「日本でチェルノブイリのような事故は起こり得ません」


 9月22日(2011年)に九州電力への要請行動があったので参加した。主催は「市民が主人公の福岡市をめざす市民の会」である。玄海原子力発電所の1号機の廃炉や、2・3号機の再稼働の中止など5項目を求めたものだ。



 ぼくは常々、九州電力が発行している「原子力発電所についてご説明いたします。【安全性】編」というパンフレットを依然として普及していることに疑問をもっていたので、そのことを聞いてみた。


 このパンフレットは、2011年9月23日現在でも「九電エネルギー館」に大量におかれていた。なんか写真が人質事件のときみたいになってますがw


 パンフレット、といっても三つ折りでA4になるリーフレットのような簡単なもので、そこにコラムとして「日本でチェルノブイリのような事故は起こり得ません」という見出しの記事がある。

1986年、チェルノブイリ原子力発電所で、安全設計上の欠陥や運転員の規則違反などが重なったため、原子炉と建屋の一部が壊れ、周辺へ放射性物質が放出される大事故が発生しました。

 このようにパンフレットには記述され、「設計上の問題」が3点、「運転規則違反」が3点にわたって記述されている。

 そして、「当社の原子力発電所は」として、

  • すべての運転範囲で自己制御性を確保
  • 外部に放射性物質を放出させないための頑丈な格納容器がある
  • 原子炉自動停止回路を切ることができない
  • 運転員の誤操作を防止するシステム(インターロック)が採用されている

という4点をあげたうえで、「…などの十分な安全対策が取られており、同様の事故が起こるとは考えられません」と締めくくっている。



 この記述は、福島第一原発の事故以前にはもっともらしく見えた。炉の構造が違い、ヒューマンエラーを回避するしくみがあるのだから、外界に大量の放射性物質を放出する事故なんて起こりっこない、という理屈だ。


 ところが、福島の事故が起きてからは、まったく説得力を失う。
 「外部に放射性物質を放出させないための頑丈な格納容器」は壊れ、「周辺へ放射性物質が放出される大事故」は起きてしまったのだから。
 それでも、「日本でチェルノブイリのような事故は起こり得ません」と言うのだろうか。
 頭がおかしければ言うだろう。
 「チェルノブイリの事故とまったく同じようなプロセスでの事故は起こり得ない。なぜなら日本には黒鉛減速軽水冷却沸騰水型炉はないのだから!」という無意味きわまる「反論」だけがそこに残る。
 国民の不安は、「周辺へ放射性物質が放出される大事故」が起きないかどうかであって、「チェルノブイリの事故とまったく同じようなプロセスでの事故が起きるかどうか」などということではない。「軽水炉で周辺へ放射性物質が放出される大事故は起きたけど、黒鉛炉じゃないからよかった!」ってアホですか。
*1



 だから、ぼくは言った。

「『日本でチェルノブイリのような事故は起こり得ません』って、率直に言って、デタラメですよね。
 5月に『いま知りたい 放射能放射線Q&A』の回収騒ぎがあったのに(2011年5月18日付「読売」などで報道)、懲りずにこういうものをまだ配っている。結局、九州電力は『周辺へ放射性物質が放出される大事故は起きない』、っていう前提に、依然として立っているんじゃないですか。
http://hunter-investigate.jp/news/2011/05/post-48.html
 あなた方は、『いやシビアアクシデント対策はしている』と言うんでしょうが、それは『設計想定を大幅に越える事象がおきる』という意味でしかなく、最終的にはいろんな装置や防護が働いて『周辺へ放射性物質が放出されることはない』というお手盛りのシミュレーションの結論になるんでしょう。それはすべて福島の事故で前提が崩れたんだから、そういう前提のままじゃダメですよ。
 ちゃんと福島レベルやチェルノブイリレベルの事故が起きる想定をして、もし起きてしまったらどうするかを提示してほしいんです。
 そういう立場に立てば、福岡市との安全協定や取り決めは無い、ってありえないでしょう。過酷事故の対策さえあれば再稼働してもいい、っていうふうにはなりませんけど、せめてその対策を示してくれないと、再稼働を許すとか許さないとかの入口にも立てないですよ」

九電側の「小賢しい」反論

 この要請では、九電側はその場で回答しないことになっていたので、それに対する真正面からの回答はなかった。
 ところが、広報担当者の一人が、「反論」めいたものをした。

「『いま知りたい 放射能放射線Q&A』は、九州電力ではなく、日本電気協会の冊子を購入して、エネルギーパークやエネルギー館においたものです。そして事実に間違いがあったのではなく、発行時から事態が進展したということです」

 この担当者は以前の要請行動でも、要請側がしゃべる大ざっぱな事実認識の「アラ」を探してネチネチと批判する、という小賢しさ全開の答弁をしていたが、今回の発言は、それに輪をかけたひどさで、本筋とは何の関係もない、「だから何?」としかいいようのないものだった。


 そもそも冊子「いま知りたい 放射能放射線Q&A」が正しいとか間違っているなどということはぼくの発言においてどうでもいいことだ。ぼくが言いたかったのは、九電はそういう事件があったからパンフレット類はまったくチェックもしていないというわけではなく、それなりに目を通しているんだろ、という例証として挙げたに過ぎない。そして日本電気協会だから直接の責任はないというなら、今ぼくが問題としてとりあげたパンフのほうは、「九州電力株式会社」が発行し、九電広報部が問い合わせ先になっているという、正真正銘のアンタ方の責任発行物じゃないんだろうか。「いま知りたい…」は俺たち九電の発行物じゃないしーなどという「反論」はただ墓穴を掘っているだけではないのか。

 そしてその担当者はつぶやいた。

「おそらくそのチェルノブイリうんぬんのパンフは、爆発しないとか構造の違いを書いたものだと思います」

 キタ━(゚∀゚)━!!!!!

 いや、しかも日本の原発はしっかり「爆発」してるんだが。


ホームページでも同じ立場



 九州電力においては、原子力関係の広報物は、福島の事故を受けてもほとんど本質的な変化がない。ホームページをみれば一目瞭然である。チェルノブイリのような事故は日本では起こらないという見解はホームページでもくり返されている(2011年9月25日現在)。

http://www.kyuden.co.jp/nuclear_pluthermal_answer_10.html



 プルサーマルへの疑問に対しても、ホームページに反論が載せられている。
 九電側の反論は(1)5重の壁があるから大丈夫、(2)万が一事故っても焼結してあるから遠くへはとばないよ、というものだった。
http://www.kyuden.co.jp/nuclear_pluthermal_qa_05.html

 (1)の論拠は福島の事故で崩れているし、(2)は、2011年9月30日の文部科学省発表で、福島第一原発から40キロ離れた地点でプルトニウムを検出している。

 
 
 こうした広報物が平然と福島第一原発の事故後も出回っているのは、根底に「外部に大量に放射性物質を放出するような事故など絶対におこらない」という前提が実にゆるぎのないものとしてあるからだろう。

 いや、ホントにそういう気持ちなんだろう。
 ぼくが心底びっくりするのは、そういう気持ちを隠そうともしない九電の幹部およびその意向をくんだ同社広報担当部署の「ズレた感覚」である。
 普通は、あれだけの事故が起きたのだから、原子力関係の広報物はいったんすべて見直すくらいの覚悟がほしい。少なくとも閲覧をいったんとりやめるくらいの手だてをとるのが、「フツー」の広報部的感覚なのではないかと思う。
 ところが紙の広報物でもホームページでも、従来の立場を一切見直そうともしない。要請の場において姑息な言い逃れをして平然としている。

三者委員会との「乱闘」でも見せた内向きぶり

 九電はくだんの「やらせメール」事件のあと、第三者委員会をつくったものの、この第三者委員会の中間報告や最終報告が九電の思惑どおりの報告とならずに反論や否定をくり返し、「場外乱闘」の様相を見せている。
 佐賀県知事の働きかけが「やらせメール」の発端になったという第三者委員会の見方を否定し、“悪いのはアタシ=九電です”と言い続けている。再稼働をさせるために、自分の意のままになる佐賀県知事をかばおうとし、知事がやらせメールの発端になったという描かれ方を九電が崩そうとしているのではないかという見方が出ている。
 たとえば第三者委員会は、九電側からもらった資料のなかに、「県知事の事務所(古川事務所)から書き込み要請があった」と思わせるメールや「厳秘」と記されたメモが入っていたのを証拠にしているが、九電側は「再調査」して、あれは県側要請と「勘違い」した伝達が社内で伝わったちゃったの、と「反論」した。

 「再調査」するのはいいことだ。事実と違えば「反論」するのもよい。そして事実がそうであったとしよう。
 それにしても「伝言ゲームをくり返すうちに、県からの要請であるという重大内容にすりかわり、確認もせずに『厳秘』という刻印をつけた文書を出回らせる、企業統治が崩壊しかけた巨大会社」というトンデモな企業イメージになってしまっていることがわからないのだろうか。
 そして、そのようなビックリ企業実態であることを、さしたる反省や体制見直しもせずに、細かい反論や否定だけで表にさらけ出す「漢っぷり」。体制見直しどころか、やめるといったはずの社長が「やっぱりやめません」と「体制見直しの見直し」をやってしまう度胸のよさ。
 第三者委員会の最終報告が出た後に、地元の西日本新聞が「これで地域、利用者、顧客の信頼は回復するだろうか。むしろ、九電のイメージが損なわれていくばかりではないか」と社説(2011年10月1日付)で論じたのもむべなるかな、である。
 北朝鮮やワンマン企業、内向きの結束力が強すぎる組織にありがちなことで、内部ではそれでやり通してきた何の違和感もない手法を、そのまま対外的にもさらけだしてしまい、自分ではバランスがとれたつもりになった顔をしている典型ではないのか。 
 
 ホームページや広報物についての見直しがまったくないのも、同じ企業体質から出ているとみるのが自然だ。


「調査報告を待ってから」という広報戦略くらいもったらどうか

 共産党志位和夫が9月27日(2011年)におこなった衆院予算委員会での質問で、「事故原因の究明ぬき、規制機関なしの再稼働など論外」と問うたのにたいし、野田首相は「地震の影響は不明。事故究明がすべてのスタートの大前提。そうした究明を終えたあとに再稼働のプロセスになる」という答弁をした。


首相 この報告書(日本政府のIAEAへの報告書)を見ると、地震の影響はまだ不明という評価になっておりますけれども、そういうことを踏まえて、早急に事故の究明、徹底調査をおこなうことが、すべてのスタートの大前提になるだろうというふうに思います。そのうえで、そうした究明等を終えたあとに、再稼働については何度も申しあげてきたとおり、ストレステスト(耐性試験)を事業者がおこない、それを保安院が評価をし、(原子力)安全委員会が確認をし、最終的に総合的に地元の世論の動向とかを踏まえて総合的な判断を政治がおこなう、というプロセスをたどっていくことでございます。

志位 事故原因の究明がすべてのスタートだとおっしゃった。ですから、これは究明抜きの再稼働はありえないということですね。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-09-29/2011092908_01_0.html


 個人的にはこれはむちゃむちゃ重要な答弁だと思う。事故究明が済んだ後に、はじめて再稼働の入口に立てる、というふうに言ったからだ。国会の事故調査委員会も政府側の事故調査・検証委員会も、最終報告は来年夏だ。まず、来年春には日本のすべての原発が停止することになる。
 そして、調査報告が終わった後、はじめてストレステストや保安院の評価、地元合意へとすすんでいくのだから、まじめにこれらをやれば数か月はかかる。
 また、本当に調査結果を尊重するなら、そこに出てくる対策上の教訓にきちんとすべて手をうってから再稼働を地元に問うのが筋ということになる。もしそれらをまじめにやれば来年夏からさらに1〜2年かかるということになるはずだ。
 来年夏までの再稼働をめざすとした野田首相の米紙にインタビューの立場を小躍り人々は泡を吹いて倒れるだろう。


 いずれにせよ、本来電力会社の側にも、せめてこの程度は「反省してます」スタンスを示すというのが、広報戦略上も最低限のことではないのか。
 電力会社は「原発撤退」の立場には立てないかもしれないが、「安全な原発」をめざすというスタンスを、多少なりとも見せようというのであれば、事故調査報告をすべてふまえたうえで、何かをすべきである。今のままでは「見せ方」としてもあまりにひどすぎるというものだ。

*1:池田信夫http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51708188.html で3月12日段階の保安院の「核分裂が暴走して炉心溶融で圧力容器が破壊されると、核燃料が水蒸気と反応して爆発し、大量の放射性物質が大気中に放出される。これがチェルノブイリのような最悪の事態だが、今回は緊急停止で制御棒が入っているので核分裂は止まっており、その心配はない」という「メルトダウン」定義を引用し、池田は「これが業界の標準的な定義であり、この意味でのメルトダウンチェルノブイリ型事故)は起きていない」とご満悦だ。保安院の「その心配はない」は、まさに「核分裂が暴走」する「チェルノブイリのような最悪の事態」は起きていないことにかかる言葉だが、「大量の放射性物質が大気中に放出される」にはかかっていない空しさがある。「チェルノブイリのような事故ではありませんが、「大量の放射性物質が大気中に放出される」事態は起きました、という典型である。