すばらしい。
うつくしく、かなしく、おそろしく、そして希望にみちた作品。
漫画界この10年の最大の収穫、というオビの文句は、あながち誇張ではない。
作者は、ほぼ、ぼくと同世代で、完全な戦後世代である。戦争や原爆の体験はおろか、その「におい」さえも体感できない世代だ。戦後世代にとって、あの時代の「リアル」をどうとらまえて形にするか、苦闘が続けられている。そのみごとな結晶の一つが本作だ。
戦後世代は、戦争を体験した世代には有効だった表現を、ともすれば「力みすぎ」といったように受け取ることがある。逆に、力をぬきすぎたり、奇をてらうと、届かない。戦後世代にとどける「戦争漫画」というのは、思いのほか難しい。実在したリアルをどう内面のリアルへと結晶させるか。こうの史代はこの課題にみごとに応えた。
こうの史代の絵柄は、少し古くさい。
だが、トーンを使わない質朴な味わいが、逆に、戦争の時代と今を往還するには、もっともふさわしい絵柄になった。
トビラ絵には、スカートを少したくしあげて川にあそぶ女性が、大きく描かれる。
その清潔なうつくしさといったら、ない。
戦争の傷跡が生々しく残っているあの時代に、人間はこんなにもうつくしかったのか──そのことを、こうの史代は一枚の絵だけでこれほどまでに雄弁に語るのだ。
最初の短編「夕凪の街」は、原爆が投下されてから10年たったヒロシマの街が舞台である。年頃の娘・皆実が主人公になる。まったく何気ない職場の、家庭の、そして「ありふれた」恋愛の光景が展開される。すべてが日常に復した街。
だが、脈絡なく、突如、瓦礫から飛び出している手、焼けただれた背中、を描いた小さなコマが挿入される。ふとその日常の中に、まるで裂け目から侵入してきたもののように、「あの日」の光景がよみがえるのだ。
職場の同僚から、皆実は愛を告白される。「夕凪」のころ、川縁で気恥ずかしげに告げられるそのシーンのうつくしいこと。しかし、橋のたもとで二人がキスをしようとしたとたん、壊れた橋、川の中にモノのようにあふれた死体が、大写しのコマで描かれる。
うつくしい人生や、幸福な今の生活が、とてつもない惨劇の上に成り立っていることが、皆実の頭からどうしても離れられない。そのことがまるで「なかった」かのように日々のくらしがはじまり、自分が幸せになろうとしていることへの違和感が、皆実にはぬぐえなかったのだ。
「ぜんたい この街の人は不自然だ
誰もあの事を言わない いまだにわけがわからない」
それは、戦争の記憶や責任を切断し、経済利潤「だけ」を追い求めてきた戦後史の一断面(あくまで一断面であるが)の構図そのものである。
小田実の次の一節が思い出される。小田は、空襲で焼かれた死体や瓦礫が30センチほどの焼けこげた堆積物となって街を覆っていたことを述懐して、こうのべた。
「巨大な面積の焼け跡があった。その面積の上にくまなくひろがっていた三十センチの高さ──それを処分してしまうためには、努力とエネルギーがいっただろう。戦後二十年近く、私たちはそれをやってきたことになる。そして、努力のかいあって、それはなくなった。 家、事務所、工場は、あたかもはじめから三十センチの高さがなかったかのように、地面の上にたっている。 何ごとも知らぬげにたち、そして、そのなかで、赤ん坊が生まれ、少年が叫び、青年が働いている。 もちろん、彼らは、もし彼らがもう少し早く生まれていたなら、彼らの足と土地のあいだに、その奇妙な三十センチの高さが存在したなどとは夢にも思わないだろう。 また、これからも、ひょっとしたら、足と大地のあいだにいつのまにかしのび込んでくるとは、考えたこともないだろう。 それはそれでいい。 私もそう思う。しかし、ときとして、私の目には、それらすべて、家も事務所も工場も、そのなかの赤ん坊、少年、青年も虚構の産物に見える。 そして、唯一の真実なものとして、その三十センチの高さを私の目はとらえる。 私はつぶやく。 あれはどこへいったんだ? 誰が、どこへやってしまったんだ? そして、何のために?」 (小田実「廃墟のなかの虚構」) |
皆実はキスを拒んで駆け出す。
「お前の住む世界はそっちではない と誰かが言っている」
「あの日」、皆実は、同級生を見捨て、死体を踏みつけ、しまいに死体を選んで物を盗む人間になり果てていた。生きながらえた人間さえ罪悪感の塊のように変えてしまった原爆によって、皆実は、その日以来、自分が「死すべき」「死ねばいい」存在だという思いがこびりついたように頭から離れないのだ。
しあわせだと思うたび
美しいと思うたび
愛しかった都市のすべてを
人のすべてを思い出し
すべてを失った日に引きずり戻される
お前の住む世界は
ここではないと
誰かの声がする
自分は幸せになる資格のない、汚れた人間なのだという思いに沈むか、「忘れてしまえばすむことだ」という記憶の切断にふみこむか──だが、小田がのべた「片づけられてしまった三十センチ」ともいうべき存在が、ヒロシマには、かろうじて残っていた。被爆の姿をそのままとどめる「原爆ドーム」である。
皆実は、原爆ドームを見つめながら、記憶にむきあって生きることを決意するのだ。
皆実は愛する人に、十年前のことや、自分の気持ちをうちあける。
そのことによって、皆実は、自分は死すべき存在なのだという観念から解放されるのである。
「生きとってくれてありがとうな」
という恋人が告げるセリフと、からめあう手のうつくしいこと。
だが。
この物語の、いや原爆の「残酷さ」はここからである。
死への観念から解放され、生きる歩みをはじめた皆実は、その日から寝込み、二度と起きあがれなくなる。放射能が、こんな後になって体を蝕んだのだ。
日記風に淡々としめされた病状の悪化と、皆実の床に伏した視線からの描写は、これほど淡白な絵柄なのに壮絶である。眼が見えなくなってからは、真白のコマでそれが表される。遠のいていく意識と時折襲う激痛や身体の崩壊が、簡潔なセリフの中に折り込まれていく。
視線を皆実に移すことによって、私たちは皆実そのものの視点でこの地獄を味わう。
「嬉しい?」
と、白いコマに、突如、場違いとも思える皆実の独白が入る。
嬉しい?
十年経ったけど
原爆を落とした人はわたしを見て
『やった! またひとり殺せた』
とちゃんと思うてくれとる?
ぼくらは、「ちゃんと思うてくれとる?」に激しい違和感を抱く。
だが、それは生への道をふみだした者が、原爆から十年も経って死ななければならないという現実、つまり「なんの意義もない、どんなロマンティシズムもよせつけない、無意味な死」にたいし、せめて原爆投下者の憎悪の対象という意味であっても自分の死に「意味」がほしいという、目も眩むような訴えである。
小田実が「8月14日の空襲による死」の無意味さについて書いた文章をひきながら、小熊英二は次のようにのべる。
「小田は戦後に、従軍経験者たちと話し合ったさい、彼らが『戦争というものにまだ何ほどかの幻想を抱いているように』感じた。戦闘がいかに悲惨であっても、彼らは武器をとって戦うことが可能であった。しかし大阪空襲の死者たちは、英雄的な闘いと無縁であるばかりか、自決の手段さえもたず、『ただ受動的に死を待つよりほかにない』存在だった。 それは同時に、政治的にも、思想的にも、意味をもたない死であった。……いわば八月一四日の空襲は、まったく無意味な殺戮であった。そこにはせいぜい、降伏条件とメンツにこだわって逡巡した日本政府と、それに圧力をかけたアメリカ政府のかけひきが存在したにすぎなかった。それらの死は、〈アジア解放に殉じた英雄〉という右派の思想によっても、〈平和の礎になった悲劇〉という左派の思想によっても、意味づけが不可能なものだった。小田は後年、『あそこで死んだ人たちは何のために死んだのか。そう子供心に考えることで、私の「戦後」は始まった』と述べている」 (小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』) |
口絵の、「真夜中のギター」然と、ヒロシマのまちに、マンドリンとおぼしき弦楽器をかかえて一人月夜をみあげている皆実の描写は、ついに皆実が袖を通すことがなかったワンピースを着ており、あきらかに“空想”である。このうつくしさは、皆実が原爆症によって断ち切られねばならなかった、「生のうつくしさ」でもある。
この短編のラストで、「人々の思いを受けとめ切れたのか?」という問いかけのように、原水爆禁止世界大会のポスターが風に舞い、川に流れていくシーンがある。
その運動の端くれにかかわっている身であるぼくが、被爆者からの話を聞く際に、一番心に残る話は、やはり、あの日、多くの人を見捨てて生き残ったという罪悪感と、そして原爆をあびたという事実がずっと後にいたるまで精神と肉体をむしばんでいくということである。
その一つである、被爆者が味わう、謂れのない差別は、この兵器の罪深さをまったく別の角度から照射する。
ぼくが聞いた話のなかでは、原爆症の被爆者が、引っ越しをしたさいに、近所にあいさつがわりにタケノコを配ったのだが、翌日、ゴミ箱にすべて捨てられていた、という話を思い出す。小さなエピソードかもしれないが、ついそのゴミ箱を見たときの被爆者の気持ちになって、涙が出てきた。「ピカの毒」が伝染するかもしれないという、庶民のみじめな「自己防衛」である(もちろん「伝染する」というのはかなしむべき偏見であるが)。
原爆投下という歴史的事件の中では、この種の話は、「脇役」的かもしれない。しかし、戦後世代が原爆という兵器の罪深さを自分のものとしていく回路としては、重要な問題だと思う。だから、こうの史代が、現代を描いた短編「桜の国」でこの問題を扱っているのは、実に正しい。
主人公の名波(皆実の姪にあたる)の弟(凪生)が、好きになった女性(東子。名波の同級生)の父母から、おそらく被爆者の子孫であることを理由に交際をやめるようにいわれた話が、ひとつの軸になっていく。
東京に住んでいた名波と東子は、ひょんなことからヒロシマをいっしょに旅することになる。東子は、平和資料館を見て吐いたりする目にあいながら、自分が愛した凪生の歴史に向かい合おうとする。名波もまた、おそらく被爆が原因で母が死に、祖母が死んだ街で同級だった東子に会うことは、その忌まわしい記憶をよびおこし、会うことを避けてきたのだが、ヒロシマへの旅の帰りに、その記憶と向き合うことを決意する。
母さんが三十八で死んだのが原爆のせいかどうか
誰も教えてくれなかったよ
おばあちゃんが八十で死んだ時は
原爆のせいなんて言う人は
もういなかったよ
なのに
凪生もわたしも
いつ原爆のせいで死んでもおかしくない人間とか
決めつけられたりしてんだろうか
わたしが
東子ちゃんの町で出会ったすべてを
忘れたいものと決めつけていたように
名波の父・旭は被爆者ではない。
だが、被爆者である母・京花を妻に選んだ。
回想的に、旭が京花に出会ってからプロポーズするまでが描かれるが、どのシーンをとっても心をとらえぬものはない。桜の咲く川縁でプロポーズするシーンは、やはりうつくしい。
母からいつか聞いたのかも知れない
けれど こんな風景をわたしは知っていた
生まれる前
そう あの時 わたしはふたりを見ていた
そして確かに
このふたりを選んで生まれてこようと
決めたのだ
こんなことはありえない。
だからこそ、この名波の決意が力強く浮かび上がる。
桜の咲く橋の上で旭と京花が談笑する大写しのコマに、涙しない人はいないだろう。
記憶と向き合うことによって、この重いテーマが、すばらしい解放へと、実に自然に導かれていく。
記憶と向き合うことが「自虐」だとされ、その切断によって、平和が覆されようとしている時代に、まさに読まれるべき一冊。
すばらしい。
まったくもって、すばらしい。