 つまり、売春やポルノもある種の暴力であるから、仮にそこに政府関与の強制性があろうがなかろうがどうでもよく、売春やポルノのような暴力のラジカルな批判にすすまない限りは、不十分だ、というのが東の言いたいことなんだろう。


 まあ、これについても、それはそれで一つの論理ではある


 でも、そういうことを、たとえば沖縄戦を生き抜いた古老が、「戦争だけは絶対にいかん。わしは自分が殺されることがあっても、たとえ正当防衛であっても人を殺すということに手を染めるのはダメだと思っている」というふうに言えばそれは一つの覚悟を示すものだと思う。
 だけど、ぼくなんかは、正当防衛戦争を認める立場に立っているし、死刑批判についても、いわゆる生命尊重主義の立場――何があっても絶対に人殺しはダメ――からするつもりは今のところない。だからそれほどの覚悟はない。自分の娘が目の前で「敵国兵士」に強姦されそうになっていたら、そいつを殺さない自信はない。


 ましてや日頃そんなことを言ってもないし、思ってもいなさそうな、あずまんが言っても、進学校にいそうな小賢しげな生徒よろしく「ホラ、こんなふうにも言えるよねw」っていう底の薄そうな詭弁を言ってるようにしか見えないのは仕方ないんじゃないの。もしあずまんが、橋下の発言をラジカルな立場から批判する人なら「問題発言なのか?」なんていう書き方にはならないもの。
 まじめにやっている人に冷水を浴びせているようにしか見えないのは、東の不幸というべきだろうか。

 東はポルノや売春の暴力性を批判する気がない。だから、自分のその尺度をおろしてきて、相手に対しても「特殊な暴力だけ批判するのは不十分だ」といいたいわけだ。でも「特殊な暴力だけ批判するのは不十分だ」という批判ができるのは、暴力全般に対するラジカルな批判ができる人のみではないのか。そうでなければ、進学校の小賢しい生徒と同じなんだと思うけどね。