益田ミリ『週末、森で』

 翻訳の仕事をして都会から田舎へ引っ越した早川さんと、そこを週末の休日に訪ねてくる、出版社の経理をしているマユミちゃん、旅行代理店に勤めるせっちゃんの物語である。3人とも30代半ばの独身女性だ。

 

 週末にマユミちゃんか、せっちゃんが早川邸を訪れ、森を歩いたりカヤックをしたり料理を食べたり、「いい加減なスローライフ」を送る場面をまず描き、その後にマユミちゃんかせっちゃんの都会でのギスギスした労働のシークエンスが挟まれる、という構成だ。こういう小話が6ページくらいの単位でくり返される。

 益田はぼくとほぼ同世代。その独身女性生活の価値観を代弁するような形で描いた『結婚しなくていいですか。——すーちゃんの明日』で、ただのほのぼの漫画家ではなく、相当に毒をもった作家だと知り、そのあと何冊か読ませてもらった。どれも批評眼がおかしみを産んでいる佳品であった。

 しかし、この作品には一定量の拒否感がぼくの中に残った。

 気になるのは早川さんの立ち位置である。
 早川さんは、田舎に来たからといって、「無理なスローライフ」「肩肘を張ったロハス」をしない(都会から来た友人たちのおみやげに「保冷剤」がいっぱい入っていて「うひゃ〜エコが泣くよ」などと平然とそれをもらうような「自然さ」)。「無理な」とか「肩肘を張った」とかいう形容は明らかにそのあとにくる名詞と矛盾しているので、これ自体は至極真っ当な考えである。
 たとえば早川さんは、田舎暮らしをしているくせに野菜の「お取り寄せ」などをやっている。畑仕事などしない。あるいは、田舎に引っ越したくせに森の中でなどは暮らさず、駅前で暮らす。森の中など不便すぎるし熊でも出たらこわいというわけだ。
 早川さんはやりたいことだけをやっている。友だちが来ても無理に相手をしない。「じゃ、あたし夕方まで仕事する」。友だちも心得たもので「はいはいがんばって」と言って昼寝をしてしまうのだ。

 しかしこうしたことが積み重なると、「無理せず、気張らずに、全力で自然な生活をしています!!」という強い自己主張になってしまう……と感じるのぼくだけだろうか。本当に脱力した姿勢というのは雁須磨子『かよちゃんの荷物』のかよちゃんのような姿勢でなければならないのに(自分の脱力ぶりを口で説明したりせず、行動そのものが完全に脱力)、本書ではあまりにも明示的に「無理をしません!」的な気負いがあるのである。

 

 特に鼻についたのは、都会暮らしの二人(マユミちゃんとせっちゃん)が都会の労働やコミュニケーションでささくれ立った時、不意に田舎にいる早川さんの言葉を思い出し、小さな悟りを得る、という流れだ。

 道ですれ違いざまに舌打ちされたせっちゃんは、ロトを削りながら「あいつめ 苦しめ!」「死ね!」などと怨念をぶつける。そのとき、ふと早川さんの言葉を思い出す。

「宇宙のこと想像できるのって この森の中でも人間だけなんだよ」

 そして、せっちゃんはそのような人間だけに与えられた想像力をこんなつまらないことに使うのはどうかとだしぬけに反省するのである。それを説教臭いと感じるのは決して不当ではないと思うがどうか。

 さらにその直後にせっちゃんが思い出した早川さんのセリフ「『鳥』っていないんだよ 全部に名前があるから」は前後の脈絡との関係がよくわからない。せっちゃんは「すぐ死ねって言っちゃダメだな」などといっそう反省するのである。なぜ!? どうして!?
 無理に解釈すると、(1)すべての生きものには個別性があり、かけがえのないものだ(2)人間は個別の鳥を「鳥」という普遍へと概念化できる想像力があるのだ、のどちらかだと思うのだが、たぶん(1)だろうなあ。
 しかし、いずれにせよ、そんなに得心するほどのものでもない。
 あまりたいそうなことはいってませんよという肩の力の抜け具合を見せようという魂胆かもしれないが、形式がすごく教祖の言葉や宗教の教条みたいなのに、言っていることが大したことがないという最悪の組み合わせになっているような気がする。

 たとえばぼくが「電球って突然切れるんだよね あんなに明るかったのに」とつぶやいたとして、このありふれた言葉をどのようにでも「ありがたいもの」にでも変えられそうな気がするのだ。人が死んだとか、大事なものが壊れたとか、そういうシチュエーションで思い出させるのである。詐術をやっているように見えてしまうのだ。

 益田ミリの他の漫画ではいくら批評する立場の目線が高踏的であったとしても、このような嫌味や説教臭さを感じることは一度もなかった。にもかかわらず、今回そうした臭いを感じてしまったのは、都会に住む=世俗の喧噪にまみれた人間を、田舎に住む=聖浄な教祖の言葉で教え諭すという形式が仕込まれてしまっているからである。さらに、「無理をしない自然体」ということを無理をして言っているような気がしてそれも嫌だった。

 このままでは、「私は自然体で自分らしい生き方をやってます!」とアグレッシブに主張する内田春菊ロハス版になってしまう。そうなる前に誰か何とかしてやってくれ。


 ちなみに本書は新聞広告(朝日)で購入意欲をそそられました。益田ミリへの期待値を除いても、出版社の広告の出し方がうまかったと思います。