橋本毅彦・栗山茂久『遅刻の誕生』

 ああ、もう。ぼくにとって、遅刻は高校以来の宿敵だ。
 長時間電車通学によって始まった「時間との闘い」は、やがて、小中学校時代は(わが家において)絶対に許されなかった「遅刻」というものを体験させた。
 次第にひどくなっていくぼくの遅刻。日中はほとんど遅刻をしない。問題は、朝だ。朝起きられない。昼まで寝ている。

 大学時代は、この遅刻によって、何度も人間関係を悪化させた。

 学生自治会の役員をしていたぼくは、(それがまた委員長だったりすることがあり)くり返し遅刻をした。電話でおこされても、また寝る。
 朝遅刻者にとって、快楽の絶頂に見舞われる瞬間――「二度寝」である。
 この、「布団の国」へと旅立つことの気持ちよさといったら、比類がない。冬の寒い朝方の気温と、布団の中は羽毛布団と上下に引いた毛布の温度は、するどい対比をなしている。いわば、内と外は「天国と地獄」だ。「起きなきゃ」という規律意識にしばられながら、温室のような毛布のなかで意識を失っていくというのは、おそらく性や排泄の高揚さえ超える、人生でもっとも甘美で退廃的な快楽だろう。
 その結果、学生自治会の他の役員たちがマジ切れし、会議で何度も問題にされた。

 むなしく反省の弁がくり返される。
 左翼の友人のなかには、レーニンの遅刻についての小論文をわたすものもいた。

 大学時代は、「起こしにくる」という作戦がとられたこともあった。
 朝方、ぼくをおこし、ぼくが服を着替えるまで見届けるのだが、安心して出ていった友人は、いつまでたっても授業や自治会室に来ないので、再び見に行くと、着替えたまま寝ているのである。
 

 悩んだぼくは、大学のカウンセリングの部屋までいったが、「まあ、自覚の問題じゃないですか」などと片付けられた。「低血圧だから病気なんですよ」という慰めの言葉を期待していたのだ。最後の甘ちゃん根性の砦が陥落し、失意のなか、カウンセリング室を後にした。

 これはいまにいたるまで、最終的な解決を見ていない。

 遅刻とどう向き合うか、遅刻とは何かは、いまのところ、ぼくにとって、人生上の一つの大問題でありつづけている。


 企業で不当きわまる差別をうけている左翼たちにとって、時間規律は絶対である。
 遅刻しようものなら、たちまちまわりの一般人たちの信頼を失い、資本からは格好の攻撃材料とされる。したがって、左翼の人々の時間規律の正しさは、企業労働者ほど――しかも差別や抑圧を受けている大資本のところほど――徹底している。


 本書『遅刻の誕生』には、「近代日本における時間意識の形成」というサブタイトルがつけられている。

 

 


 「時間規律」は、日本人の民族性によるものではない。
 巻頭の序文には、江戸末期の日本人を描写した外国人の紀行文(カッテンディーケ『滞在日記抄』)が紹介されている。「『日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ』という文句」が示され、「修理のために満潮時に届くよう注文したのに一向に届かない材木、工場に一度顔を示したきり二度と戻ってこない職人、正月の挨拶まわりだけで二日を費やす馬丁など」と次々例示されるのだ。

 日本人の時間規律は、近代資本主義の成立とともに、さまざまな葛藤をへて確立されていったものであることが本書からわかる。「要するに、現代人が日常生活を忘れるために時計をもたずにのんびりと休暇を楽しむときと同じような時間に対する感覚を、江戸時代の人間はもっていたと考えられる。その時間感覚が、明治以降の近代的な社会システムの導入によって、抜本的な変更を強いられるようになったわけである」。

 日本は近世において、「不定時法」をとっていた(明治5年まで)。1日を均等分割するという時間表示の方法だが、これだと1日の長さが変わるごとに、その分割された時間の長さが変わっていくことになる。その後、われわれがお馴染みの、時計による一日の等分、「定時法」が始まるのである。

 本書は、農民人口が多数で、昭和のある時点までそちらのほうが多数だった近代日本において、なにが定刻志向に貢献したかをまず吟味する(第1部)。すなわち「鉄道」である。
 当時の列車規則をみると、発車5分前には駅の出入りを禁じたようだから、人々ははじめて「分刻み」の体験をここでするようになる。鉄道労働者にとっては、さらに時間感覚の徹底が求められる。一歩間違えば大事故だ。しかし、この鉄道労働者への規律の徹底も、ずっと乱れが残り、明治の終わり、すなわち日露戦争で輸送量が増大するまで、こうした規律の乱れは残り続ける。いや、それからも依然として、苦労がつづくことがさまざまな事故報告から明らかになる。「依然として規律の弛緩は残存しており……」と本書はのべる。たとえば、日露戦争前までは「1時間以上」の列車遅刻が問題視され、ようやく日露戦争前後に「20分程度」、そのあと「数分程度」の列車遅刻が「許容範囲」とされたのである。
 最終的に規律が確立するといえるのは、1920年代を契機とした「鉄道国有化」によって、鉄道労働者への異常な労働強化=テイラーシステム(「科学的管理法」)の考えが導入されたころである。この背景には第一次世界大戦による輸送量の劇的増大がある。ちなみに、この一事をもってしても、「国鉄だから怠ける」などということが、一つの神話であることがわかる(あ、ぼく自身は資本の国有化が万能の解決策と思っているわけじゃないですよ。民営化でもうけようとした輩が流した神話を問題にしているのです)。

 第2部は、こうした時間規律がどのように民間労働者のなかに浸透していったかを検証していく。
 なお、そのなかで近代以前の時間感覚をとりあげた「近世の地域社会における時間」はこのテーマとは別に面白く、山口の萩を例にとって、そこでは時間がどのように流れていたかを調べている。ちなみに、地域にだいたい寺の鐘がそろうのは、ようやく17世紀になってからのようである。
 第2部のなかでいちばん面白いのはやはり、編著者になっている橋本毅彦の論文「蒲鉾から羊羹へ――科学的管理法導入と日本人の時間規律」であろう。
 ここでは、農村出身の労働者たちに、どうやって時間規律を教えていくかをのべているが、はじめは、「お上意識」によって、労働者をめちゃくちゃ早出させる方式がとられていた。夜明け前、平気で1~2時間工場の前で待たせるし、労働者も待っていたのである。
 しかし、当時のある研究者によって提唱された解決策は“早くても遅くてもダメ。時間通りに来ることが大事”という思想であった。「時間通り」。考えてみると、これは近代人だからこそできる発想である。イギリスでは労働者の家を毎朝たたいてまわる「戸叩き」という役目の人間がいたそうだ。そう思えば、「目覚まし時計」というのは、近代資本主義にとっていかに偉大な発明かということもわかる。
 テイラーシステムの紹介とともに、「遅刻は病気」という、ぼくにとってもまことに不幸な概念が歴史に登場する。「元来、遅刻なるものは、……一の病気である」(池田藤四郎『無益の手数を省く秘訣』)。
 大正時代になって、「生活改善運動」が登場し、「時の記念日」が生まれる。生活改善同盟会などという団体ができて、時間についての展覧会(欧米と日本女性の時間の使い方の合理・浪費の比較など)をやったり、街頭でビラをまいたり、正しい時刻にあわせてもらう運動などをしたという。
 まあ、なんと涙ぐましい努力ではないか。
 このように無数の努力によって、国民のなかに時間規律が浸透していくのである。あーれー。
 (しかし、大正8年のアンケート調査でさえも、「好ましい製品の利点」として「時間の節約」は男女ともに下位に位置しているのには笑える)

 本題である民間企業のなかでの時間規律、時間意識の形成は、そのまま労働管理の歴史である。マルクス流にいえば、「労働の実質的包摂」の過程であろう。
 本書の面白さは、その実例史料の生々しさである。1925年のある生命保険会社の取締役の「嘆き節」が掲載されている。ことに、ホワイトカラー層の時間規律の確立に苦しんだようである。
「近来一般社員の勤務振りは、朝出勤すると先づ同僚と雑談する、喫煙する、小便に行く、面会人がある。ブラブラ散歩する、と云うような風で一向に能率とは没交渉であるようだ」。
 これを読んで“自分の職場”だ、などと思わないように。

 この橋本論文の最後は、戦前、テイラーの科学的管理法の日本における権威の一人であった、上野陽一を紹介する。上野は、テイラーと同じように、労働者にとってよかれと思って、科学的管理法を提唱する。“ムリ、ムダ、ムラなくやれば、逆に時間が浮く。こうやれば1日3時間くらいの必要労働時間になる”と唱え、『計画経済と管理法』という、一種の社会主義めいた本まで著している。
 テイラーシステムの真髄は、労働過程を分解し、その一作業工程をこなす「標準時間」を設定することである。それ以上に早くても遅くてもいけない。なるほど“ムリ・ムダ・ムラ”のないという上野の議論に帰着する。
 テイラーも上野も「労働者によかれ」と思って、この合理化運動をすすめる。
 しかし、彼らは、マルクスを知っていれば、このような誤りは犯さなかったはずだ。「地獄への道は善意で敷き詰められている」(ダンテ)

「機械設備が、労働の生産性を高めるための、すなわち商品の生産に必要な労働時間を短縮するための、もっとも強力な手段であるとすれば、資本の担い手としての機械設備は、それが直接的にとらえる諸産業では、まず第一に、労働日をあらゆる自然的制限を超えて延長するもっとも強力な手段になる」マルクス資本論』)

 テイラーシステムによる労働過程の分解と「合理化」は、機械による「合理化」と同じように作用する。あくなき剰余労働の搾取を自己目的とする資本は、「労働者の全生活時間を労働時間に転化させようとする」マルクスからだ。

 だから、テイラーシステムにおいて、「標準的な時間」を設定しようとするときに、ごまかしが生まれる。最速の労働者にできるだけあわせようとするからだ。そのことは、どんどん速くされるトヨタの標準労働をみれば一目瞭然である。

「テイラーは、彼の労働基準が過度の緊張をともなわずに発揮される人間能力を越えるものではないかのようにみせかけることを好んだが、しかし彼自身が明らかにしたように、このみせかけは、彼の作業のそれぞれについて並はずれた体力をもつ人を選ぶという条件で維持されうるものであった」ブレイヴァマン『労働と独占資本』

 じじつ、戦前日本ではどうなったか。上野の提唱とは逆になっていくのだ。
 「現実の社会は、上野が思い描く理想社会へは向かわず、戦争準備へ向けて各種物資の生産を極大化すべく、生産体制の効率化、合理化がすすめられていく。ムダとムラはなくすが、ムリは増加の一途をたどることになる」。


 第3部は、家庭、すなわち主婦や子どもに、どのように時間規律が浸透していくかを検証している。
 主婦では、『婦人之友』を創刊した羽仁もと子の家事労働の時間割運動を紹介する。家庭における「科学的管理法」である。
 子どもでは、学校などを中心として時間規律の成立をみる。ここでも1920年代まではかなり時間意識のなさが問題になっていたようである(マメ知識であるが、公立小学校の壁に時計がすえつけられたのは戦後、60年代中葉以降らしい)。
 子どもの問題をあつかった西本郁子の論文の最後は、子どもの読み物『冒険ダン吉』である。
 ダン吉が「未開の土人」を教化していくというストーリーであるが、ダン吉は現地人と同じかっこうをしているが、唯一ちがうのは、腕に時計をはめていることである。「時間を制するものは他人を制す。ダン吉が肌から離すことのない腕時計こそ、支配者の象徴である」「時計そして時間厳守の態度は、いわば文明そのものであった」。
 西本の考察が興味深い。「因みに漫画では、ダン吉が現地で最初に導入した近代的な制度は軍隊であった。次いで上述の小学校、鉄道、診療所と続く。それはまさに、明治政府のもと日本が体験した『近代化』の過程そのものであり、漫画はその体験を植民地において再現したことになる」。


 第4部は、暦や定時法など、近代日本の公的な時間枠組の設定の問題をあつかう。
 第10章、内田星美「明治時代における時計の普及」は、近代の時間設定について、基礎知識を得ることができるので、予備知識のない人は、全編のなかでもここから読んだ方がいい。
 この論文は、時計の普及の推算をしているのがたいへん貴重である。
 じっさい、時間規律の国民規模での浸透は、時計の普及なくしてありえない。
 内田の推算によれば、明治10年で「クロック」の保有は世帯数で3.2%、それが明治40年には72.3%とほぼ行き渡るのである。

 1~4部と時間規律意識の歴史的形成をつぶさに検証してきた。それを読むことで、ぼくらは時間規律というものの「歴史性」に思いを馳せることができる。
 うちの両親などは、「時間を守れないものは人間のクズ」という具合に、問題を「人間一般」にとって自然的現実であるというふうに、抽象的に設定しようとする。
 だが、時間規律とは実は、近代資本主義の成立、とりわけ機械制工業の成立によって歴史的に形成されてきた観念にほかならない。

 そう考えると、ぼくの実家である愛知の農村にも、さまざまな痕跡をみることができる。
 たとえば、つい最近、廃止になったのだが、ぼくの実家の地方では昼12時になると、行政がサイレンを鳴らしていた。「飯だ」という合図である。ぼくは、このサイレンの音と、醤油の煮汁の臭いと、テレビの「牧伸二のバーゲンセール」をセットにして、懐かしい「昼の記憶」として思い出すことができる。

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 我が家に限らず、わが実家の農村では、専業農家であるにもかかわらず、実にきっかりと昼飯と夕御飯の時間が決まっている。とくに昼飯時間は驚くほど厳格である。夕御飯も、だいたい6~7時くらいに統一されている。サラリーマン世帯など問題ではないほどの厳格さだ。
 いったい、この規律は何に由来するものかをずっと不思議に思っていた。

 最終、第5部のなかの荒井良雄「農村の時間と空間 時間地理学的考察」はこの疑問についに答えてくれるものであった。
 荒井は、岐阜県の飛騨地方のある農村でフィールドワークをおこない、時間ごとの行動パターンをしらべた。「専業農家の夫たちが昼食を取るために一斉に帰宅する」「専業農家の時間の使い方が、意外に画一的」「時々の作業の案配に応じて、食事をとる時間がばらついてもよさそうなものであるが、実際には、そうではないらしい」「専業農家の場合、夕食時刻は午後七時台前半の比較的狭い時間帯に集中しており、仕事終了時刻との相関はほとんど見られない」。

 荒井は、その原因の一つを、「テレビ放送」の朝昼晩の「ゴールデンアワー」の設定にもとめる。「国民の多くが視聴する、いわゆる『ゴールデンアワー』という言葉は、放送が全国津々浦々に同一の時間規律を普及させる社会装置であったことを象徴している」「放送は、定時法と標準時を象徴する最たるものだから、放送によって同期化された食事が、定時法の上でわかりやすい時刻に集中するのも当然である」。

 この結論に多くの反論もあろうかと思うし、ぼくも今一つ納得がいかないこともあるが、少なくともそれが一因であったことは否定できない。
 ぼくの「昼飯」の記憶は、「ベルトクイズQ&Q」であり、あるいは「牧伸二のバーゲンセール」であったりするからだ。そして「夕御飯」の記憶は、あのNHKの「7時の時報」の大きな時計画面であったからだ。

 荒井は、農村の時間の奇妙さを次のようにのべる。すなわち、仕事は天象に左右される「不定時法」の様相を帯びるが、食事だけはきっちりと定刻どおりに食べる。
 「専業農家には、社会的な仕事時間のタクトが直接、行動を制約するという作用が働きにくく、ある程度、時間を自由に裁量できる。であるがゆえに、社会の画一的なタクトに合わせるという選択がなされるのではあるまいか」。


 さて、最終章は、「時は金なり」という格言を入り口に時間意識の考察をおこなう。

 ぼくは、この言葉いまいち意味がよくわからん、とおもっていたのだが、この巻末の栗山茂久論文でも、やはり同じような「わかりにくさ」を表明している。

 で。

 これは18世紀のアメリカの初期政治家の一人、ベンジャミン・フランクリンの言葉(『若き職人への忠告』)らしいのだが、これをゾンバルトウェーバーが紹介しているのだ。
 マックス・ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の岩波文庫の訳(大塚久雄)では「時間は貨幣である」という訳になっていて、「信用は貨幣である」「貨幣は繁殖し子を生むものだ」
という3つの戒訓とセットになっている。

 すなわち、「時は金なり」は、実は貨幣論、もっといえば利子論であり、利子の強迫によって成立する概念だということだったのである。遅刻概念は、機械制大工業の成立による、というのが定説であるが、この巻末論文は、貨幣論とのからみをわすれてはいけない、というのである。
 フランクリンの時代に、まさに、紙幣や株券など信用貨幣が発明され、利子という現象が経済の前面に登場する。栗山は、「フランクリンが、なぞの鍵としてなによりも注目したのは、時間の経過がそのままお金になる利子現象であった。……『時は金なり』のわかりにくさは究極的に利子のわかりにくさにある」と結論する。

 なお、この栗山の説をあるMLで紹介したところ、異論が出た。
 栗山はこうした駁論を見越すように、ギリシア時代からすでに似たような言葉はあることを指摘して、そのうえで、フランクリンの言葉とのニュアンスの違いをくわしくたどっている。すなわち、時間の不可逆性からくる絶対的な価値をしめしたのが昔からある格言のニュアンスで、フランクリンにおいては時間と金の等価性が強調されている、と。

 栗山はゲゼルやフィシャー、ケインズなど「利子の有害を憂える」碩学たちの名前をあげるが、マルクスはそこにはない。マルクスは、資本主義的生産様式においては利子生み資本という姿が、その経済のもっとも「高度」な現象、つまり、資本主義の基礎からずっと離れてたちのぼってくる、最終的でもっとも表面的な現象であることを指摘した(あくまで、資本主義の話ね。利子現象は昔からありましたYO)。利子の根絶や貨幣をいじることは対処療法であって、問題の解決のためには、その生産様式の根底の変革にせまらねばならない、というのがマルクスプルードン批判であった。
 資本主義の変革とともに、「時は金なり」というさいの「負」の意識の側面は、最終的に解決されるだろう。

 さて、最後に、「遅刻概念は歴史的である以上、歴史的に発展解消されるか?」という問題をあつかっておこう。

 よく冗談で、左翼仲間にこういったりする。「遅刻は近代資本主義が生み出した概念だから、資本主義の生成とともに生まれ、発展し、その消滅とともに、消滅する」と。
 だから「遅刻してもいい」などという不遜な結論にしたいわけだが、むろんそれは冗談だ。ぼく自身はいま時間規律を現代社会の守るべきモラルとして認めている。

 先に紹介した農村のフィールドワークをした荒井論文では、冒頭にこうのべている。
 「『近代』の人々の『時間』のあり方が、産業革命以降の大工場生産様式に端を発していることは、よく知られている。たとえば、アメリカの地理学者プレッドは、一九世紀中葉のアメリカ都市を例として、それまで卓越していた家庭内での職人的な生産様式が、大規模な工場に多数の労働者を集めて大量生産を行う生産様式に取って代わられるにつれて、それまで個人や家庭の意志に委ねられていた時間の流れが、工場の時間のタクトに従った『時間規律』の下に再編成されていく過程を描いている。……多数の労働者が関わる生産過程を混乱なく成り立たせるために、個々人や個々の家庭の事情は斟酌されず、規則的かつ画一的な時間割を正確に守ることこそが価値と見なされるようになる」。

 時間規律の歴史的形成を見ながら、この一文を読んだとき、ぼくは、将来における「時間規律=遅刻概念の運命」というものが「見えた」ような気がした。

 すなわち、機械制大工場的な「一律の時間規律」概念をやがてのりこえて、個々人の事情を斟酌した、新しい豊かな時間規律概念が登場するのではないか? という運命である。これは「否定の否定」である。

 その詐欺的紛い物として、「フレックスタイム」がある。
 資本主義的充用のもとで「フレックスタイム」は限りなく労働時間を延長させる道具に使われていく危険性をはらんでいるが、労働者を魅了するのは、その「個々人にあわせた自由な勤務時間」というイメージである。「残業代」概念を消滅させるフレックス制度は、現代日本では資本の搾取の道具であるが、ある社会条件のもとでは、たしかに自由な働き方を可能にするだろう。(同様に家でコンピューターワークなどをする「SOHO」のような働き方もまた同じである)。

 と思っていたら、荒井は論文の最後で次のようにのべていて、びっくりしてしまった。

「…フレックスタイム制の導入やオフピーク通勤の啓蒙など、『時間の柔軟さ』ということが、社会的に価値を持つという意識の芽生えであるようにも思える。/産業における『脱工業化』が唱えられて久しい。しかし、産業革命を機に進行した時間の近代化は、未だ、『工業化』の段階を通り過ぎていない。工業化社会の硬直的な時間規律を再考し、『柔軟さ』をキーワードとした時間意識が浸透したとき、はじめて真の『脱工業化社会』が到来するのかもしれない

 ははははは。あははははははははははははは。わっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ。は。