九電がチェルノブイリパンフを撤去したが…


 前のエントリで九州電力がいまだに「日本でチェルノブイリのような事故は起こり得ません」とするパンフレットを配っていると書いた。


「日本でチェルノブイリのような事故は起こり得ません」 - 紙屋研究所 「日本でチェルノブイリのような事故は起こり得ません」 - 紙屋研究所


 んで、「しんぶん赤旗」が後追いの取材をしたのが今日付で掲載された。ナイス「赤旗」。


 それによると、どうもくだんのパンフレットは10月頭に撤去されたようである。九電も、少なくとも広報として「世間への見え方」を気にし、「安全に真剣アピール」を始めたか、と思いきや、まったくそうではないようである。


九電HP いまだに「安全神話」/チェルノブイリ級事故 起きない 九電HP いまだに「安全神話」/チェルノブイリ級事故 起きない

撤去理由について同館は当初、インターネット上でのパンフへの批判を念頭に「確かに誤解を与える内容があった」としていましたが、「棚卸しで古いパンフは処分した」と説明を変えました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-10-12/2011101215_01_1.html

 パンフはなくなったものの、依然ホームページでは、日本においてチェルノブイリのような事故は起こりえないという立場をくり返し、取材に対しても、

九電広報部はチェルノブイリでの安全設計上の欠陥と運転員の規則違反を強調。福島事故をふまえ「緊急安全対策」を行い、他の広告物で周知しているとして、「当社の見解は全体として間違っておらず削除するつもりはない」と答えました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-10-12/2011101215_01_1.html


 この記事での九電側の回答を読む限り、「安全設計上の欠陥」を口にしており、基本的にぼくが交渉の時に遭遇した広報担当者のつぶやき=「炉の構造の違い」という論理の延長でしかない。
 くり返しになるが、政府が作った「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」はまだ調査と検証を続けている最中で、政府がIAEAにだした報告書でも、

原子炉施設の安全上重要な設備や機器については、現在までのところ地震による大きな損壊は確認されていないが、詳細な状況についてはまだ不明であり更なる調査が必要である(6月の政府報告書)

地震による影響の詳細な状況については未だ不明の点も多いことから、今後、現場での実態調査等のさらなる調査・検討を行って、評価を実施する(9月の追加報告書)

と書かれていて、地震による影響、すなわち「安全設計上の欠陥」があったかなかったかさえ、わかっていない。それなのに、九電は早々と「安全設計上の欠陥」はなく、津波による間に合わせ程度の電源対策さえとればよい、という立場に立って、間違いを認めようとしないのだ。


 だったら、パンフも引き続き堂々と刷り増しして配布を続けてはどうだろうか。
 パンフは隠すが、ホームページはそのまま、公式にも以前の態度はまったく間違っていない、という九電の安全意識に目まいがする。


 くり返すが、これは原発に反対とか賛成とかいうレベルの話ではない。「電力会社というわかりやすいスケープゴートをつくり悪者探し」をしているというレベルでもない。「安全な原発」をつくりたい、その気持ちをまじめにアピールしたいというなら、それ相応のことをやれという、原発批判派のぼくから「原発推進派の九電」へのアドバイスとさえ言ってもいいのに、目立つものだけ引っ込めて、論理や意識は旧態依然のまま、対応に一貫性がなく、企業の対応としては最悪のものになっている。
 ぼくが経営者ならこんな無能な広報担当はスゲ替える。しかし、たぶん広報レベルの話じゃないんだろうな。この頑さは。会長や社長などの経営陣の意識がそのまま反映しているとみるべきだろう。


追記(2011.10.13)

 今日(10月13日)付の各紙によれば、「やらせメール」問題で九電側がつくった第三者委員会の委員長・郷原委員長がメルマガで九電を「経営者の暴走」と批判している(以下引用はすべて同日付の日経)。

郷原氏はメルマガで、メモが知事発言を正確に記載している以上、「メモが発端」という九電の見解は「論理的に全く成り立ちえない」と強調。九電が14日にも経済産業省に提出する最終報告で自社の見解に固執した場合、それは「社会常識に反する行為」であり、「現在の経営体制を維持しようとする」意図を映していると断じている。(日経)

 この「論理的には全く成り立ちえない」ものを強弁し「社会常識に反する」感覚をとりつづける背後に、経営陣の問題性、「現在の経営体制を維持しようとする」意図を感じ取る構図は、ぼくが感じているものと非常によく似ている。

 さらに、

郷原氏は「経営者の暴走」で九電の信頼が失墜し大きな損失が生じれば、容認した取締役、監査役が「株主代表訴訟によって損害賠償請求を受ける可能性もないとは言えない」と同社役員をけん制。

というふうに企業にかかわる誰かが何とかしてやらないと、企業イメージさえ解体する(どころか損害賠償もの)という危惧もよくわかる。つまり、だれもがこういう企業体質をあやぶんでいるということだ。そういうところに原発の管理をまかせられるだろうか。