『マンガ「名ゼリフ」大全』でコメントしました

 タイトルのとおりの本だ。「本書に収録したマンガのセリフは、一般アンケート500人と著名人アンケート32人をもとにして選出されています」だそうである。「コメンテーター」の32人にはなぜか「芸人」「格闘家」「グラビアアイドル」などばかりで、ぼくの「マンガ評論家」という肩書きが浮きまくっている(あともう一人、「現代マンガ図書館館長 内記稔夫」も)。

 

 


 セリフは6つ選んで4つが採用されていた。
 ぼくの方針として、同じ漫画作品からは選ばず、6つすべて違うものから選んだ。あと、作品の共有を前提としないこと。そのセリフだけで分かるというものを選んだ。
 本書に掲載されたものはぼくの名前が入っているものもあるが、ぼくの名前が入っていないものもあるので、それらはおそらく一般アンケートでも選ばれたものとカブっていたのだろう。

 この種の本の難しさは、「そのセリフだけを読んで名セリフだと思うものを選ぶか、作品の中で名セリフだと思うものを選ぶか」ということだろうと思う。よくある「ガンダム」の名セリフはたとえば「ザクとは違うのだよ、ザクとは!」というセリフは、「ガンダム」を見ていない人にはさっぱりわからないのであり、その「名セリフ」とはガンダムファンの共同体を前提にしている。それはそれで一つの楽しみ方ではある。
 しかし、漫画のようにジャンルが拡散して、共通体験が次第に薄れてきていると、こういう選び方は難しくなる。
 この『マンガ名ゼリフ大全』は、あだち充とか矢沢あいがけっこう多いのに気がつくと思うが、これは一定「ガンダム型名ゼリフ」を想定しているのであろうと思う。だが、あだち充をあまり知らないつれあいに読んで聞かせるとさっぱりわからないというものもあり、痛し痒しといったところだろう。

 採用されなかった2つを紹介しておこう。

如月雪子「母というものは要するに一人の不完全な女の事なんだ」(よしながふみ『愛すべき娘たち』p.199白泉社

 

 

堀内「同じ景色を見ている気にならないように 今 君は上手い人の横にいるだけで深く参加してる気になってるだけだよ 辛いところ登ってやっと見える景色もあるんだよ」(武田敦子『アニメがお仕事!』5巻p.51〜52白泉社

 

 前者は、「母子」という役割に抑圧された自分の固定観念から解放された瞬間を描いた見事なセリフで、自分が親になってみてこのセリフをかみしめることが多い。
アニメがお仕事! 5巻 (5) 後者は、ぼくが年齢のわりには、有能かつ重要なポストの人と仕事を共にすることが多く(ぼくの能力のせいではなくまったくたまたまなのだが)、それがついこのような錯覚を自分に生ませがちであるので、このセリフを聞いたときは「うおおおおお俺のことだ」と強く思ったからである。

 「恋愛の名セリフ」というのは選ぶのに迷った。
 陳腐なものが多いからである。

 吉野朔実の『恋愛的瞬間』は「名セリフ」が多いと思うのだが、これは別のテーマでどうしても使いたいものがあったので、泣く泣く「恋愛の名セリフ」からは外した。

「恋をするのが当然だと思い込んでいませんか?
 しなくたっていいんですよ
 人が言うほど当たり前じゃないんだから
 でなければTVや映画にあれほど恋愛物が多いはずがない
 運命の恋人に会った者には他人の物語は必要が無いんです
 本当に恋をしている者も
 本物の恋人を持っている者も人が言うほど多くはない
 大多数は いるはずだ 好きなはずだ
 と思い込んでいるんです」(『恋愛的瞬間』2巻p.66)

「たとえば片方が被害者でありつづけ
 片方が加害者でありつづける
 あるいは片方が溺れつづけ
 片方は救助しつづけると言うような
 一見異常な一方的な関係でさえ
 それぞれがその役割を真に喜びとして感受出来るなら
 関係として充分成り立つのです」(同前1巻p.96)

 

 


 
 それから、後で思い出したのは伊藤理佐『おいピータン!!』だった。例の「浮気心」は名セリフである。

「『浮気心』とは

 まだお互いの気持ちを
 確認しきれなくて
 さぐり合っている
 世界で一番いやらしい時の
 気持ちのことですが」(『おいピータン!!』5巻p.56)

が、それだけではない。

「2003年 今、日本の女は
 二種類に分けられる
 男のメールを盗み見する女と
 しない女の二種類に……」(同前p.53〜54)

「……ボクが時々不安になるのは……
 彼女が好きだというタレントがいつも
 ボクとずいぶんちがうタイプだなあと……」(同前p.30)

「女ってさあ 飲み会で
 『会社のなかでやるとしたらダレ?』とか
 『無人島でやるとしたらダレ?』とか
 そんな話ばっかなんだろ〜!?」
「なんじゃそりゃ〜」(同前2巻p.78)