日坂水柯『レンズのむこう』


レンズのむこう (ジェッツコミックス) 8つの短編集。「メガネの女の子は好きですか?」とオビにあるけど、すべて「メガネ女子」が登場する。もっというと「メガネ女子」のセックスをめぐる8編。ええまあ好きですよ。メガネかけた女性。


 「マイスイート・らんじぇりー」は、女子高生の主人公とつきあっている男子学生がこっそり「オカズ」にしていたグラビアを、主人公が観てしまい、それと似た下着を自分もつけることで対抗意識を燃やす話。
 そして自分のデジカメ画像をアルバムにして、グラビアを破棄させるというオチなんだが、性的存在であることを一面的に強調されたグラビアと同じ次元で自分を扱ってほしい、そして自分の方がもっと性的存在であると思ってほしい、というカノジョ側からのメッセージということになる。ロジックに分解してみると、なんというかもう圧倒的に男性の欲望全開というか、可愛いじゃねえかこのやろうみたいな行為になっているなあ。


 現実にそんなことやられたら困るでしょうけどw
 

 他にもこの本には、アダルトビデオを恋人と観るのが2編、エロい芸術系映画を話題にするのが1編もある。


 映像一般が、人間の全面的な生を、一面しか切り取らないという意味において、たえず暴力的な側面を持っているけども、アダルトビデオやヌードグラビアは、なかでも被写体が性的な存在である、というか性的な存在でしかないということをこれでもかと強調する。


 恋人とアダルトビデオをみる短編は、一つは、メガネをかけてセックスをすることについて、ビデオをみながらその「異常」を確認する話。「異常」さを確認しつつも結局メガネをかけながらセックスするわけで、その短編の中にあったように「フェチAV」のようになっているのである。
 もう一つは、AVの過剰な演技に女性がげんなりするが、ふたりでああいうものを観るっていう状況が「すっごくいいの」と言わしめてセックスをする。なぜそれが「すっごくいい」のかは明示されない。でもそれはやっぱり一方だけじゃなくて2人とも性的存在、いわば性獣だもの、ということを感じながらできるせいじゃないの?*1


 日坂がくり返し作品のなかでこうした小道具をひんぱんに使い、ストーリーもカップルの日常の中の「ピロウトーク」に近い部分ばかりを切り取るために、いわゆる「けだもの」のようにそんなことばかり考えているカップルを感じ取ってしまう。
 絵の「ヘタ」さもくわわって、そういうエロさをロジカルに主張する奇妙なマンガに仕上がっている。
 

*1:あのう、念のため言いますが、実際に、リアルに、現実に、恋人とAVをみたらそういう気持ちになれるわけではありませんよ。提案した段階で張り倒されたり、観終わってむちゃくちゃ気まずい雰囲気で別れるかもしれんのですよ。「おっ、おいっ! どどっどどーしてくれんだ!」とか言って胸ぐらつかまれても困りますです。はい。