青桐ナツ『flat』

 従弟である幼児の秋(あっくん)を、しばしば家で面倒をみることになった高校生・平介の物語である。

 

 


 平介のようになりたい、と思う。
 3巻の裏表紙には「超マイペースな高校生」と書かれている。平介は「俺に足りないものって何だと思う」と母親に尋ねる。母親はずばり「労働意欲」と返答する。平介を見てイラつく超生真面目高校生・海藤が平介を次のように評してる

「働かないし
 隙あらば押しつけて逃げようとするし
 ルーズだし
 悪びれないし
 マイペースだし
 なあなあだし」

 平介が口をVの字にして顔を青ざめさせる様子が好きだ。
 困難やまずい事態が外から平介を襲ってくるけども、平介はそれを引き受けざるを得ない状態になるけども、平介のペースでそれをずるずるとやりすごしてしまう。
 気がつけば、今日もぼくは職場で、自分にふりかかる仕事や仕事上の困難を、平介のような顔をしてみて引き受けてみようとする。
 平介のような境地になるには、自分の心境を分節化されたコマやフキダシで表現してみることだ。
 たとえば秋が原因不明で超しょんぼりしている後ろ姿を見て平介は、学校の帰り道、目を瞑りながら思うのである。

(罪悪感だ)
(あのアングル)
(なーんか俺が)
(悪いことしたみたいな気にさせるのよね……)
(暗示的に)

 その顰に倣い、ぼくはぼくの困難を分節化してみる。

(面倒だ)
(俺が動いても)
(どうにもならんってことも)
(まあ あるわけだし)
(焦るだけ損っていうのかな)

 おお。なんとなく心が落ち着くではないか。
 仕事をいつもこんなふうにシノいでいたら大変なような気もするが、テンパっているときは呪文のようにして唱えてみるといいんじゃないかな。

 だけど、マイペースである、というだけでは、ひとはきっと生きていけない。いや、生きていけるけども、生きづらいんだろうと思う。
 平介が世俗を離れた自分勝手なマイペース男ではない、ということを表すシグナルのようなものになっているのが秋の存在である。

 秋の形象は、あまり子どものそれとしてはリアルなものではない。でも、自分に何かをしてほしい、自分の何かを受け止めてほしい、そういう心情を言葉ではなく表情や態度で示して、それが叶えられれば、とってもわかりやすく表情を晴らす、という秋はたしかにかわいい。

 秋という子どもが、平介を好きで好きでたまらない、という行動をとることによって、平介は人々から愛されているキャラクターだということになる。なんだかわかんないんだけど、人々から愛されている——人間関係で生きづらさをかかえるこの現代において、最強のスペックではあるまいか。
 不真面目なのに人に好かれている平介に嫉妬する海藤は、あちこちで「みんな平介が好きなんだ」ということを思い知らされるセリフを何げなく聞かされる。

「ね 最近みかけないね あの人」
「平介さん?」
「そうね」

とは海藤がすれちがったときの女子生徒2人の会話。女子生徒2人のどちらかが言う。「さみしいわ とても」。おそらくそれはどちらが言ってもいいセリフだったのだろう。

 平介は秋を好きなようではあるが、秋を心から慈しんでいるというふうではない。平介が他のことがしたいときに、秋の世話を頼まれるとやはり「口をVの字にして顔を青ざめさせる」のである。秋の心がわからずにあれこれ試行錯誤しなければならないことを「……子どもってめんどくさいなァ」とぼそりとつぶやく。そういう正直な男である。

 だけど、秋が背中で「しょんぼり」を語っているときには、平介のテンションは下がっていく。
 もし何もかもがいい加減な男であり、秋をどうでもいいと思っているのであれば、平介はきっと疲れたりはしないだろう。平介が秋のことを思っているからこそ、次第に疲弊していくのだ。
 その様子をみて、平介をいい加減だと思っていたクラスメートは、ぼそりとつぶやく。

「なんでもかんでもどうでもいい人種だと思ってた」

 平介のように物事に拘泥せずに生きたい。
 だけど、「なぜか人に愛されている」ようにも生きたい。
 昔ならさしずめ、「男はつらいよ」の寅次郎であろうが、寅次郎は物事にずいぶんと執着を示すし、いかにも人を愛してますよというふうに愛する。そういうウェットな感じではなくて、もっとドライに、「なんでもかんでもどうでもいい人種」のようにふるまいながら、やっぱり何かを慈しんだり、気にかけてしまっていることがある瞬間にひょっと透けて見えるようなそんな人間であれば、きっとみんなから愛されるのかな、とぼくは思ってしまう。
 でもそんなことを平介はおそらく計算すらしないだろう(だから、好きな子が通る通学路で雨に濡れそぼつ子犬を「秘かに」抱き上げたりするぼくの姿を「うっかり」見てもらおうなどという策略なんか絶対にしないに決まっている)。

 平介のように生きることは至難である。

 だからみんな平介を愛してやまないのだろう。