前のエントリで、原発の再稼働に賛成する人は、もし今後安全基準が厳しくなって「動かしたらダメ」となったらどう思うのか、という問いをしてみたわけだが、思った以上に「経済を優先しろ」とか「対策をとれば事故はおきない」とか「余裕取りすぎた法令つくんな」とか主張する人が多くてワロタ。
つまり、「法令なんてそんなに大事じゃない」という感覚があるんだな。
「『絶対安全』『リスクゼロ』というものはない」という、だれもが抗いがたい判断を、裏返してしまって、「厳しい安全基準なんてつくっても意味が無え」という思考停止に陥ってしまう。
まあ、そんなのはネットでの極論とか、そのへんのおっちゃんの床屋政談とか、東浩紀のネタ本とか、そういう扱いをしていればいいのかというと、現実の原子力の規制部門でさえそんな感覚でやっているようだから困る。
(2012年の)12月7日付の西日本新聞1面トップは、電力会社に配慮して、原子力規制庁(原子力規制委員会の事務局組織)が、規制委員会で安全基準がつくられるのを待たずに、「骨子」みたいなのをつくった段階でもうその新基準骨子に適合しているかどうかの事前調査をやろうとしてる、ってのが報じられていた。
原子力規制委員会が新たに定める安全基準は本来、東京電力福島第1原発事故の教訓を反映し、根本的な検討が必要だ。だが事務局の原子力規制庁が来春の骨子とりまとめを見越して事前調査入りの検討を進めていることは、原発再稼働推進の意図を感じさせ、規制委の独立性に疑問を持たれかねない。(同紙の同日付解説)
他紙も報じているので、共同通信の配信なのかな。
再稼働事前調査 守るべきは住民の命 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
つまり、「来年夏の再稼働」というスケジュールありきで、「アンゼンキジュンは、ほらちゃっちゃっちゃーと、ね」みたいな感覚。
いま、そこに紹介した琉球新報の社説には
安全基準は、意図的な航空機の衝突やテロも想定した過酷事故対策も盛り込む。専門家によっては「5年かけてもおかしくない内容」と言うほどの重要な基準だ。
という一文が登場する。これは西日本新聞では規制委員会の更田(ふけた)豊志委員の言葉として紹介されている。「過酷事故対策」というのは、非常用電源を収めるようなバックアップ施設をつくったりするってことだろう。つまり、ペーパーのうえで基準をつくるってだけじゃなくて、実際に対策をとるべき「モノ」をつくることがまでが本来含まれる。そうしたら5年くらいはかかりますよ、という意味。
5年。
原発を再び動かすための基準と対策づくりは5年かかる、という数字。
すぐ問われるのは再稼働の条件
今度の総選挙では、原発ゼロをいつめざすかという年限が一つの争点になっている。前のエントリでものべたけど、それはそれで大事な議論だとは思う。
けど、ただちに問われるのは「では、その年限が来るまでの間、再稼働はするのかしないのか。する場合はどういう条件で再稼働するのか」ということである。*1
なんか、「原発廃止時期をのばすほど現実的」みたいなむきがあるけど、そういう気分っていうのは再稼働を現実にどういう条件でやるのか(あるいは「やらないのか」)を全然見ていない。
即時原発派は「再稼働させずにそのまま廃炉プロセスへ」というわけだから、ある意味で現実的なのであるが、「●●年までに原発ゼロ」という政党・政治家の場合は、その間に原発を再稼働させることが当然予想される。その場合、どういう条件で動かすのかを示さなければ無責任になる。
この前、「みんなの党」の渡辺喜美がテレビ討論で「『世界最高水準の安全な原発』なんてつくったら、事実上動かせませんよ」と言っていた。そうだろうな、と思う。だって、吉井英勝の質問をフツーに新基準にしたら、そうなっちゃうもん。だから、「世界最高水準の安全」みたいな、そういう抽象的な言葉遊びじゃなくて、具体的な基準・対策・条件が問われる。
でも、そんな具体的なものを、今から数日の選挙戦で出すわけにはいかない。出されても判断しようがないし、第一、そんな急ごしらえのものを信用するわけにはいかない。
だから、ですよ。
誠実な政治家であるならば、5年間、だと区切りが悪いので、衆議院議員の任期いっぱいの時間である4年に限って再稼働についての政治休戦をすべきである。つまり、4年間は再稼働せずに、安全基準づくりとそれにもとづく対策を行うのだ。
今後、原子力規制委員会が基準をつくり、それにもとづいて実際に電力会社が対策をとることになるだろう。それをみて、「これでよし」という政党はそれで国民に信を問えばいいし、「もっとコレを加えて」という政党はそう言えばいいし、「全然ダメ。そもそも再稼働の条件はない」という政党はそう言えばいい。そのうえで審判を受けるべきだ。
当然、大飯原発は止める。暫定基準という看板で動かしている現状は危険すぎるからだ。
再生可能エネルギーの普及促進、高効率の代替電源の確保、省エネの徹底は各党にほぼ共通の公約だから、この政治休戦の4年間の間に、各党が一致してとりくむようにする。4年後のその進捗をみて、原発をやめる、あるいは原発依存をぬけだす年限をきめる判断にすればいい。
そして、できるのなら、「新増設の禁止」「40年廃炉の厳格化」は一致できる党が多いのだから、立法をやっておく。自民党でさえ「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造を目指します」が公約だから。
まとめると、
これは、即時廃止派も、年限つき廃止派も、推進派も、原理的にはすべて受け入れられるはずのものだ。どこでもいいけど、どっかの党首が投票日までのテレビのインタビューとか党首討論とか政策記者会見とかで言ってくんないですか。みんなで合意してまずこれでやりましょう、みたいな。そういう提起をするのも、「現実的なプロセス」だと思うんだけどなあ。
いまの選挙論戦の現状というのは、即時廃止派は別として、再稼働条件を抜きにしてすすめられている話が多すぎるのだ。それは「安全基準の法令なんかぶっちゃけどうでもいい」という、ぼくのエントリにあびせられた一部の意見の空気そのままで、実にあやういのである。