ポール・ケネディ『大国の興亡』

 ぼくが参加している社会人ばかりの自主ゼミ(ひとり学生さんがいるが)で、ポール・ケネディの『大国の興亡』を読むことになった。というか、それはサブテキストで、メインは、石坂・船山・宮野・諸田の『新版西洋経済史』(有斐閣双書)なのだが。つい最近、読了した。

 

 

 

 ちょっと趣向をかえて、ぼくがぞのゼミにどうのぞんで、どういう勉強上の格闘をしたか、をふくめて、書いてみる。ここでは主に『大国の興亡』について書いてみよう。

1.何をめざして読むか

 正直、この本が何によって評価をされている本なのかは、はじめから最後のほうまで今一つよくわからなかった。しかし、このことは、結果的に先入見をもたずに読ませてくれる効果をもらたすことなった。

 帯には「20世紀末の世界的大変化を見事に解読した画期的な労作」とあり、米ソの大局的衰退、中国の台頭、欧州の潜在力(、そして日本の繁栄)を大胆に「予測」している。しかし、古本屋のワゴンセールで売られる、「1999年大予測!」みたいな古本のごとく、ぼくはその予測の細密な当否自身は、この本の値うちとは関係がない。
 下巻末に高坂正尭が解説を書いていて、そこで「著者は本書を構成するためになんらかのテーマ設定をしているが、それよりも価値あるものは、そのテーマを支持するものにせよ、あるいはその反証になるものにせよ、本書にとりあげられた細々とした歴史上の事実だといえよう。そこから読者が自らの頭で、いろいろと考えることを著者は前提としているし、そうすることによって初めて、この書物の価値も出てくるというものである」(下p381)とのべていることが、おそらく当を得ている。

 いまのべたように、この本の世間での「騒がれ方」をあまり知らず、虚心にそこにかかれた歴史の事実を読んでいく、というのが、おそらくいちばん「正しい」読み方だったにちがいない。

 ぼく自身は、もともと西洋の経済史はもちろん、政治史について、時間軸をさっと頭の中に描けるほどの「歴史感覚」(ここでは「年表感覚」といったほうがいいだろう)がない。戦後日本史なら、60年代、70年代といえばそれなりにイメージがわいてくるのだが。

 したがって、ぼくの目標は、「西洋での年表的時間軸を頭の中につくること」「オーソドクスな時代イメージをきずくこと」ということだった。


2.テーマを強化し、テーマのイメージを鮮明にする方向で議論の集約をすべき

 ゼミで少し困ったのは、「何にむかって議論するか」が不鮮明になったことである。
 これは学生のゼミや読書会でもしばしばおこる問題で、たとえば、テキストに書いてある事実や言葉から次々脱線していって、それぞれの知識の博覧や交流会のようになることである。

 それはいちがいに悪いとはいえない。さまざまな形で脳みそを刺激されるものではある。また、いま「1.」でのべた高坂の言葉からすれば、ここにあげた「細々とした歴史の事実」をふまえて、「自分の頭で考えていく」という態度そのもののようにも見える。

 だが、ぼく自身は少し違う考え方をする。

 ぼくは、ゼミは基本的には、たとえばわかりやすく量的比率で言えば、7割は忠実なテキスト読解をおこない、作者が何を言おうとしているのかというその精密な思想像を彫琢していくべきであり、それをもとに見解を交流しあうのは3割程度にすべきなのである。

 テキスト以外の知識や知見をもちだすこと自体は大いに歓迎するが、それはテキストや作者の思想を浮き彫りにする、または強化するものでなければあまり意味がない。

 ケネディは、本書の「テーマ」を次のようにまとめている。「本書の主たる関心は、主要各国が国際体制のなかで富と権力を求め、豊かで強力な地域を築こうとして(あるいは維持しようとして)努力したときに経済と戦略がどう作用したかということである」(上p1)。
 これ自体は、高坂が解説でのべているように、「そう目新しくもなく、それほど興味深いものでもない」(下p381)。
 だが、いちおう、いったん、われわれは「ケネディ」になりきって、このテーマのもとに本書を読み説いていくべきだし、このテーマを強化する方向で読んでいくべきである。

 (しかし、実際には、ぼく自身もかなり脱線をした。)

3.イメージのつくりにくい時代(産業革命以前)

 第1部「産業革命以前の世界における戦略と経済」は、おそらく一番苦労した時代区分だ。時代のイメージが非常に弱いからである。

 とりわけ、2章「覇権に手をのばしたハプスブルク家」は手こずった。
 独特の問題として、ハプスブルク王朝の系図関係を頭にいれるのが、一苦労だった。いちいち系図を自分で書いてみて照合するという煩雑さだった。あわせて、同盟関係がひんぱんにかわり、それぞれがどんな敵対/親和感情をもっていたかが複雑すぎる。
 このとき役立ったのは、子どもの歴史物語のように、英雄(ここでは王)ごとにエピソードなどでイメージを形成するという方法を補助的に使ったことだった。
 江村洋ハプスブルク家』(講談社現代新書)は作者の思い入れもたっぷりのもので、冷静な筆致よりもはるかに強く印象づけられた。J.M.ロバーツ『世界の歴史6』(創元社)も各国関係を理解する上では役立った。
 なによりも学習漫画『世界の歴史』(集英社)、池田理代子の漫画エロイカ 栄光のナポレオン』は、コアとなる絵画イメージを頭の中に生み出す上では、不可欠の役割を果たしたことも白状しておこう。

 3章「財政、地理、そして戦争の勝利」は、フランスがやはり覇権に手をのばし主にイギリスによって挫折させられるという話なのだが、ぼくがレポートを担当した。
 戦争の名前が山のように出てきて、漫然と読んでいくと気が狂いそうになる。
 しかし、実は「主要な戦争」をケネディは設定していて、それをひろっていくと、あとは枝葉末節であると思い定めることができるのだ。スペイン継承戦争北方戦争オーストリア継承戦争英仏植民地戦争アメリカ独立戦争フランス革命ナポレオン戦争)である(それでもこんなにあるのか!と思わずにはいられないだろうが)。
 この章は、軍事技術の問題が意外に多く出てくる。W.マクニール『戦争の世界史』(刀水書房)は、この問題を補強するために何度か使った。昔古本バザーで手に入れた筑摩書房の『世界の歴史』シリーズもここの時代区分では役立った。


4.物足りない視点――『西洋経済史』がおぎなったもの

 ケネディの視点は、どうしても国家間の戦略問題や地政学的問題にかぎられ、経済の問題をあつかうときも、その戦略に影響を与えた部分をしぼってとりあげることになる。たとえば、財政力や戦費調達力などが前面に出てくる。

 しかし、そうした戦略と財政の変化を生じさせた経済・社会の変化こそが、その奥深い原動力なのであって、それが『大国の興亡』の記述からは抜け落ちている。ゼミ参加者からきいた話であるが、『大国の興亡』は単なる国家史ではないかという批判もあるようで、それはそれで一面の真実をついている。

 これを補ったのが、もう一つのテキストにした『新版西洋経済史』であった。
 大塚史学派の流れをくむ研究者集団が書いた入門的なテキストで、全体で300ページほどのものである。いかにも教科書らしい味付けのうすい記述で、こんなことでもなければ一生巡り会わない本だったろう。
 だが、この無味乾燥な一冊が、目的意識をもって読み始めたとたん、大きに輝きを放ち始めた。

 たとえば、3章のフランス覇権の挫折を考えるうえでは、イギリスの対抗力の考察が欠かせないわけだが、それは重商主義、また経済の不均等発展をふまえてはじめて多面的な理解ができる。とくにイギリスはすでに産業革命以前に、農村工業の発展という形で強靱な地力をつけていく過程にあった。これは、オランダが実体経済から手をひいて、いわば「貿易の泡銭」で暮らしていったために没落していくのと比較しても興味深い事実である。このあたり大塚久雄『国民経済』(講談社学術文庫)のなかの「貿易国家の二つの道」で指摘されている。

 ただ、このテキスト(『西洋経済史』)そのものにも少し不満があって、一つは、資本主義の創出のうえで「資本の原始的蓄積」は必要欠くべからざる理解であるし、じっさい、テキストにも無前提に次々と登場するタームであるが、そのしっかりした解説はどこにもない。いわば、プロレタリアの創出という近代のメルクマールとなる事件の理解をぬきに「西洋経済の歴史」を扱おうとしているのである。
 もう一つは、大塚史学の独特の用語をもちこんでいるうえで、そのきちんとした規定がどこにもないという点である。たとえば「前期的資本」。あるいは「重商主義」。ふつう重商主義というのは、前資本主義的な現象、絶対王制の経済政策として理解されている(例「絶対主義は……重商主義とよばれる諸政策が精力的に追求される」〔岩波の経済学辞典〕、「重商主義政策が絶対主義の特徴をなす」〔大月書店の経済学辞典〕)のだが、大塚史学ではイギリスでブルジョア革命がおこなわれたあとの、産業資本主義時代の典型的政策をさす。大塚は先にあげた『国民経済』のなかで「重商主義――訳語の運命について」で「重商主義=商業資本=絶対主義の政策」という見解を否定しているのだが、『西洋経済史』のなかにはよく読むとどこにも「けっきょく重商主義とは何か」という規定が存在しないのだ。


5.ケネディのイメージの中核にある「二つの大戦」

 産業革命以降、とりわけ二つの世界大戦以降は、ぼくのイメージがはっきりしていることもあって、がぜん面白くなった。そこからは初期のようなイメージづくりにすったもんだするという苦労はなくなった。

 ケネディは、本書の歴史部分の叙述を終わるさいに、次のような一文を書いている。

「最後に、各国の相対的な生産力が長期的にどのような傾向をたどっているかということは、それ自体が重要だろうというよりも、政治的な力関係に影響をおよぼすからこそ大きな意味があることを指摘しておくべきだろう。レーニン自身が一九一七年から一八年にかけて述べているように、各国の経済成長率のばらつきは、不可避的に一部の国の興隆と他の国の衰退を招くからである。……そして、レーニンの頭にあったのは資本主義/帝国主義国家だったとしても、このことは政治や経済の形態にかかわりなく、すべての国家にあてはまるようだ。経済成長のばらつきは、遅かれ早かれ世界の政治と軍事力のバランスに変化を引き起こさずにはいない。これこそ、四世紀にわたる大国の興亡を跡づけるなかで明確になったパターンである」(下p237~238)

 マルキストにとってはすっかりお馴染みの「経済の不均等発展」の問題である。

 レーニンは「帝国主義戦争の必然性」を説明する中で、この考え方をもちいた。念頭にあったのは、イギリスという超大国の没落と、それにいどみかかるドイツという新興帝国主義であり、すなわち第一次世界大戦である。
 ケネディのイメージの中核には、このイギリスの没落と新興ドイツの台頭というイメージがあったのではないか。つまりこの時代を基軸にして、前後の時代に演繹しようとしているのではないかということである(あるゼミ参加者が、『大国の興亡』は帰納的、『西洋経済史』は演繹的とのべたが、実は逆であろうと思う)。

 この時代、つまり二つの大戦の時期ほど、経済と軍事、あるいは経済と戦略が密接に結びついている時代はない。それは二次大戦の戦後世界以上に密接なのである。戦後世界は、非資本主義諸国(いわゆる「社会主義国」)や非同盟諸国が世界史の舞台に登場し、逆に単純な軍事と戦略の論理は後景に退いていく。「経済」がモロに国際舞台に登場し、「経済戦争」こそが問題の中心となる(だからこそ、戦後世界での日本の覇権ということも一時的にではあれ問題となったのだ)。

 じっさい、ハプスブルク時代やルイ14世時代などは、単純にこうした「不均等発展」が問題になるとは思えない。ケネディはこの時代をイメージの核にして他の時代にまで不当に広げようとしているのではないか。

 

6.マルクシズムを横目で見る欧州人

 いまレーニンの言をひいて「まとめ」にしたケネディをみたが、ケネディはもう一つの結論として(というか前述の結論のコロラリーなのだが)、「この不均等な経済成長のペースが、さまざまな国の軍事力や戦略上の相対的な地位に長期的かつ重大な影響をおよぼすことであった」とのべ、「世界は、エンゲルスに教えられるまえでもなく、『まさしく陸軍と海軍ほど経済状況に依存するものはない』ことを知っていたのだ」(p241)とやはりマルクシズムの巨人の名をあげた。

 高坂などが、経済と戦略の関連について鼻もひっかけない態度をとっているのにくらべて、欧州人であるケネディは、少なくともマルクシズムを横目で見ている。

 それをもって左翼のワタクシは、思想的凱歌をあげるつもりはさらさらないが、二つの大戦をふくめた歴史を展望したとき、マルクス主義者を決して無視するわけにはいかないのだ。

 

7.安易な歴史の類推を許さないということ

 さて、最初の話題にもどるのだが、高坂は“歴史の細々とした事実をふまえて自分の頭で考えていけ”と本書を使い方を示唆する。高坂は、歴史のifを設定して、たとえばドイツの失敗から教訓を学んではどうかと言う。

 だが、ぼくとしては、そのようなやり方こそ、安易な歴史の類推を許すことになる、つまり時代条件を無視した超理論をつくってしまうおそれがある、といいたい。

 よく有事法制の議論などをネットでしていると、賛成派は、ローマとか徳川家康などをもちだして、「軍事の論理」を正当化しようとするのを見かける。たとえば、豊臣がいくら戦争をさけようとしても戦争をしかける徳川の意図が貫徹されてしまったように、武力なき平和願望は無力である、と。
 だが、これは歴史をとびこえた暴論になりやすい。現代の国際政治に働く論理と力は、場合によっては非軍事の国家を可能ならしめる。そのことを無視して、どこでも軍事征服の意図をもつ勢力があればそれが貫徹されてしまうのだと見るのは、歴史を自分に都合のいいように利用することになる。

 歴史は、ただ歴史として観照する以外にはない。

 「おまえらマルキストこそ、超歴史の法則を歴史にあてはめようとしているではないか」という人がいるかもしれないが、それは誤解である。それはたとえば、レーニンの『人民の友とは何か』をしめすまでもなく、マルクスはイギリス資本主義の精緻な分析をもってはじめて史的唯物論を(少なくとも資本主義の領域では)仮説の領域から出すことができた。歴史に型紙を押し付けぬという態度こそ、マルクスが精励した態度なのである。

(まー、それでも、かなりきちんと問題を設定すれば、歴史の類推というのはできなくもない。だいいち、モノを書く人間としては、そういうことをついやりたくなるよね。とても蠱惑的だ。だから今後、ぼくもばんばんやっちゃうだろうけど。へへへ。

 したがって、歴史は歴史として扱い、ぼくとしてはケネディのこの本は、あくまで「歴史の各時代のイメージをつくる出発点」として利用するだけである。それがこの本の正しい扱い方ではなかろうか。