益田ミリ『どうしても嫌いな人 すーちゃんの決心』

どうしても嫌いな人―すーちゃんの決心
 益田ミリの新刊『どうしても嫌いな人 すーちゃんの決心』(幻冬舎)は、えんえん嫌いな人が「すーちゃん」やその周辺の人々にかけてくる心的負荷をこれでもかこれでもかというほどに、しつこく、バカ丁寧に、微に入り細に入り、えんえんと描き綴っている。これほどまでに不毛な感情について、まさに「えんえんと」である。なんかの罰ゲーム?

 イヤなら本を放り出せばいいが、この「嫌いな人」をつい頭に思い浮かべてイライラしてしまう心の動きというものは、万人共通のものであって、それゆえに、多くの人は本書を投げ出すことはできない。「まったくそうなんだよ…」などと心のなかでグチりながら最後までこのプチ地獄につき合わされるという寸法である。

 本書に出てくる「すーちゃん」は、『すーちゃん』『結婚しなくていいですか。 すーちゃんの明日』などのシリーズものの主人公で、36歳独身、年収320万円、「プロント」みたいなチェーン系カフェの店長、「友達がお母さんになるとちょっと淋しい」というスペックの女性である。

『結婚しなくていいですか。』書評 - 紙屋研究所
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/kekkonsinakute-iidesuka.html

 すーちゃんは、日々「嫌いな人」に苦しめられている。
 といっても、いじめとか暴力とか露骨な意地悪をされているわけではない。職場の同僚女性(というかコネ入社の部下)のちょっとした言動にいちいちイライラさせられている、ということなのだ。
 その同僚女性が社会的にみて決定的な「悪さ」(前述のいじめとか暴力とか重大ミスとか極度の無能力とか)を抱えているわけではないし、正面切って批判するほどのわかりやすい批判ポイントを備えているというわけでもない。
 いわば「基準値」に達しない「悪さ」なのだ。
 ゆえに、排除や拒絶ができない。
 しかし、それは長期間の影響で体全体を侵す毒のようなもので、一日いちにち、じわじわと精神を蝕んでいくのである。

 どんな具合かというと、こんなふうである。
 勤務中、すーちゃんの横に寄ってきて、

「ねー、3番のお客さん見た?」
「ん?」
「コーヒー頼まずにケーキだけだよ
 ビンボーくさくない?
 ケーキもちびちび食べててさ〜」
「向井さん そろそろ休憩入ってね」
「あ、了解〜」
「ごゆっくり〜」

 ケーキだけ頼んでちびちび食べるって学生時代のあたしじゃん、とは、ぼくのつれあいのつぶやきだが、それはおいといて、すーちゃんは客(他人)の行動を口さがなく喋る向井という同僚に苛立たせられているのだ。
 もちろんそれだけではない。
 それを軽くたしなめたすーちゃんに、「なにいい子ぶって」と批判したあと、「なーんて冗談」と言ったりもするのだ。「冗談」だとつけることで場を険悪にしないようにしている…といえば聞こえはいいが、不快な批評を投げつけておいて、反撃の言葉を遮断するために「冗談」だと言って一方的に防御するわけで、これほど虫のいい話はない。


嫌いな職場の人にどう対応するか

 まったくソリの合わない同僚・部下・上司・取引先というのはどこにでもいるものだ。ぼくは読売新聞の「人生案内」というコーナーが大変好きで人生の隙間に生じる感情の収まりきれなさを読者が相談し、専門家が日替わりでそれに答えているのだが、ここでしばしば「嫌いな同僚(部下・上司など)とこれ以上やっていけません」という相談がある。

人生案内 - YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/

パソコン覚えぬ上司に不満 - YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/gakko/20100327-OYT8T00200.htm

上司気取りの部下が昇進 - YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/shinshin/20100528-OYT8T00217.htm

「坊ちゃん」上司にうんざり - YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/gakko/20100827-OYT8T00117.htm

 それくらいよくある問題、しかも「難問」の一つなのである。
 このようなやっかいな毒をもった敵にどう対処すべきだろうか。

  1. 敵を滅ぼす・撃退する。(相手を物理的に消す)
  2. 毒に対する耐性をつける。適応する。(自分が変わる)
  3. 防衛的反撃をして毒を注入されないようにする。(自分は変わらず、相手や環境を変える)
  4. 自分が逃げる。避難する。(自分が物理的に消える)

 相手を異動させるのは1、相手の嫌なところを受け流す、「いいところもある」と思って受け入れる、などは2、相手を批判して人格や行動・態度を変えさせるのは3、自分の異動を願い出るというのは4ということになる。
 相手が嫌なことを言ったりやったりするたびに激突し、相手を圧伏させる、というのは1だろう。相手を嫌だと思う自分の感情をストレートに延長させればこうなるわけだけど、ものすごい消耗になるし、職場が滅茶苦茶になる。
 相手に正面から批判をして嫌な言動をやめさせるようにするのは3になるが、2人の関係に第三者を介在させたりグチ仲間をつくることで、毒を薄めさせるというパターンも3になるだろう。


すーちゃんの必死の努力=自己意識の改造

 すーちゃんは2を必死でやろうとする。つまり自分の意識を変えて相手のいいところを見出そうとするのだ。

 「人生案内」における回答も多くは2である。自分の気の持ちようを変えろ、と。まあ、会社人事をいじったり、うかつな転職のすすめなんか書けないから、勢いそうなるわけだけど。

そうだ
あの人にだっていいとこはあるんだ
いいところを紙に書き出してみようっと
そうしたらイヤなところも薄まるかもね

などといって、「いいとこ探し」を始めるすーちゃんだが、挙げていく「いいとこ」一つひとつに自分でケチをつけてしまい、かえって精神衛生を悪くしている。

なんか、嫌いな人のいいとこ探すのって
かえってストレスになる

と机に突っ伏してしまうのである。


なぜすーちゃんの「いいとこ探し」は破綻したか

 すーちゃんの「いいとこ探し」が失敗しているのはなぜだろうか。
 それは無基準だからではないか。

 会社とか仕事というものは、何かはっきりとした目的がある。その目的の遂行のために「人材」が集められているわけだ。目的を達成するために、その「人材」がどのように「役に立つ」のか、役に立つようにしむけねばならないか、ということを基準として持たねばならない
 むろんそれをいじるのは会社の上層部や人事の役目のわけだが、当事者たちだって同じである。そこに集められた人材の個性がどういうものかをつかんだうえで、それぞれの個性を生かすように配置したり、役立てたりするようにする工夫が求められる。

 たとえば、先ほどの「人生案内」で、

上司気取りの部下が昇進 - YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/shinshin/20100528-OYT8T00217.htm

1年前、前の部署でうつ病になりました。当時は営業でしたが、部下が取引先から気に入られ、彼のおかげで売り上げがアップ。彼はいつしか上司気取りになりました。

という例がある。こういう人は、既存のリソースを総動員して、期日までに目標を達成してしまう能力を持っているのだといえる。売上という目的を正当だと感じるなら、その目的のために集められているのだから、それは評価しなければならないはずだ。
 ただこういう人は往々にして強引な動員をやるから後始末が大変だったり、成績を生み出す要因は属人的なものにすぎないから会社全体で考えると長続きしないものであったりするわけだが。

パソコン覚えぬ上司に不満 - YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/gakko/20100327-OYT8T00200.htm

であれば、上司にパソコンを覚えさせることがその部署の目的達成のために重要であれば、かなりの力を割いてやらねばならないことだし、どうでもいいことなら、どうでもいい扱いをすべきなのである。

 すーちゃんは「いいとこ探し」で「肌がきれいといってくれた」などということを挙げているが、見当違いもいいところである。
 好きであろうが嫌いであろうが、目的のために集められた集団なのだから、好き嫌いをおいて、目的のために団結しなければならない。目的と別のところで「いいとこ探し」などしても一つも建設的なものは出てきまい。


向井はそれほどひどい同僚か

臨死!!江古田ちゃん(5) (アフタヌーンKC) すーちゃんを苛立たせる同僚・向井は、ここではすーちゃんビジョンで描かれ、悪の権化みたいになっているが、たとえばバイトを次々味方に付けている。派閥化させている、という見方もできようが、職場での潤いのある和ませ方を知っている人間だと見ることもできる。
 なるほどすーちゃんは、公平さや均衡を守り、マニュアルなどを徹底させる力をもっているが、『臨死!! 江古田ちゃん』最新巻で出てくる、「あなたたちの気持ちはすっごくわかるの」といいながら従業員の職場改善要求には断固としてゼロ回答を貫くテレオペ職場の巨乳上司のように見えなくもない。


毒消しとしての仲間――すーちゃんの孤立を考える

 とはいえ、「目的で団結せよ」といってみても、どうしてもいやな気持ちは残るだろう。そこで、毒消し――3が必要になる。具体的には問題意識を共有できる仲間を職場につくるか、グチを言いあえる仲間を職場内もしくは職場外につくることである。
 すーちゃんは、職場で誰も相談する人がいない。
 バイトたちは次々と向井に結集し孤立化を深めているようにさえ見える(すーちゃんにチクるバイトもいるので単純にはそう言えないだろうが)。
 帰っても一人である。
 ようやく話した相手は、たまにしか会えないイトコだ。
 これでは毒は一方的に蓄積されていくだけだろう。


逃避という最後の手段で背中を押す

 けっきょくすーちゃんは4を選んだ。
 「人生案内」で樋口恵子が、ある質問に答えて、

悪いことだからおやめなさい、ですむのだったら「人生案内」は3行で終わりますし、あなたも相談などしないでしょう。

http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/danjo/20101009-OYT8T00160.htm


と述べているが、マンガも同じで、「正論」めいたもので裁断するのではなく、自分の精神や体調を狂わしてまで続けなければならない仕事、命よりも大事な仕事などというものはない、という開き直りを全面肯定したうえで、背中を押してくれる、その作用がとても大事なのだと思う。

 その意味では、すーちゃんの結論にいたるまでのくどいまでの意識のなぞり方は、まさにすーちゃんと同じような境遇で喘いでいる人たちにとって、凡百の説教よりどれほど尊いことか。

 そういう野暮を承知でもう少し続けさせてもらえば、すーちゃんには、労働組合があるとよかったかもしれない。正面切って向井を改造するというより、職場をもっとよくするにはどうしたらいいかという普遍化された課題に昇華させることができたし、ただグチるだけの時間があるだけでずいぶん違ったかもしれないからだ。



家族という共同体の場合はどうか

 ところでこれまで述べてきたのは会社のような「目的のために集まる集団」のことで、家族のような共同体の場合はどうだろうか。家族という共同体には「目的」はない。
 すーちゃんと並行して、本作ではすーちゃんのイトコ、あかねが登場する。あかねは職場でも「嫌いな人」がいるが、結婚を展望する交際相手の男性も「嫌い」になりかけているのである。

 家族が「どうしても嫌いな人」になったらどうすればいいのだろうか。

 「離脱・逃亡」が一番よく使われる手だろう。
 独立して疎遠になる、離婚する、という方法だ。
 目的結社化する、というテもある。恋愛感情が喪失して、もうセックスするのもイヤという夫婦はけっこういると思うが、子どもを育てる場として家庭をとらえ、少なくとも子どもの独立までは共同体を形成し続ける、というものだ。

 あかねは、正面きっての相手批判をおこなう。いわば3の道である。相手を改造しようというのだ。結婚を前にしてこういう要求をつきつけておくのは、確かに必要だと思える。ただ、目的をもたない集団が家族であるから、基準はなく、折衷案的な妥協で終わることもあればゼロ回答を返されるときもありうるだろう。

 くり返すが、家族は狭い意味での目的をもった集団ではないのだから、そこで「嫌い」という感情が拭えないなら、家族を構成しなければいい。つまりあかねは婚約を破棄すればいいのである。
 親子の場合は、疎遠になるのがいい。とにかく差し迫って実現すべき目的がないのだから、疎遠になっていても問題はないという構造を家族は持っている。実際問題として離れていて、加齢にしたがって遠くから愛情をとりもどすことだって親子の間ならありうるではないか。