オビにあるように、本書は「2009年エコノミストが選ぶ経済書ベスト10」の第一位であり、「週刊ダイヤモンド」の2009年の「ベスト経済書」の第二位であった。
タイトルのとおり、戦後の世界経済史の概観を頭の中につくりたいと思って読み始めた。最後の方を読まずに長い間放置し、最近読み終え、二度読みした。本書の冒頭に、
思い切って〔戦後世界経済史の――引用者注〕「粗い地図」を描いてみることにした。
というねらいとともに、一つの問題意識によって貫かれていることが、まず「概観図」を手に入れたい人間にとっては非常にありがたかった。この歴史観を批判するにせよ受け入れるにせよ、まずは地図を手に入れることが大切だ。本書はその任によく応えていると思う。
自由か平等か
つらかぬかれている問題意識というのは、サブタイトルにある「自由と平等の視点から」である。「むすびにかえて」には
平等をめざす社会において自由が失われ、自由に満ち溢れた社会では平等が保障されにくいということは、過去二〇〇年の世界の歴史が明らかにしたところである。(p.373)
とあるが、この二つの相克として戦後経済史を描いている。
ぼくにとっては、この問題自体はそれほど重要ではない。
この問いに対する答えは、ぼくの中ではすでに原理的に出ている。
すべての人が「健康で文化的な最低限度の生活」を保障されるのであれば、あとは格差の広がり自体はさほど大きな問題ではない、ということだ。それを市場が達成してくれるのか、計画が達成してくれるのか、その中間のものか、あるいはそれ以外のものか、いずれにせよ、それを制度設計する理性こそが必要なのだ。合理主義的個人による均衡や理性による一元的計画に期待するのは馬鹿げているが、かといって社会の知恵としての理性を否定するのも愚かしいことだ。
だから、「自由と平等」の問題を解くためにぼくは本書を読んだのではなかった。
ぼくが知りたかったのは、「社会主義経済」すなわちスターリン主義的な集産主義経済の生成・発展・没落の概観だった。この歴史を知るためには「自由と平等の視点から」書かれ、「社会主義の失敗」を記述するであろう本書は恰好の教材だったのだ。
くわえて、
類書に見られない特徴をあえて挙げるとすれば、通常の経済論議で陥りやすい誤りや、概念と定義に関する通説の怪しさなどにふれていることである
として、いくつかのデータを紹介しているのはとても参考になった。
公的領域の拡大
最初に、本書を読んで学んだ、興味深いデータ・論説をいくつか紹介しておく。それは、本書の最初におかれた「五つの視点」のなかに少なからず含まれている。
一つ目は、著者・猪木武徳がまっさきにあげていることだが、戦後世界は政府が小さくなっていくどころか肥大化を続けてきた歴史であったことだ。むろん、市場化の領域自体は途方もなく広がったのだが。
さらに、政府の経済活動の領域の広がりは著しい。政府権力の拡大と集中は、戦後世界で起こった政治経済上の大きな変化のひとつであろう。労働法制の整備、社会保障、安全衛生、競争政策、環境政策、都市計画など、われわれが日常生活にかかわるどの問題を取り出しても、法律に基づく政府権力の集中的な行使が観察される。政府の介入、政府による経済活動の拡大は法律による制約として表れるだけではない。電気・ガス・水道、航空・放送・郵便・通信サービスなどの公共的なサービスの生産と供給が公共セクターに属する国は少なくない。これらの産業の公的所有も、「行きつ戻りつ」ではあるが、戦後の世界経済の趨勢であることは明らかだ。この点は、公共部門の支出規模の膨張にはっきり表れている。OECD(経済協力開発機構)の統計を見ると、今や先進諸国のGDPの三割から六割が何らかの方法で公的部門を通して支出されている。ちなみに、日本は、一般政府(すなわち中央政府・地方政府・社会保障基金からなり、公的企業を含まない)の総支出、財・サービスの経常支出が、GDPに対し過去二〇年間の平均でOECD諸国中最も低いグループに属する。(p.3-4)
「小さな政府」化が進行したどころか、肥大化し、日本はすでに先進国で最も「小さな政府」であるということだ。
「小さな政府」の手本である米国、しかもレーガン時代の米国について猪木は次のように書いている。
例えば、米国の政府部門の大きさを、連邦、州、地方の三つのレベルでの「歳入のGNP(国民総生産)に対する割合」として計算した研究を見てみよう。まず連邦政府について見ると、第二次世界大戦期に入って、軍事支出が急激に拡大したために、それまでの六、七%程度から、一挙に二〇%台に上昇したことが目立つ。戦後一九八〇年代に入るまでは二〇%を少しきっていたが、その後は二〇%以上を記録し、レーガン大統領時代でも連邦政府の規模が小さくなったことは観察されない。一方、州政府の歳入は、二〇世紀初頭の一%から一〇%へほぼ一貫して(戦時期を除いて)ゆっくりと増加している。地方政府についても増加傾向は認められるが、その割合は州政府より小さくなっている。ここにも米国の公共部門の拡大と、財政面から見た「中央集権化」がはっきりと認められる。米国では二〇世紀の初頭には連邦・州・地方全政府収入の総計はGNPの一割にも満たなかったのに、二〇世紀の末には、四割に迫るウェイトを占めるまでに膨れ上がったのである。(p.4-5)
「小さな政府」論や市場原理主義的な議論を意識してのことであろうが、猪木は経済のみを抽出して議論する危うさに警告を発している。公共部門の拡大によって政治と経済の一体化・からみ合いが進行し、それを分けて議論することはナンセンスだというのだ。
経済と政治が分ちがたく融け合っている現実から、純粋に経済的とみなされる要素だけ抽出して分析するのは、思考実験で論理を詰めるための便宜的な手段であった。経済競争の中に政治を読み取り、権力闘争の中に経済的な利害を見透かすのが、十九世紀に新展開を見せた経済学の本領であったといえよう。
ところが、現代のように規制を通して政治と経済の結び付きがますます強くなるにつれ、経済学はポリティカル・エコノミーからエコノミックスへと転身を遂げ、抽象化され、政治学とは切り離された自己完結的な「サイエンス」としての存在を強く主張するようになった。これは現実と学問史の奇妙な逆説ともいうべき現象である。(p.5-6)
このことは多くを付言しなくてもいいだろう。
グローバル化と「国民国家衰退」論批判
そして、「グローバリゼーション」と「国民国家の衰退」について。
たとえば今年(2011年)の2月末に発行された西部忠『資本主義はどこへ向かうか』(NHK出版)を見ても、相変わらずグローバリゼーションによる均質化と国民国家の衰退が説かれている。
しかし、猪木はこうした議論に反論する。
……地球が小さくならない限り、言語が同一にならない限り、そして歴史を完全に共有しない限り、国際経済学の美しい「要素価格均等化定理」は現実には成立しないことがわかる。いわゆる「グローバリゼーション」は必ずしも世界の均質化をもたらすものではない。(p.11)
ここで重要なのは、いかに「グローバル化」を騒ぎ立てても、こうした制度的革新の「精算所」、社会的グループの利害紛争の解決機関としては、国家が依然重要な鍵を握っているということである。経済成長の源泉のひとつである有用な科学的・技術的知識は、確かに国民国家の枠を超えるものであるが、その適用を最も経済的利益にかなうように、国家という権力主体が社会制度として調整していく働きが、決定的に重要なのである。(p.20-21、強調は引用者)
この問題はぼくもくり返し論じてきたが、グローバリゼーションによって世界が均質なものに覆われてしまう恐怖と、国民国家の衰退を騒ぐ議論は左右どちらにも見られるものの、現実にはそのようになっていない。「帝国アメリカ」を怖がりすぎ、無力感に囚われた議論だというほかない。
最後に、猪木は、「社会主義計画経済」の破綻は明らかになったが、市場システムにも深刻な「欠陥と弱点」が存在するとして、そこでの課題を次のように設定した。
市場システム自体も、重要な政治制度の土台と道徳的前提のもとに成り立っている以上、「市場をいかにデザインするか」という問いはいつの時代でも避けて通ることはできない。(p.25-26、強調は引用者)
結局問題はこのように提出されざるをえない。
コミュニストであるぼくも、現時点で市場の役割を否定することはできないのだ。とすれば、市場の無条件賛美でもなく、全面否定でもないとすれば、問題はやはり「市場をいかにデザインするか」ということになる。
それで一番ぼくが関心を持って読んだことは、ソ連型「社会主義経済」というものが、よくいわれるようにずっと「一元的計画」だったのか、市場の要素をどれくらいとりいれたのか、その結果何がどこまで成功し、どこがうまくいかなかったのか、ということだ。
ソ連にしても東欧にしても、別に最初から最後まで同じようなスターリン体制が続いたというわけではない。その中で改革もあり反動もあったはずで、そういうことを大づかみにおさえずにあの体制の評価もできないはずである。
この問題は、主に第四章第2節「社会主義経済の苦闘」で扱われている。
市場経済と資本主義は別だが市場と資本は切り離せない
最初に、東欧にもちこまれたソ連型経済の原型について、猪木は次のように総括的に書いている。
ユーゴスラヴィア(一九四七)、チェコスロヴァキア(一九四九)、ブルガリア(一九四九)などが次々に「五ヵ年計画」(ポーランドは「六ヵ年計画」)を発表した。いずれもソ連型の方式を採用し、内閣直属の計画委員会が財サービスの現行生産量に投入されている労働と資本の量と、計画目標値の達成のために必要とされる労働と資本の量を比較して、ある種の「投入産出モデル」を用いてバランスの取れる形に調整するという手法である。各省庁向けのおおまかな資源配分が決定されると、それがさらに省庁内の資源配分へと細分され、各企業への指令へという形で、「上から下へ」と、徐々に投入の物量と生産量が確定していくという方式である。これは、「下から上へ」と徐々に需給が調整される市場メカニズムとは正反対のシステムであった。そこには財やサービスの稀少性・選好の程度の尺度となる「価格」という概念はなく、単なる「物量」に関する技術的な計算のみに基づく生産計画が立てられていた。こうしたシステムには、企業が進んで利潤機会を察知して、リスクをとって投資し、その成功の報酬としての「利潤」を享受するという要素はなかった。(p.174-175)
猪木は、キャッチアップの時期にはこの方式が一定の有効性をもつことがあるが、
社会主義的指令経済は、この内的充実と先端的な技術力の競争の時期に入ると、国営企業自体が「リスクをとらない」という習性から抜け出られないために、先端的な鍔迫り合いで勝利を収めることはできない。要するに、「下からのイノヴェーション」が起こらないのである。(p.175)
ぼくはこれまで社会主義においても、市場は残り、その需給調整機能、資源配分機能は多いに活用されると見通してきた。さらに、市場経済と資本主義を分けて考えるということも述べてきた。
だが、需給調整機能をもった抽象的な市場というものがあって、それと分離して資本の活動がある、というわけではない。
需給調整機能が働くのは、資本が「進んで利潤機会を察知して、リスクをとって投資し、その成功の報酬としての『利潤』を享受する」という行動をするからこそであって、個別資本にとって「利潤第一主義」、少なくとも利潤による動機づけということと市場は切っても切り離せないだろう。
市場の一定の活用を認める社会主義者はそのことを当然に含んでいることは覚悟しなければならない。
生産財生産への偏重
猪木が指摘する、「社会主義経済」のとりわけ初期段階の特徴として、生産財に偏重した投資、という問題がある。
さらに社会主義計画経済は常に石炭・鉄鋼をはじめとする重化学工業への「投資」を重視し、その結果消費は拡大せず、消費財産業の成長が取り残される。東欧の一九五〇年代の粗投資のGNPに占める割合は、四〇%から五〇%という推計もある。これは「アジアの奇跡」といわれた東アジアや東南アジアの国々の投資よりもはるかに高率のものであった。
言い換えると、社会主義体制下では、いかに消費財産業が冷遇され、国民の消費生活が苦境に追いやられていたかということになる。こうして計画経済体制は、六〇年代に入ると目に見えて停滞が深刻になる。(p.175-176)
これは、その前の節である「東アジアのダイナミズム」と比べると違いが鮮明になる。
歴史的に見ると経済発展のパターンは、次のような順序をとるケースが多い。まず農地改革によって土地が多くの農民に解放され、農業の効率化が進む。自分の農地を自分で耕作することによる「働きがい」の成果である。農業の効率化の結果、農業から軽工業(代表的な業種は繊維)へ労働力が移動し、軽工業が輸出産業となって工業化のプロセスを加速する。そして輸出の振興が重工業化への原資を形成する。(p.163-164)
猪木はこの典型パターンを、日本・韓国・台湾などに見るのである。
農地改革が経済発展にとってきわめて重要なことは、日本の戦後改革を改めて例示するまでもない。農地が新規耕作者へと解放され、農地の耕作者が確定した耕作権を持ち、その耕作地が自分の所有地でもあり、土地改良や灌漑システムへの投資を行う誘因が存在しなければ農業の発展はない。その意味で農地改革は、いわば農業の発展のための、(それゆえ工業化のための)前提条件となる。さらに農地の平等配分は、所得の平準化にもつながり、大地主が大土地所有のまま留まり、多くの小作人を抱えこむ体制よりも有効需要を創出する力は大きい。(p.165)
結局工業に投資するのであれば同じではないか、というふうにも思える。しかし、「平等化」を一定達成しながら発展させていく方式と、いきなり上から工業化を「計画」してしまう方式では結局天地の開きができてしまったことになる。
東欧における「改革」――ポーランド
さて、東欧の「社会主義経済」は最初から最後までソ連型の一元的・指令的な計画のみだったのだろうか。猪木の同書には、東欧諸国でこうしたソ連モデルからの改革を試み、苦闘を続けてきた歴史が描かれている。
まずはポーランドである。
マルキストの優れた理論経済学者であったランゲは、価格メカニズムの役割を無視した従来の社会主義計画の手法を批判し、企業と消費者の行動のインセンティブ(誘因)を価格で調整する自由市場に擬したシステムをデザインする。企業の投資量決定に関しても、ある程度の発言権が持てる仕組みが組み込まれた。しかし投資決定に企業が発言できる「自由」も、期待収益の低い投資の拡大を許容することになり、企業内・企業間の「競争」がなく、投資資金の無駄な配分を招くことになった。(p.176、強調は引用者)
自由市場に「擬した」と書かれているように、一見してこれは市場の導入とは言い難いことがわかる。価格が調整のシンボルであることに目をつけているものの、他の要素が市場経済とはまるでちがうために、市場経済のような柔軟さを生み出さない。
猪木は、このような投資の決定に利潤や競争の契機が入り込まないために、何が起きるのかを次のように書いている。
ソ連型の計画経済の下では、企業は費用感覚なしに生産拡張一辺倒になる誘因構造を持つ。計画は作成されても、資源不足のため実行はそもそも不可能になる。つまり企業が事前に報告する数量が無理と虚構に満ちているため、そのための資源自体が存在しない。また時には、計画目標を遂行しようとして産出物の質を低下させる。こうした不足がもとで計画未達成に陥らないために、労働、設備の予備部品や原材料の在庫をむやみに多くする一方、産出物の在庫はきわめて少ないという歪みが生じた。
費用感覚がマヒしてくると、新投資による生産能力の拡張が経営や労働側の努力を全く必要としないで産出量を増大させる基本手段となる。したがって「投資せよ、投資せよ」が至上命令と化す。そして投資に対する超過需要が常に存在する。企業はますます投資プロジェクト案の費用を過少に見積もり、その成果を過大に計算する。費用が収益を超過することがわかっていても、未完成投資プロジェクトの完工断念は「国民経済的損失である」として、追加資金を認める構造ができ上がるのである。(p.177-178)
東欧における「改革」――ハンガリー
ハンガリーではどうか。
〔「ハンガリー動乱」──引用者注〕以降は、親ソヴィエト体制が一九五六年から一九八九年まで三〇年以上続くが、その間も経済運営の面でハンガリーはさまざまな改革を実施した。特にガダールの権力が安定化する一九六三年以降の統制の緩和は大きい。小規模農地の私有化、農業生産の計画化の廃止、農業投資の規制緩和など、農業の分権化が進む。その結果、一九六四年から一九六七年の間で、小麦の生産は五〇%以上増加した。しかし利潤誘因や新技術導入を刺激する低利子政策が採用されたものの、工業生産にはたいした成果は見られなかった。計画経済の弱体化の中で一九六八年に導入されたのが「新経済メカニズム」であった。これは東欧圏で開発された最もラディカルな経済体制改革であった。(p.180)
非スターリン化現象で、ハンガリーの政治・経済の統制が緩みかけていた一九五四年から五七年頃にかけて、ハンガリーではソ連の経済学界に先んじて、経済改革に関するいくつかの重要な論文が現れていた。それらは社会主義下の計画的経済管理が、企業に適切な意欲と利潤誘因をもたらさないこと、需要と供給による相対的価値形成がなされないことを指摘したものである。論文中には「市場」という言葉は表だって用いられてはいないが、いずれも市場による調整を提唱する内容であった。(p.180-181)
「新経済メカニズム」は「社会主義の枠内における制御された市場」であり、マクロ経済政策には指示的計画のシステムが含まれる。利潤という企業への報酬のメカニズムを制度として組み込む、原料と消費財の多くに対する価格統制を撤廃する、貿易を国家独占から解き放つ、そして実勢からかけ離れた複数の為替レートを、より現実的な単一レートに一本化する、というものであった。経済的自由のしるしとして小規模な私的経営を許可したが、この変化は米国や西欧諸国に大いに歓迎され、経済援助も増大するという好循環も生まれた。(p.181)
しかし、このハンガリーの改革も思わしくない状況になっていく。
この改革が一九七〇年前半あたりから必ずしも良好な結果を生み出さなくなったのは、投資決定を政府がコントロールし、劣悪なパフォーマンスの企業も雇用保障のために解散できない、という政策が影響した。「新経済メカニズム」が自由経済における「市場システム」とは程遠い、「市場の造成」となったからである。(p.182)
もうひとつ、この「社会主義的市場経済」が理論通り作動しなかった理由としては、政治におけるリベラリズム体制が完全に欠如していたことが挙げられる。こうした改革の実施に際して、中央の政治権力が権限を下位へ、そしてフロントへと委譲することは現実には難しい。経済的自由と政治的自由が分割不可能であることを考えると、経済の基礎的条件の変化が、上部構造たる政党の性格を変えずにはいられなくなるまで、ハンガリーは「時が満ちる」のを待たねばならなかったということになる。(p.182)
この記述をみたとき「では中国はどうなのか」と思ったものだが、それ以上考え抜く材料もない。
このあと、チェコスロバキアの記述があるが、改革の途上でソ連軍の侵攻に遭い、結局ソ連型の統制経済に戻されてしまうものとして描かれている。
分権化された経済主体――ユーゴスラビア
もっとも分権化が進み、独立した企業主体の存在という意味で市場経済に近いスタイルになったのはユーゴスラビアではないのか。
チトーは一九五〇年六月に、「労働者自主管理」制度(生産者自身による経営)を導入し、経済管理の分権化を図った(経済管理の分権化と地方自治の強化を基本として、一九六三年四月の憲法で、国名も「ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国」と改称している)。特に一九六五年の経済改革(自由化)によって、企業経営はほぼ全面的に自主管理に委ねられるようになった。この労働者自主管理制度によって、各企業は製造・購入・販売・価格付け・輸出入・賃金に関する自己決定権を持つようになった。労働者集団は、評議会・経営委員会・企業長から構成される組織で企業運営にあたるが、評議会メンバーや経営委員会は無記名の直接選挙で選ばれる。従業員五名以下の零細企業は私的所有が認められているので、このルールの適用外となる。このシステムは工業部門だけでなく、商業や輸送などの第三次産業、大学や病院にも及んだ。
多くの価格は統制を受けず、企業の外国との貿易にも一定限の自由が認められた。もちろん政府は関税と複数の為替レート、輸出・輸入の認可業務を通して企業行動をコントロールすることはできた。このような経営管理と経済の分権化によって、企業行動は変化する。まず企業の費用節約、販売促進のインセンティブが強まり、経営の能率化、市場での競争意欲が高まる。そして倒産や失業の可能性も存在するから、理論的には市場経済と同じ自己責任の原則が貫徹することとなる。しかし、倒産や失業が一時的に起こっても、企業自体は国有ではなく社会有(社会全体のもの)であるから、労働者や企業長の責任は「一時的に職を失う」という不名誉にとどまるにすぎない。それがこの「社会主義的市場経済」システムの限界であった。(p.185-186)
特に投資水準の決定が多くの問題を抱えていたことは、社会主義経済に共通した難点である。投資のための予算配分が競争的なベースで行われなかったのである。一九六五年、ついに投資を分権化、銀行も民営化、これまで国家の投資をファイナンスするために用いられてきた企業税も廃止された。長期の投資の決定も分権化されたという点では、ハンガリー経済よりもいさらに市場化が進んだことになる。(p.186-187)
にもかかわらず、ユーゴスラビアの経済はうまくゆかなくなる。猪木はその原因について次のように書いている。
しかし、この改革は成功を約束しなかった。その原因は、労働者たちが自分の取り分をできるだけたくさん、できるだけ早く奪い合い、企業の資本形成、社会の資本形成をも取り崩し投資自体を阻害してしまったからである。こうした事態の発生が賃金支払いに関する政府干渉を招くことになる。
このようにして、競争的自主管理は所得格差の拡大と社会的不満を強め、民族的対立感情を再燃させるきっかけを作り、一九七〇年代に入るとユーゴの社会主義的市場経済は暗礁に乗り上げる。(p.186-187)
ユーゴスラビアの「労働者自主管理」制度は、日本の一部の社会主義者が夢見ている「協同組合型経済」のモデルのようなものだ。東欧の激動があったとき、ソ連型経済がどこもゆきづまったのをみて、「一元的な計画はダメだ」という議論が出たのだが、そのとき「ではユーゴはどうなんだ」という反論が出ていたのを思い出す。
経済をコントロールする、という社会を想定するとき、だいたいソ連型の中央集権的な計画にもとづく経済を思い浮かべる人が多い。その計画を「民主的」にすることが「生産手段の社会化」なのだといまだに思い込んでいる左翼も古参の人たちにはけっこういるだろう。
これとは別に「生産者が主人公」というようなスローガンを社会主義経済のスローガンだとして、そのときに、こうしたユーゴスラビアのような「労働者自主管理」企業、協同組合企業を思い浮かべる人もいる。
しかし、個々の企業で労働者(従業員)が「主人公」になることと、社会全体で何らかの理性が発揮されることは別の問題ではないのか……と学生時代にぼんやりと思ったものだったが。
本当に「社会主義的市場経済」という言葉がふさわしいのか?
ぼくの感想。ハンガリーとポーランドは、「社会主義的市場経済」とはいうものの、利潤の刺激も、投資の決定も自由ではなく、企業が競争に敗れてつぶれる(市場から退場する)ということもないように思えた。それはおよそ「市場経済」とはいえないのではないか、と感じた。そもそも「社会主義的市場経済」というふうに、当時のハンガリーもポーランドも言ってなかったと思うのだが。
ユーゴスラビアの場合、猪木は失敗の原因を「労働者たちが自分の取り分をできるだけたくさん、できるだけ早く奪い合い、企業の資本形成、社会の資本形成をも取り崩し投資自体を阻害してしまったからである」というところに求めている。しかし、競争や倒産がありえるならこんな行動はおこさないはずだと思うのだが、おこしたことになっている。やはりユーゴスラビアについても、分権化されたといっても、市場経済とはほど遠いところにいたと考えられる。
東欧の失敗から何が言えるか――資本そのものは否定できるのか?
これら東欧の「苦闘」を概括してみたとき、結局、個々の企業主体が自由に、独立して行動ができ、利潤を目的として生産し、敗れたものは市場から退場する、というシステムを備えていない限り、市場の機能はうまく活用できないように思える。さっきものべたとおり、市場経済と資本主義は別のものであるが、両者は渾然一体に存在しているもので、具体的には、資本(利潤追求を至上目的とした価値増殖体)という存在を否定して市場経済だけをとりだすということは不可能だとぼくは考える。
「資本主義を乗り越える」とはどういうことか
「ならばお前は資本主義者ではないか」といわれるかもしれない。
前からぼくが述べてきたことであるが、資本主義がはらむ本質的な矛盾というのは、利潤追求を第一の原理とすることによって、経済が暴走したり、人間生活が犠牲になったりすることだ。マルクスがこの点について次のように述べている。
資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである。というは、資本とその自己増殖とが、生産の出発点および終結点として、生産の動機および目的として、現われる、ということである。それは、生産は資本のためのものであって、その逆ではないということ、生産諸手段はたんに生産者たちの社会の生活条件をたえず拡大するための手段ではない、ということである。生産者大衆の収奪と貧困化にもとづく資本価値の維持と増殖が、その内部でのみ運動することができる諸制限――このような諸制限は、資本が自分の目的を達成するために使用せざるをえない生産諸方法と、たえず衝突することになる。この生産諸方法とは、生産の無制限の拡張に向かって、労働の社会的生産諸力の無条件的な発展に向かって、突進するものである。手段――社会的生産諸力の無条件的な発展――は、現存資本の増殖という限られた目的とは、たえず衝突することになる。それゆえ、資本主義的生産様式が、物質的生産力を発展させ、かつこの生産力に照応する世界市場をつくり出すための歴史的な手段であるとすれば、この資本主義的生産様式は同時に、この生産様式のこのような歴史的任務と、これに照応する社会的生産諸関係とのあいだの恒常的な矛盾なのである。(マルクス『資本論』、新日本新書判9分冊、p.426-427)
このような経済のあり方(結果)を、さまざまな装置を使って制御したり、うまく誘導したりすることこそ、資本主義=利潤第一主義の克服である。市場や商品や貨幣を無くさねばならないとか、個別資本そのものを「絶滅」させるとか、そういうことが絶対に必要だ、というわけではないのだ。
前にも比喩で使ったことがあるが、経済という猛獣を抑え込むのに、手足と体をすべて拘束して人間の思い通りに動かそうとするのがまさに「ソ連流」であり、猛獣の習性をよくよく調べながら、エサを置いたり、眠る時間を利用したり、繁殖しやすくなる環境を整えたりしながら、獣害を避けて人間に役立つように利用するというのがめざすべき経済の管理なのである。そして、経済という猛獣の習性を知り、それを管理する装置やしくみは、理性が頭のなかで設計して構築していくものではなく、現実の社会の格闘のなかで生み出され、現実の社会のなかで育っていく他ない。猪木が紹介した「公的部門の肥大化」という戦後経済の特徴は、そのような萌芽がまさに社会のなかに育っていることの現れである。
ソ連型経済と「自由経済」は収斂するか?
以上のような視点にたって、猪木の本書が導きだした結論のいくつかの点について、あるものは同意し、別のものは批判しておく。
一九六〇年代初頭、オランダの経済学者ヤン・ティンベルゲンは、「共産主義経済と自由経済は収斂パターンを示すか」という論文を書き、その肯定的な結論は広く専門家たちの注目を集めた。ティンベルゲンは後にノーベル経済学賞を受けるほどの立派な業績を残した経済学者であったが、彼の「収斂理論」に対して歴史は一応、逆の裁断を下したといえる。…(中略)…公有の領域が広がれば、体制は自由経済と計画経済の双方の要素を持つ中間点に落ち着くというティンベルゲンの予想は、公有・公営が露呈したさまざまな浪費や非効率ゆえ根本的な見直しを迫られたこと、先に見たように、規制緩和、補助金の削減、民営化などが八〇年代に入って米・日・欧で急速に進展したこと、などを見れば正鵠を射たものでなかったことがわかる。むしろ、民営・自由企業体制の下での従業員の参加、産業民主主義の進展こそ、戦後五〇年の先進工業諸国の主な動きだったといえる。(猪木p.321-322)
まずぼく自身がティンベルゲンの論文を読んでいないのだから話にならないが、ソ連型経済と自由主義的な経済が、混合経済的な中間、とくに国有や公有の広がりという形では収斂したなかったことは同意せざるを得ない。しかし、規制の弱い自由放任的な資本主義に対して、それを規制するしくみが発達し、公的セクターが肥大していったことは猪木自体が認めるところである。
私的なはずの経済に公的な関与がますます強まっていくというのが戦後経済史ではなかったか。
他方で、中国やベトナムなどでは、ソ連型指令経済を脱却し、市場化を進めつつ、そこに公的な関与を強く残す経済が続いている。
そういう意味では、自由経済とソ連型経済は、変貌をとげながらその中間点で落ち合おうとしているのだ。これこそが世界の流れではなかろうか。
私的所有の企業体(資本)の分立はおそらく当面必要
社会主義の計画経済システムの破綻は何を意味していたのだろうか。ひとつは、経済社会の中に公有・公営・公共的消費といった公的領域は確かに存在するが、使用・収益・処分を自己責任の原則で行う「私的所有」の機能が根本的に重要だということが再認識されたこと(p.331)
これは手放しではないが、基本的に同意できる。その理由は、そのすぐ後に猪木が書いているように、
生産財が
指摘私的に所有されず、生産財の市場が存在しないところでは、中央計画当局はあらゆる財の社会的価値、すなわち市場価格を知ることができない。市場価格と、それを決定する自己利益についての計算がないところでは、人は経済的に合理的な(例えば一定の支出で最大の満足を得るとか、一定の費用で利潤を得るという)行動をとることはできない。市場価格がないということは、その行動が本質的に非合理・非経済的にならざるを得ない。つまり経済が巨大なロスを生み出すことを回避できないのである。(p.332)
ということだろう。
ただ、急いで付け加えなくてはならないことは、生産財の私的所有は市場価格を形成し、自己利益を計算するものであるが、その私的所有にたいして、社会や国家は絶対不可侵・完全不干渉ではない、ということである。その関与をどんな形でどの程度まで行うかというところに経済運営の妙がある。
資本主義には適切な労働報酬システムがある?
社会主義計画経済には、個人的な「働きがい」というものが全く考慮されていなかった。努力を評価し報酬に結び付ける「非人格的な」市場のような装置が欠落していることが最大の、そして致命的な欠陥なのだ。この点について、多くの人が気付きながら、「平等」という大儀〔ママ――引用者注〕のためにその致命的欠陥を意図的に無視してきたのである。(p.320)
社会主義の計画経済システムの破綻は何を意味していたのだろうか。…(中略)…競争をベースにした労働への報酬制度と勤労意欲の関係が生産システムを作り上げる場合にきわめて重要なこと、言い換えれば、労働には「励み」となる適度の報酬が必要なこと(p.331)
うはははは。これには大いに疑問がある。
労働報酬のインセンティブは、ソ連でもたとえばスタハノフ運動のように、つけようと思えばそれなりにつけられたし、原理的にもこれは可能である。
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20101113/1289663090
他方で、資本主義日本のもとで、重い車体を持ち上げて体を切り売りしながら低賃金で働かされている派遣工に、「努力を評価し報酬に結び付ける『非人格的な』市場」などというものがあるだろうか。原理的にも、「かわりはいくらでもいる」もとで、コストぎりぎりで働かせようとする資本主義経済においては、そんな戯言が意味をなさないのは多言を要しない。
ただし、日本の高度成長期に資本にとりこまれていった大企業正規労働者や、80年代でも「自発的に」働き、働きすぎて過労で死ぬというサラリーマンの姿を見たとき、それを支えているものは、「競争にさらされた会社のもうけを大きくすることが自分の厚生を高めることだ」という「企業社会」観念であろう。
それが幻影であったかどうかということは別にしても、私的所有のもとでの「会社」に何らかの一体感、参加、帰属意識を強く持っている場合、会社を大きくしようとか、せめてつぶさないようにしようとか、そういう意識はたしかに働く。しかしそれは「努力を評価し報酬に結び付ける『非人格的な』市場」というような言葉では表現しがたいものであろう。
参加や民主主義が保障されれば、私的所有にもとづく利潤や競争を動機づけとすることは不要だという意見はありうるが、それはいささか楽観にすぎる。ユーゴスラビアの失敗はそれへの反論となるのではないか。
個別企業の利潤動機や競争は認めたうえで、社会全体としてその弊害を正していくシステムが必要だということだ。
利潤動機をめぐる猪木の混乱
環境汚染について、企業活動のモラルが社会的に批判される場合、「利潤動機や資本主義経済に問題がある」という主張が出てくることが多い。しかしここには基本的な混同がある。例えば利潤動機に基づかない社会主義経済圏の環境汚染は、自由主義経済圏よりもひどいことが明らかにされている。むしろ経済が成長することによって環境保全活動が進むのであり、環境の悪化は経済体制の問題ではない。(p.353)
重要なことは、環境破壊の行き過ぎを反省し、環境への配慮不足を是正し、環境を改善させるための法的措置や政策をどう実施していくかということである。その過程で「中」に戻ることが重要であり、これこそ倫理の問題なのである。利潤動機そのものが悪いのではない。利潤動機自体は、誇るべき動機であり、人類が富を創出したのはこの利潤動機であったことを忘れてはならない。むしろ、利潤動機に「行き過ぎ」があったことが問題なのである。…(中略)…倫理の問題とは、基本的にそういう「行き過ぎ」を食いとめるようなシステムをいかにデザインするかということなのである。(p.353-354)
半分同意、半分反対だ。
まず、最初の引用においては、基本的混同をしているのは猪木自身である。
環境破壊の原因は「利潤動機や資本主義経済に問題がある」ことは疑いようもない。問題は「だから利潤動機を一切否定せよ」という結論に一足飛びにいってしまうことなのだ。
利潤動機が「人類が富を創出した」というのは資本主義経済が爆発的な生産力の解放をしたという点において、まさに正当な見解であるが、それが利潤第一主義、利潤至上主義となることで環境破壊や金融恐慌などの問題をひきおこす。その意味では「環境を改善させるための法的措置や政策をどう実施していくか」という問題であり、「『行き過ぎ』を食いとめるようなシステムをいかにデザインするか」という問題なのである。
資本主義とは「欲望の経済」ではない
バブルの破裂、実体経済を撹乱する金融資本の力は、何らかのシステムをデザインすることによって制御されねばらない。人間の欲望そのものを否定してことが済むわけではない。人間は欲望を持つ。その欲望をコントロールし、よりよい方向へと向かわしめることが必要なのである。…(中略)…「情に訴えるのではなく」、「知性でもって」欲望を制御できる制度を創らなければならない。(p.355-356)
猪木はここで、「共産主義とは欲望の否定や制御である」という俗説を意識しているようだが、マルクスが『資本論』のなかで、
欲求の充足ではなく利潤の生産が資本の目的である(マルクス前掲p.437)
とのべているように、正反対なのである。
人間の欲望を満たすのがマルクスの考えた生産であるが、資本の生産は人間の欲望を満たすことではなく利潤の生産を目的としているので、(支払うべきカネをもたない)欲望を無視・否定したり、逆に、ありもしない欲望をつくりあげ、煽り、それにむかって突進した生産と経済活動を行っていくのである。
欲望をコントロールすべきだ、などという猪木の主張は、むしろ俗にイメージされている「共産主義」そのものではないか(笑)。猪木自身が混乱しているのだ。
「バブルの破裂、実体経済を撹乱する金融資本の力」を「何らかのシステムをデザインすることによって制御」することにはまったく賛成なのだが、それは欲望の制御という問題ではない、むしろ逆に、欲望を充足する経済を構築するべきだというのがマルクス主義的結論なのである(笑)。