堀和恵『「この世界の片隅」を生きる〜広島の女たち〜』

 被爆や戦争の体験をどう語るのか、あるいはどう継承するのか、ということで広島をめぐる5人の女性が紹介されている。

 

『この世界の片隅』を生きる ~広島の女たち~

『この世界の片隅』を生きる ~広島の女たち~

  • 作者:堀 和恵
  • 出版社/メーカー: 郁朋社
  • 発売日: 2019/07/24
  • メディア: 単行本
 

 

 山代巴、大田洋子、こうの史代、早志百合子、保田麻友だ。

 山代巴は『この世界の片隅で』の編著者であり、大田洋子は『桜の国』『夕凪の街と人と』の著者である。そのタイトルからわかる通り、この2人の著作のタイトルは、こうの史代のマンガ作品に織り込まれていく。

 

山代巴

 山代を大田との対比で語ればいわば「実践の人」である。文学(書いたもの)と政治をストレートに結びつける。こうの史代が山代に「大きな敬意を抱いていて」としながらもその手法について「私に許されるやり方とはちょっと違う気もしています」(本書p.133)と述べているのはおそらくこうした点であろう。*1

 

 ぼくが山代の章の中で一番印象に残ったのは、山代の代表作となる『荷車の歌』のモデルとなった日野イシと婦人会で出会ったときのエピソードである。

 集会で山代の話が終わると、イシは硬い空気の中で立ち上がった。「婦人会を本音の言える集まりにするためなら、わしも役立ちたい」。そして今まで誰にも話したことのない、夫が連れ込んだ老女と同居した屈辱の生活を語った。山代は七〇歳を超えた女性が自分の話を受け止めてくれたことに感激した。イシは「原水禁百万人署名」の用紙に一番に自分の名前を書き、近所を歩いて署名集めをしてくれた。

 山代はそれから何度もイシの家を訪ねた。また山代は、聞き取ったイシの話を誰だかわからないようにして、あちこちの集会で話した。するとみんな、自分のことのように聞き入った。そして自分の人生を語り始めた。そこにはたくさんのイシがいた。山代は平和署名を集めながら、この語り部の旅を続けた。(p.30-31)

 一つは、婦人会が本音の言える場所ではなかったということ。建前でない、本当の生活の話をする場所なのに、それが避けられてしまうことは、昨今のPTAや町内会のようでもある。

 もう一つは、そのタテマエ性を突き破ってイシが「本当の生活」について語り出し、それに多くの人が呼応して、自分の「本当の生活」を語り出したということ。これは昨今のジェンダー平等の学習会を見るような気がした。『82年生まれ、キム・ジヨン』のように自分の生活史の中にあった苦労、差別を解きほぐしていく光景に似ている。

 そういう場所が運動の中でも本当は必要なんだけど、タテマエだけになっているんじゃないか。「本当はそういうことが話したかった」と言える場づくりについて思いをいたした。

 

 そのほかにも山代の生涯を描いたこの章にはいくつもの印象的な箇所がある。断片的に記そう。

 高等女学校の担任の渡辺先生からコップの描き方を褒められるシーン。教師が人を褒める、その褒め方で、人の生涯を決めてしまうという例のやつ。教師はこれを狙ってはいけないと言われるが、しかし思いもかけずにそうした言葉に出会う感動が記されている。

 「日記に嘘を書くよりは、絵を書け」という渡辺先生の言葉。これはヤマシタトモコが『違国日記』で書いていたこととは逆のことだなあ。

 夫となった山代吉宗の獄死。「遺体を引き取りに行った弟の宜策は、二八キロにまでやせ衰えた吉宗の落ちくぼんだ眼窩に、粉雪の降りかかるのを絶叫したい思いで胸に刻んだという」(p.26)。山代巴が獄中で受けた仕打ちとあわせ、戦前の天皇制権力というのは「非国民」とレッテルをはればいかに酷く殺すのかとあらためて思い至る。

 共産党との距離感。体質に絶望して最後は離党してしまう。いやー、左翼の一人として、ぼくも心すべきこととして読んだ。

 『この世界の片隅で』についての世間の評価。「哲学者の久野収は、『二〇年後の戦争記念におくられるもっとも大きな記念碑である。戦後のゆがみの大きさを事実によってこれほど深く指摘した記録は、絶無だといってよい』と評した」(p.47)。この「大きな記念碑」が忘れ去られてしまい、こうのがその題名を自作に入れたことでようやく思い出されたものの、著作自体はほとんど読まれておらず、それはそれで寂しいことだ。

 

この世界の片隅で (岩波新書 青版 566)

この世界の片隅で (岩波新書 青版 566)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/03/23
  • メディア: 単行本
 

 

 最後に、山代は2004年まで日野市の団地で生きていたのか……という事実。歴史上の人物のような気がしているので、その気になれば会いにいけたのかと思うと遠い気持ちになる。

 

大田洋子

 先ほども述べたとおり、山代との比較で言えば「行動がない」(p.89)のである。

大田も一時期、山代たちのグループに接近するかにみえた。だが結局は、大田自身から離れていったのだ。文学に政治的なねらいを持たせることに、大田はなじめなかった。また、山代と違い、大田はあくまでも書斎の人であったのだ。(p.88-89)

 大田の章でもっとも印象に残ったのは、「原爆作家」という「非難」への大田の反応だ。

広島の文壇だけでなく、中央の文壇からも大田は批判を受けた。大田は、原爆作家だといわれた。いつのまにか貼られたレッテルである。それは一九五〇年頃から始まって死ぬまではがされることはなかった。最初の頃は、賞賛の意味があった。だが時を経るにつれて、原爆作家の意味が変質してきた。原爆しか書けないんじゃないか、ほかに書くことはないのか、という非難の意味合いを持ってきた。非難の次にきたのは、「原爆文学はもう終わりだ」という声であった。(p.89-90)

  作家・江口渙の大田批判はこうだ。

『屍の街』『人間襤褸』とつぎつぎに力作をかいたせいか、さすがの原爆小説の本家本元もそうとう種ぎれのていと見える。もう一度広島にかえってもっといい種を仕入れてくるんだな。

  この時代特有の、あるいは「文」の「芸」としての、「軽口」かもしれないが、なかなかにひどい。

 ただ、逆に言えば、原爆をどう語るかはすでに戦後期に相当くりかえし考えられ、議論されてきたことだということをも意味する。戦後世代がその上に立って原爆や戦争の体験をどう継承するかを考えるべきだ。いや、ぼくは全然「その上に立って」いないけど。これから勉強すべきフィールドがそこにあるということ。

 

屍の街 (平和文庫)

屍の街 (平和文庫)

  • 作者:大田 洋子
  • 出版社/メーカー: 日本ブックエース
  • 発売日: 2010/07/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

保田麻友

 1985年の広島市生まれの女性である。

 被爆体験の伝承者だ。

 ぼくは90年代半ばに「これから被爆した世代が亡くなっていくので、師匠が弟子をとるみたいにしてその継承者を作ったらいいのではないか?」と思ったことがあるが、当然なんの行動にも移さなかったためにそのアイデアはそれぎりとなった。

 そして最近になってから広島市長崎市でそのようなプロジェクトがあることを知った。

 しかし、この本を読んで、その伝承はなかなか厳しいものなのだなという思いを持った。

 一年目は、二三名の証言者のお話を聞いた。一人二時間あたりを、ただひたすら聴き続けた。その他にも、大学教授などの有識者の講義を全員で聞いて、原爆の実相を学んだ。

 そして、自分が誰の被爆体験を語り継いでいくかを決める。その後、証言者とのマッチングが終わると、二年目となる。(p.192)

  うん、ここまでなら想像はできる。

 それでもかなり大変だなとは思うけど。


市っトクながさき「次世代へ-語り継ぐ被爆体験(家族・交流証言)推進事業-」2017年5月12日

 えっ、これは厳しい……と思ったのは次のくだりである。

証言者の方の言葉を、そのままコピーしてはダメだ、と保田はいう。講和の前段と後段だけ自分の言葉で、後はパコッと証言者の言葉をはめてはダメだという。証言者の方の体験や感じたことを、自分自身の言葉に置き換えていく、という作業が難しいという。(p.195)

 伝承する人である被爆者の「新井さん」は、新聞インタビューでこう語る。

「証言者のミニチュアになるのではなく、自分の言葉を紡いでほしい」(p.195)

  そうやってテストをくぐって伝承者となれた人は130人中50人。相当な脱落者が出たということだ。

 それに対して「新井さん」はこう述べる。

「本人の私が絶句するような原稿ができている。広島を伝えなきゃならん、今がラストチャンスという皆の思いが結実している」(同前)

  そういう喩えをしていいかどうかわからないけど、たとえば落語で師匠の口真似をしてもダメなのと似ていると思った。「自分のものにする」というプロセスがそこに入らなければならないということだ。

 そこまで求めるのか、という気持ちになった。

 こうの史代はどうしたら戦後世代が被爆体験の継承者になれるのかという問題意識で作品を描いたはずであるが、同じ問題意識がクリエイターでもない、いわば市井の若者にも流れている。

 片渕須直の映画は戦前の「冷凍保存」のような正確さがあると前に書いたが、すなわち事実を正確に・徹底的に知ること、その上で戦後世代なりに体験世代の体験を受け止めて咀嚼するという作業がこれからは必要になっていく。

 そういうことを本書で学んだ。

 

 このことは、別に被爆体験に限らない。

 福岡市では引揚体験の継承が同じように問題になっているし、もっと広く戦争体験の継承全体が問題になっていくだろう。

www.nishinippon.co.jp

 その際に、どんな方法や問題意識が必要になっていくのかを本書から学ぶことができるかもしれない。

*1:このこうのの発言はネットのファン掲示板。