中国語版『理論劇画 マルクス資本論』出ました


 2009年に門井文雄さんの漫画で『理論劇画 マルクス資本論』(かもがわ出版)を出し、ぼくはそこで解説・構成の役目をつとめさせてもらいました。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/rirongekiga-marx-sihonron.html


 で、このたび、中国でこれが出版されることになり、中国語訳をしたものがぼくの手元に届きました。中国語のタイトルは『漫画资本论』です。

 左が中国語版、右が日本語版です。


 中はこんな感じです。


 ちなみに、同じページの日本語版はこちらです。



 「社会主義」を名のる中国で『資本論』とはこれ如何に。そのあたりの事情は編集者の松竹伸幸さんが少し前に書かれていますのでご覧下さい。
http://chousayoku.blog100.fc2.com/blog-entry-251.html

 いま、中国では、『資本論』がいろいろなところに置かれている。北京空港などでも売っているそうだ。


 なぜかといえば、中国の現実があると思う。党や政府にかかわる経済学者も、三分の一が新自由主義者だといわれる中国のことだ。どんどん市場経済化が進んでいる。

http://chousayoku.blog100.fc2.com/blog-entry-251.html

と松竹さんが書いているように、『資本論』がそれなりに欲されているのは、まさに階級闘争の現実があるから。


 そういう現実のある中国というのは「社会主義国」なのか、という問いになってきます。
 ぼくは「あの国は現時点では社会主義国にはなっていない」と考えています。
 ぼくなりの「資本主義(資本制、資本主義社会、資本主義経済)」の定義は、資本とは剰余価値(もうけ)の追求を最優先の原理とする価値の自己増殖体だから、資本主義とはそれが社会全体の原理になっていること、すなわち「利潤第一主義」の経済ということです。
 個々の資本や個々の経済分野はいろいろあるでしょうが、社会全体としてそれが克服されているかどうかが、資本主義を克服したかどうか、つまり社会主義かどうかを決めると思うんです。
 別の言い方をすると、市場経済の度合いとか、利潤追求があるかどうかということは、それ自体では資本主義/社会主義とは関係ないんですね。


 中国というのは、もともとはスターリン型経済、つまり国有企業を中心とした一元的計画の経済体制だったわけですが、その段階ではそもそも国家が社会を代表したコントロールを受けていない(民主主義がない)うえに、経済そのものもうまく統御できていなかったのです。「大躍進」政策のような形で大量の犠牲者が生まれたりする。
 その後「改革・開放」政策で、そこに私的資本がたくさんもちこまれて社会が変質している過程にあります。


 このあたりは研究を積み重ねた上での結論が必要だと思いますが、私的資本が利潤追求をおこない、社会全体に「利潤第一主義」の原理が覆い始めている一方で、党や国家の制御のイニシアチブも依然強力にはたらいています。しかしその制御やイニシアチブはおそらく社会の理性を代表するようなほどにはうまくもいっていない。とても利潤第一主義を克服して社会の理性が働いている社会とは言い難いわけです。


 だから、「中国は現状では社会主義国とはいえない」ということなんです。


 資本主義的な利潤追求と、国家や社会の制御機能――この併存というのは中国に限らず、世界経済のトレンドであり、世界はこの方向で発展しておるなあとまさにぼくなんかは思うのですが、そこさえ確認できれば、無理に「あれは資本主義だ」とか「あれは社会主義だ」と決める必要はないと思います。利潤第一主義がどれほど制御されるようになったか、その制御には社会の理性がきちんと反映しているか、ということは、程度問題にすぎないんですよ。


 話がそれちゃったんですが、結局中国ではそういう私的資本の活動がさかんなわけですから、だからこそ当然のように『資本論』が求められるわけですね。