『ふらり。』は、全国的測量に出発する前の伊能忠敬とおぼしき人物と、妻・お栄が江戸の街で生活する様子を描いた漫画だ。
視線を鳥、蟻、亀、トンボといった様々な動物に移すという夢とも現ともつかぬ設定をとりいれることで江戸の街の散歩、花見、潮干狩り、川下り、蛍狩り、といった風情を、谷口ジローお得意のパノラマ的な構図で読者に提示し、当時の江戸を案内されて見ているような効果を生み出そうとしている。
だけど、「江戸の息づかい」というか、さながら江戸に生きているような気持ちになるうえで「風情」というものは、ぼくにとってはあまり効果がない。
花見にしろ、蛍狩りにしろ、潮干狩りにしろ、確かに現代と違った情景のようにも見えるのだが、一面が桜となる壮観や、蛍の乱舞、芋を洗うような貝の採掘といった光景は、逆に「いつの時代もかわらない」という気持ちにさせられる。
いや、むしろ、自然と生活の距離が近かった江戸時代よりのほうが、花見・蛍狩り・潮干狩りといったものは、「自然を満喫する非日常のイベント」ではなく、ただの「生活」だったはずだ。
花見はどんちゃん騒ぎする娯楽であり、潮干狩りはただの日常食料の採取である。蛍狩りは「夜の娯楽」だから、現代で言えばテレビを見るのと同じ日常であったのではないか。
パソコンに囲まれて仕事をしている現代人にとってこそ、そうしたイベントは、日常との落差の大きい、癒しをもたらす特別な行事である。目を酷使し、眼精疲労に陥り、コーヒーに浸かりながら深夜まで電球の明かりのもとで労働をこなす現代人にとってこそ、花見や蛍狩りや潮干狩りは、江戸時代の人間とは比べ物にならないくらいの日常を抜けだす力を持っている。この漫画が江戸の花見・蛍狩り・潮干狩りを描くのは、むしろ現代人のためであろう。
だから、この本に出てくる風景の描写によっては、ぼくは現代とは違う「江戸の息づかい」を感じることはあまりない。
生産力水準に「江戸」を感じる
ぼくが「江戸の息づかい」、すなわち「ああこそれこそ江戸時代に生きているということだ」としめつけられるように感じるのは、当時の生産力水準を見せられるときである。
この漫画では、伊能忠敬が歩測で距離をつかもうとしているシーンや様々な道具の開発がそれにあたるのかもしれないが、残念ながら描写としては弱い。
むしろ、ぼくがこの漫画でそれを感じたのは、捕鯨のシーンである。
潮干狩りのときに、漁師がかつて江戸湾に迷い込んできた鯨を、人海戦術でつかまえ、将軍が見に来るほどの騒ぎとなったが、やがて腐りだし、あわててそれを解体した、ということを回想するシーンがある。
この解体は見開きの大ゴマで描かれる。
虫の死骸に群がる蟻のごとく、大勢の人間が鯨の巨魁から自分の背丈、いや家の壁ほどもあろうかという脂や肉の塊を切り分けていく様は圧巻である。現代では機械によって淡々となされるであろうその作業に、将軍まで見に来るというお祭り騒ぎぶりと、そうした鯨の肉が途方もないカネになるという欲望の熱気が伝わってくるのである。
ぼくの住む福岡市にも「鯨塚」はある。
http://www.asahi-net.or.jp/~rn2h-dimr/ohaka2/10gyogyo/18kyusyu/hakata_sirusi.html
この捕鯨は明治のものであるが、それでも塚ができて大騒ぎになるものだったようで、最近できた東区のガイドブック(『東区歴史街道を往く』)によれば、
「今のお金に換算すると1900万円程度であったと思われます。当時の漁師200戸で配分すると一戸当たり9万5000円になり、今回の定額給付金より高額でした」
というガイドの説明がある。
思わぬお金を懐にした漁師たちは、芝居小屋を興行したり、祝いの宴を開いたりと箱崎地区は賑わったそうです。
だが、この鯨の解体もあくまで江戸の「のんびりとした風情」の一つにすぎない。
生産力水準の粋としての医療
本当に江戸の息づかいをぼくが感じるのは、その生産力水準の粋を集めて、まさに生死を分ける瞬間、すなわち江戸の医療を見るときである。
現代ではそれほど大事にいたらないであろう病気、たとえば虫垂炎のようなものであっても、江戸の人間には死に直結する。外科手術も、抗生物質も、消毒概念もない(乏しい)時代なのだ。
まず生まれること(出産)自体がおそろしく危険に満ちた行為であり、抵抗力の弱い乳幼児期をくぐりぬけるまでは容易ではなかっただろう。そこをうまく脱することができても、たとえば感染症なんかには、なすすべがなかったはずである。
前にも紹介したことのある茨木保『まんが 医学の歴史』は、近代以前、いや、近代に入ってからもかなり長い間、医学というものが現代の水準からみて驚くほど小さな役割しか持っていないことを明らかにしている。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/manga-igakunorekishi.html
華岡青洲が通仙散による麻酔実験が1800年代、全身麻酔の開発が19世紀中葉。コッホの3原則の発表が1876年。ペニシリンの発見が1929年。1847年にゼンメルワイスが産褥熱への対処として手術での消毒を実践するまで、使い回しの手術道具、血膿で汚れたコートで外科手術をするのは当たり前だったという事実に実に愕然とする。
「江戸」において可能なこと、可能でないこと
そこで村上もとか『JIN-仁-』ですよ。
高度な外科技術を持つ現代の脳外科医・南方仁が江戸時代末期にタイムスリップしてしまう物語である。
のちに居候することになる武家の跡取りが重傷を負う現場に居合わせた南方が、家で脳外科手術をおこなうエピソードから始まるのだが、手術用具の熱湯殺菌、焼酎での消毒、一般人の「細菌」概念の無さが描かれる。
医史学者や医学者がこの漫画のスタッフについているので、この時代に何がわかっていたのか、そしてその生産力水準で何が可能か(道具、薬品など)が詳細に明らかにされており、そのギリギリの攻防がはっきりと伝わってくる。
この漫画で一貫してその開発に南方が腐心しているのは抗生物質、ペニシリンの開発およびその安定的な生産である。江戸時代にある道具立てでどのようにペニシリンを製造できるかを謎解きのように描いているのだ。
それまで「熱をおさえる」「咳を止める」など「対症療法」しかなかった医学は、抗生物質の発見によって「化学療法」すなわち原因そのものと戦いそれを除去するという画期的な段階へすすむことになった。わけてもペニシリンは、人体を傷つけずに病原菌のみを射抜く「魔法の弾丸」であり、この開発と普及があるかないかで人間の生存が大きくかわってくる。
南方が莫大な赤字や借金をかかえながらその開発に心をくだくところに、逆にぼくは「江戸」を感じるのである。
江戸時代の平均寿命ははじめ20代、その後30代で推移している。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1615.html
むろん、それは30代までしか多くの人は生きられなかったという意味ではなく、乳児死亡率の高さが原因と考えられる。
『JIN-仁-』では、出産の危険とともに、子どもの病気や事故もいくつか描かれる。江戸にタイムスリップしてから2つめのエピソードで描かれるのは子どもの餅の誤嚥である。喉を小さく割いて気道を確保し呼吸をとりもどして、つまった餅を吐き出させる。簡単なことだが、気道を確保する救急技術がなければ、確実に子どもは死んでいる。また、「紙飛行機」を追っていた幼女が転落して重傷を負うのだが、外科手術のない時代には親の見ている前で失血死するのだろう。
感染症との戦いも、江戸時代の人間にとっては、ほとんど完敗に近いものだった。『JIN-仁-』ではコレラ(コロリ)や麻疹の流行が描かれている。
コレラはともかくとして、現代ではワクチンがあるために麻疹を恐れる人はほとんどいないが、この時代の人間にはなすすべもなく死に、助かるものは「偶然」でしかない。その間に神仏信仰が入り込むのはたやすいことである。
それゆえに、南方が、家々に貼られた麻疹退治の「魔除け」をはがし、
こんなもので麻疹は治りません!
この長屋から病魔を追い出したかったら
わたしの言う通りにして下さい!
と高らかに宣言するシーンは、まさに「文明の光」であり、「江戸でないもの」が現れたその瞬間であり、たとえようもないほどの爽快感を味わいながら読むことになる。
そういうことの一つひとつがまさに「江戸」であり「非江戸」なのである。南方の「江戸期のもちこまれたギリギリの現代医療」は「江戸」と「江戸でないもの」の境界を往来し、そのことによって、はっきりと「江戸」を読む者に強く意識させる。ぼくは一つひとつのエピソードが終わるたびに、南方よろしくまさしく「江戸」に生きているような気持ちになるのだ。