電力会社はもう少し真剣に考えようよ&運動側も要求を整理してね

電力会社との交渉(意見交換)に参加して

 原発を見に行ったのとあわせて、電力会社との交渉(つうか意見交換)に参加する機会があった。


 電力会社側が「福島の事故は津波によって引き起こされた」といったので、こちらの一人が「いや、地震津波でしょ」と返すと、「いいえ、津波です。保安院もそう説明しています」と意地に。「それは違うでしょ」「国会答弁でも確認されてるぞ」「問題発言になっちゃうよ」と騒然となった。


 あくまで「政府と保安院の地元説明が最近おこなわれて、『津波による事故』だと私はきちんと聞きました。確認してください!」とつっぱねる会社側。ぼくはちょうどIAEAへの政府報告書(概要版)を持っていたので、その1ページ目の出だしに、

その地震津波により引き起こされた原子力事故

http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2011/pdf/00-2-gaiyo.pdf
http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2011/iaea_houkokusho.html


とはっきり書いてありますよ、と指摘した。
 会社側は黙ってしまった。
 形而上学的な論争にみえるけども、この議論は、いま話題になっている定期点検を終えた原発の再開について、「地震によって外部電源が喪失した」という事故への対応を「緊急安全対策」と考えるのか考えないのかというところにつながっていく。大事な分岐なのだ。もし、考えない場合は、津波対策だけすれば再開OKということになる。
 そもそも、地震で外部電源喪失津波で非常用ふくめ全電源喪失、というのは常識の範囲であり、そのどちらも重く見なければいけないことはいうまでもない。*1


 ことほどさように、交渉に参加して思ったことは、電力会社側に抜き難い「国の言っている範囲の対策をすればそのまま進めてもよい」という発想だった。要するに福島の事故前と後で頭が何も変わっていないのである。「国の言っている範囲の対策」というのは、現時点では津波のみを念頭においた「緊急安全対策」のことだ。
http://www.nsc.go.jp/anzen/shidai/genan2011/genan021/siryo2.pdf
http://www.kyuden.co.jp/library/pdf/notice/measures_tsunami.pdf


 原発を見学して思ったのは、この対策は「高台に非常用の高圧発電機車を配備していること」と「大電源によらない燃料のみでの仮設のポンプの設置」という二つのか細い糸によってのみ支えられていることだ。外部電源がすべて喪失しても、この二つの対策が生きていればなんとかなる、という発想なのである。
 もちろん中長期的な対策はあわせてとられることになっている。たとえば佐賀の玄海原発でいうと、

  1. 移動式大容量発電機の配備
  2. 建屋・重要機器エリアの防水対策
  3. 海水ポンプ等の予備品確保
  4. 水源の信頼性向上対策


などがこれにあたるし、地震の対策でいえば、「外部電源は多重化されているし、鉄塔の耐震性はおk」となっているので、鉄塔の盛り土がちゃんとしているかどうかを今年の9月末までに調べて、来年までに対策をとる、ということになっている。
http://www.kyuden.co.jp/library/pdf/press/2011/110516-2.pdf


 しかしそれはあくまで「中長期的」なもので、とりあえず「緊急」策がおこなわれたら、もう再開してよい、ということなのだ。


電力会社の発想はあまりに無茶である

 これはなかなかに無茶な発想である。


 第一に、「中長期的対策」を待って再開を考えても全然遅くはない、ということだ。地震津波による外部電源の喪失を想定した場合、この2つの糸が切れないことに全てを賭けるというのは、はなはだ心もとない。高圧発電機車から、重量のあるコードを、津波地震の障害物をこえてうまく時間内に接続できるのか、津波で浸水対策をしても重い構造物などで破壊されるおそれはないのか……などである。
 「中長期」とぼくは書いたけども、今あげた範囲のものは、せいぜい1〜2年の話で、もう少し抜本策を含めてもせいぜい3年程度のものだろう。
 電力会社はこの交渉でもくり返し「安全優先でやります」と言ったのだが、それが本当なら、なぜそれくらいの対策を講じるまで待つ気持ちがないのだろうか。


 第二に、福島原発の事故の教訓はまだまったく出そろっていないことだIAEAへの政府報告でも、


本報告書は、事故報告書としては暫定的なもの

http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2011/pdf/00-2-gaiyo.pdf


だとことわっている。まだ事故が収束さえしてないのだから、当たり前の話だ。本格的な究明は「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」(検証委員会)がおこなうとされている。たとえば、IAEAへの政府報告書では、

地震によって外部電源に対して被害がもたらされた。原子炉施設の安全上重要な設備や機器については、現在までのところ地震による大きな損壊は確認されていないが、詳細な状況についてはまだ不明であり更なる調査が必要である。

http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2011/pdf/00-2-gaiyo.pdf


とされているように、事実が調査され次第、およそ今のままで走っていたらとんでもないということが明るみに出される可能性がある。もし真剣に検討すれば原発という技術そのものへの懐疑につながることも十分考えられるのだが、仮にそうしなくても、事故が教えた「弱点」への対策を施すだけでも本来は十分に緊急的なものである。
 ところが、電力会社の対応というのは、福島の事故の収束もしない、事故の知見が出そろわない、少なくとも検証委員会の結論も出ないうちから「再開再開」の大合唱なのである。
 「事故の教訓を汲み取り安全上の最小限の緊急対応して、とりあえず電力供給の責任を果たす」というロジックにてらしてもおかしすぎる。


 交渉の会場では、他の論点は木で鼻をくくったような答弁であったが、この点での運動側の追及については、電力会社側はほとんど反論不能状態だった。
 この点について会社側は本当に「安全神話」にとりつかれて安全のことなど何も考えていない、つうか、反論対策としてロジック上の対応くらいしておこうよ、と情けなくなる。



運動側は「即時停止」なのか「段階的撤退」なのかよく考えようよ

 これにたいして、原発の現状を批判する運動側については、もう少していねいな政策対応が必要になると感じた。

 「原発は未完成の技術だ」と主張するのはよい。ぼくもそう思う。


 しかし、そこからまっすぐに政策化をしてしまうと、「原発の即時全基停止」ということになり、「原発をすぐにすべて止めてもよいのだ! ただちに稼働してない火力でやれ!」というようなことになる
 もし仮に「原発は段階的・計画的・戦略的に撤退を」「撤退までの期間には危険を最小限にするための強力な規制を」という戦略をとるのであれば、そのことと整合性がなくってしまうのではないか。


 九州電力を想定してみる。
 九州電力では火力の稼働率は現在3割である。これは長期休止と定期点検中のものをふくむ。電力会社との交渉のなかでは、長期休止分は稼働させるのに「1〜2年かかる」ということだった。逆にいえば1〜2年で動かせるということだ。定期点検をのぞいてもかなりの余力が1〜2年で使えるではないか!……というふうに考える人もいるだろう。
 しかし、火力はどういう燃料を使うにせよ、温暖化ガスの排出をふやすことはまちがいない。だからナイーブに「火力を稼働すりゃいいじゃん」と主張するわけにはいかない。*2また、現在のエネルギー浪費の現状(いわゆる高エネルギー社会)を前提にしてそのエネルギーを考えるわけにもいかない。


 温暖化対策も無視して、高エネルギー社会の現状も無視して、しかも段階的撤退という主張も脇において、即時全面停止に近いことを掲げるのは無理がある。


 たとえば九州電力玄海原発でいえば、運動側の主張は「老朽化した1号機の廃炉」と「3号機のプルサーマルの中止」である。このことと、先ほどの「中長期的な抜本対策」「検証委員会の結論」をふまえることとあわせて政策を考えてみてはどうか。
 玄海原発はもし再開がこのままなければ、定期点検がやってきて、来年夏までにはすべて止まる。*3「中長期的な津波の抜本対策」が終わり、「検証委員会の結論」が出た段階でその対策が終われば、対策が終わったものだけ稼働してもよいことにする。
 運動側が政府がそろえた対策メニューに不満なら、具体的条件を提示してもいいだろう。玄海原発でいえば、老朽化した1号機の廃止、3号機のプルサーマルの中止、リラッキングの中止(使用済み燃料をプールに詰め込むこと)ということになる。



 仮にこの要請に電力会社がこたえるなら、1号機を停止、2号機を稼働、3号機はウラン燃料で稼働、4号機稼働、ということになる。「原発の稼働みとめんのかよ」というふうにいう人がいるかもしれないが、段階的撤退論をとるなら当然の結論ではないのか。



 そして、この対策までの期間は大口需要家の電力総量の抑制を基本にしつつ、暫定的に火力の稼働増加などを認めればいい。そうしないと「即時停止派」と同じになってしまう。もちろん、ぼくは「即時停止派」と共同しながら原発についての運動はしていけばいいと思っているのだが、どこまでつきあうのかを政策的に整理しておかないと自分たちが今度は窮地に立たされることになってしまうと心配する。 

追記

 本日(2011年6月12日)付「朝日新聞」には「原発指針 総崩れ」「見直し論争、年単位」という記事が出ていた。
 自治体が原発の再開に「根拠」(基準)を出してほしいと国に求めている1面の記事には、

老朽原発の安全や廃炉問題、耐震性、使用済み核燃料の保管、放射性廃棄物……。各地の原発が抱えるさまざまな問題について、具体的な安全対策の提示や住民への説明を求める声が高まっている。

とあり、これをうけての記事だ。この「原発指針 総崩れ」という記事では、安全設計審査、耐震、防災、立地のすべてにわたって前提が崩れ、見直しが必要になっているとしている。


 つまり、これらの見直し作業の結論を待たずに、再開をするというのはおかしいではないか、という主張である。記事には原子力安全委員会の班目委員長が、

今回、はっきり言って(安全指針に)穴が開いていることがわかってしまった。安全設計審査指針は明らかに間違っている。

とのべていることが紹介されている。ぼくが参加した今回の電力会社との交渉でも、電力会社はプルサーマルや老朽炉の安全性などについて「国の審査や認可をえている」ということをくり返し根拠としてあげている。
 そういう前提がすべて崩れたのだから、再開はこの前提の見直しまで待つというのが筋ではないのか。


 ちなみに、外部電源を支える鉄塔の耐震性についての囲み記事もある。今回の電力会社との交渉でもそうだったし、原発を見学したときの説明でもそうだったが「鉄塔は地震でこわれていません! 盛り土が崩れただけです」と胸を張っていた。いやー、だったら盛り土対策が終わるまでは緊急対策が済んでないという扱いをすべきじゃねーの? なに胸張ってんだろ…。

*1:後で述べるように、重要機器への地震の影響は論争課題ではあるけども、外部電源喪失問題ではその重要性は論争の余地はない。

*2:環境運動団体のなかには、温暖化ガスの排出抑制はおかしいと主張する潮流もあるが、ここではその想定に立たない。

*3:全国の原発がそうなのだが。