ああ、自分は今こんな漫画を読みたかったんだなあと思った。
絵も主人公もかわいいし、大げさでない物語の日常ぶりが、何度もこの作品を読ませてしまう。
つれあいも楽しんだらしく、「これで初単行本!? 上手い!」と絶賛。ぼくもこの漫画家の他の作品がないか思わず本屋でチェックしてしまった(ありませんでした)。
デザイン専門学校を卒業したばかりの主人公・七瀬ももが勤めたデザイン会社は実はパチンコ関係のデザイン専門の会社だった。ももはパチンコにまるで興味のないうえに、午前3時にフル稼働しているような労基法完全無視の「無法地帯」職場で、イラストレーターに「いつかなりたい」ももは、「こんな会社いつか辞めてやる」と思いながら興味のない、キツい労働に堪える日々だった。あまりの労働時間の長さゆえに、彼氏との関係もうまくいかなくなり始めている……。
なぜぼくは「自分は今こんな漫画を読みたかったんだなあ」と思ったのだろうか。
たとえば槇村さとる『Real Clothes』(集英社)のような世界とくらべると労働の「ハード」さ、そこにおける「自己実現」の「レベル」が低いように思われる。じっさいそういう旨のことを書いているブログもあった。
『Real Clothes』の1巻の初め、寝具売場で一生懸命布団を売っている主人公はぼくから見てまったく非の打ち所がないような働きぶりだった。にもかかわらず、槇村はその主人公を「まだ足りない!」とばかりに成長させようとする。ぼくなんかそれ読んで「SUGEEEEEEEEE」としか思えませんでしたよ。これでもダメなんだって。
そんなの読んだ後に、『午前3時の無法地帯』の世界を読むと、「労働時間が長いとか、どこでもそんなふうなんだから、そんなことで文句言ってんじゃねーよ」とか「『いつかイラストレーターになる』的な寝言こいてて、自分の今の仕事ナメんじゃねーよ」とかいう「低いレベル」の話をしているような気になってしまうのだ。
でも、ぼく自身が住んでいて色々悩んでいる世界というのは、やっぱり『Real Clothes』じゃなくて『午前3時の無法地帯』の方だろう、と思うのだ。単純に「共感する」ってわけじゃないけど、そこに描かれた世界は自分の労働現場の今すぐそばにあるような気がする。
え、何? お前午前3時まで働いてたの? とか言うな。
いや働いてましたよ。東京時代。しかも午後1時に出勤してね。
ぼくは自分の勤め先がチラシなどをつくるときにデザイン経費を浮かせるために版下のデータを組まされたりすることがよくあった。
それがむちゃくちゃな納期だったりするので、夜中にずっと作業したりすることがしばしばあったのだ。DTP(DeskTop Publishing:出版物のデザイン・レイアウトをパソコンで行ない、電子的なデータを印刷所に持ち込んで出版すること)作業というのは日付を超えるような長時間作業になると、妙なテンションになってきて、まあこの漫画にあるようにズボンをぬぐ奴はいなかったが、大声で唄をうたったり、ぼくも一人で作業したりするときはガンガン演歌をかけたりしていた。
『午前3時の無法地帯』には、いったんできあがったチラシやポップ、販促グッズの中に「まちがい」を発見してしまい、色を失うという場面が出てくる。これは実に恐い。
何百万枚というものが全て刷り直しになったりするという危険があるので念入りにチェックするのだが、それでも見逃すことがある。本文の細かいところばかり追っていて、大見出しが大間違いだったことがあり、あわやというところで直せた経験がぼくにもある。実際刷り直しになったこともある。
同僚などは夢にまで出てくるようになってしまい、「もうね、ホント病気ですよ。これは」と疲れた笑いを浮かべていた。
営業サイドがむちゃな納期を引き受けたり、ダメチラシをつくって営業サイドと緊張関係になったりすることもある。
っていうか、それ今俺の現実ですよ!
実は1月から半月ほど母親やつれあいの助けを借りて、保育園の迎え、晩の家事と子育てをはずしてもらい、どっぷりとこのDTP作業にのめり込んでいるのだ。
3日前に俺が受けたのは、「2日間でB4版で12面のチラシをつくれ。取材もレイアウトも全てよろしく!」という注文で、素人にこんなことさせんな。
その前の日にできあがったモノには全然違うロゴが印刷されてきてしまっており、刷り直すかどうするかという問題に発展し、結局泣く泣くそれを使うことになったり。
とまあ、『午前3時の無法地帯』的日常が今のぼくの生活というわけだ!
もちろん、DTPの労働が似ているというだけではない。
実際、昨日も同僚の女性と話していて、この漫画のことを喩えに出してぼくは話しておりました。
ぼくの同僚は、今別の職場に一時出向しているんだが、そこでの人間関係に疲れ果てていて、会いに行くとものすごい量のグチが出てくる(ぼくの方はその人間関係の外にいるのでまるで他人事だから、赤ちょうちんで上司のグチを聞くサラリーマン的なシチュエーションで大変楽しい)。
出向先の人々がその同僚女性を「生意気」だと思っているらしく、本人には直接言わずに陰口がめぐりめぐって漂流物のように自分のところにやってくるのだそうである。そんなふうにされると、出向先の人々がニコニコしていても腹の底で何考えてるのかわかんなくなるでしょーっ!! とその同僚は怒っていた。
そのときにぼくが思い出したのは『午前3時の無法地帯』のエピソードだった。
主人公のももは、「いつかイラストレーターになる」と思っていたので、自分の夢を職場の先輩にちょっとからかわれた拍子に「辞めますよ こんな会社!」と叫んでしまう。それでいつもフトコロにしのばせていた「辞職届」をとりあげられて、本当に退職の時限装置を押されてしまう。
タイミングを見て辞めることを希望していたはずなのに、ももは不安になる。自分が今の仕事をナメているのではないか、という自省の念がうかびあがり、同僚や先輩たちの言葉の一つひとつが自分を叱責する言葉のように思えてきてしまう。
「もーもちゃんっ 何? 徹夜だったの?」
→「ヤル気がないから 徹夜になるのよ」
「ももちゃん ちょっと仮眠とってきなよ」
→「いても いなくても 同じだからさ」
別に同僚たちはそんなことを言ってないし思ってもいないのだ。しかし、いったん自分の中にそういう思いが芽生えてしまうと、どうしても言葉や態度の裏を探ってしまう、というのである。
「どうしよう みんなとうまく話せない…」
みんなが普通に喋っている言葉が、ときにはやさしく声をかけてくれたその言葉が、意地の悪い皮肉に聞こえてしまう、あるいはコイツは実は何か思っているじゃないかというふうに思えてうまくコミュニケーションがとれなくなってしまうということは、たしかにある。
そういうときに、作者が“解決方法”として示したのは、癒されるべき異性と極上の親子丼を食べに行くことなのだった。
ももは最近ちょっといいなと思っている同じビルの別の事務所の男性(ちょっとガテン系の)・多賀谷に誘われて、親子丼を食べに行く。
食べに行ったら、
「さっきの親子丼のきいろが
びっくりするくらい
気持ちをやわらかくしてくれてた」
ももは、差し入れのお菓子を選びながら思う。
「やりたいことと… やらなきゃいけないことと…
楽しいこと…
楽しいことを選択するのはダメなこと?」
ももはこの職場にいることが「楽しく」なっていた。
イレストレーターにならなきゃいけないから、キツいから、辞める、というのはこの場合杓子定規な思考だったのだとももは気づき、
「ももちゃんの会社の前通るとさー
いっつも笑い声が聞こえてくるんだ」
「でもいい会社なんだなーって思ってたんだ
楽しい会社ってね そうそうあるもんじゃないんだよ」
という多賀谷の言葉を思い出していたのだった。キツいこともあるけど楽しいからそこに居続けるっていうのはとても大事なことではないかと。
そして、ぼくもこの作品を読んでいて、たしかに楽しそうな職場だと思った。ももより少し先輩で経理の女性(真野)とか、深夜になるとズボンをぬぐ変態だけど楽しい男(瀧)とか、怒鳴るけどちょっとやさしい営業(輪嶋)とか、こういう人たちに囲まれているなら働いていけそうだと思わしめるものがあった。
労基法をブッとばすような苛酷な労働条件でありながらも、そこにとどまり続けることができる人がいるとすれば、その大きな理由の一つは「その職場が楽しい」ということが挙げられるに違いない。
辞めたい一心の主人公がなぜこの職場に居着くようになったのかが、この作品はよく描けていると思う。ぼくも、ももや真野や瀧や輪嶋と同じ職場で働いてみたいなあと思わしめただけで、この作品は勝ちである。
キツいけども楽しい職場、笑い声が聞こえそうな職場の描写が読みたいのだ、と冒頭の問いに自答してみる。
1巻と書かれてるからには2巻が出るのだろう。
大いに期待して続刊を待つ。