シーニア「最後の1時間」を理解する

 『資本論』を若い人たちと読むことを続けている。

 先日も合宿で読んだ。再び、高速道路のサービスエリア・パーキングエリアごとに止まってその場で30分〜1時間読み合わせするという狂気のやり方。

 いよいよ次は第1部8章である。

 その前は、もちろん第7章であった。その第三節は有名なシーニアの「最後の1時間」が登場する。このマルクスの説明がどうにも長ったらしくてわかりにくい。不破哲三でさえ、

ただ、マルクスが第三節でやっている反論は、あまり分かりやすいものではありません。テレビ討論会で、こんな調子の議論をやったら勝ち目はなさそうな気がします(爆笑)。(不破『「資本論」全三部を読む 第二冊』新日本出版社、2003年、p.88-89)

と述べるほどだ。

 ぼくは、再構成を担当させてもらった門井文雄『理論劇画 マルクス資本論』(かもがわ出版)において、この部分を紹介したとき、要は“いま労働して作り上げている価値(価値生産物)は可変資本分と剰余価値分しかないのだが、その中に機械や原料などの価値=不変資本部分も含めてしまっている”ということでざっくり済ませてしまった。不破の『全三部を読む』も基本的にはその解説なのだ(というか、ぼくが不破の解説に啓発され、大いに参考にさせてもらったのだが)。

 

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門井前掲、p.112-113

 

 しかし、実際に『資本論』を読むと、マルクスはかなりいろんな数字を出してくる。その理屈がわかりにくいのである。学習会でもファシリテーターであるぼくはうまく説明できなかった。そこでリベンジを兼ねて以下に記す。

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 これは、第一節にある

この総価値は二〇重量ポンドの糸という総生産物で表されているのであるから、そのさまざまな価値要素もまた当然、生産物の比率適所部分で表されうるはずである。(『新版 資本論 2』新日本出版社、p.380)

ということの理解が必要である。

 生産物価値(生産物として作られた全体の価値)はc=原料・道具9.5万ポンド、v=労賃1万ポンド、m=剰余価値1万ポンドとなる。紡績労働の現場で加えられた価値生産物(価値として新たに生産されたもの)はvとmしかないが、出来上がった商品の価値総額(生産物価値)は移転されたcも含め11.5万ポンドとなる。

 工場主(経営者・資本家)は、はじめの9.5時間の労働が終わると、c分の製品が生産でき(さらに売れ)れば、「c分は回収できた」と考える。次の1時間で「v分が回収できた」、最後の1時間で「m分が回収できた」と思考する。マルクスは、まあここまでは「正しい」というのである。しかしそれを紡績労働の労働時間に「換算(翻訳)」してしまうと「間違う」とマルクスは言う。(マルクスは「無知な観念」と罵る)

 

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 というわけである。

 ところで、不破哲三の『全三部を読む』はこの理解のために本当に役に立ったのだが、他方で、

シーニアは、生産物の構成部分についての先の表式を、労働時間に翻訳して、次のようにつくり直したのです。

1時間の労働時間=不変資本の補填分+可変資本の補填分+剰余価値

12時間  =  9時間3/5    +  1時間1/5     +  1時間1/5

(不破前掲p.88)

という計算例に戸惑ってしまった。

 ぼくは、この時間計算の例を見たとき、「えっ? シーニアってこんな計算例を出してたっけ?」となんども探してしまったのである。

 しかし、この「12時間」の計算例は、実は第二節でマルクスが持ち出した例であって、シーニアが出した労働時間ではない。三節では、マルクスはシーニアの計算例を11.5時間という数字を使ってやっているので、この「12時間」という計算を「シーニア」のものだというのは厳密に言えば間違いである。不破は新版でも訂正していないので、勘違いしているのではないか。

 まあ、あえて言えば、「第二節の計算例をシーニア風に直せばこうなる」というわけであって、もし不破がそう言いたかったのであれば、そのように書いてくれないとわかりにくい。探しちゃったじゃん。 

 

 え? お前が再構成したマンガでも、そんな断りなく「12時間」をシーニアの例で出してるって? う……。

 いいんだよ、俺は!

 だって、「10億円」とか明らかに日本の通貨単位が使ってあって、シーニアが出している例じゃないんだから! な?