前に『ある日本共産党地区委員長の日記(一九七七年〜一九八四年)』を書いた鈴木謙次さんに公開書簡のような感想を書きました。
その鈴木さんから返事が届きました。
ご本人の了解を得てここに紹介させていただきます(改行はぼくがしました)。
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ネット「紙屋研究所」の「書評」を、昔からの分を、引っ張り出して読んでいる。
漫画批評はどうも馴染みのない世代であるから苦手だが、他のものは、私とかなり世代が違うのだがとても共通する問題意識だったり、感想だったり、びっくりしたり、感心したり、とても面白く読む。 「紙屋問題」というものの経過を見ていると、なんとも奇妙な感覚に襲われる。
日本共産党という政党が、いつからこんな非常識・非合理な判断をくだし、一切に恥じることなく行う「破廉恥な党」に堕落してしまったのだろうかという思いである。紙屋さんは、当たり前の、ごく常識的な言動を貫いている。誰が見ても、そうでしかない。紙屋さんが気に食わないから、クビにしたのである。
それに対して紙屋さんは、それはないだろうと、当たり前のことを常識的に主張している。
それだけである。
それだけであるからこそ、紙屋さんは、後退(あとづさ)りしたり、まぁいいかと妥協したりできない。そんな非合理で非常識な党であるはずがない、あってはならないと思うから、引き下がれないのである。どうでもよくないことにはならないのである。
そんな党に入ったつもりはなく、そんな党になってしまってはいけないと思うから、引くに引けないのである。
もっと当たり前の、常識的で合理的な党であり続けようよといわないわけにいかないのである。
紙屋さんは、何も気負ってないし、余計な怒りや憎しみを持ってはいない。
時おり感ずる「恐怖」は、まるで中世的・封建的な支配への恐怖と違和感である。
紙屋さんは、自分のために闘っているのではない。
大義のために闘っているのであり、これからの世代のために闘っているのである。
だから、これからも、当たり前のことを淡々と主張し、行動するしかない。誰が何を言おうが、自分の身に即してなにが起こったのかを証言し、現状の回復をめざすしかない。
紙屋さんの、中沢新一『はじまりのレーニン』の書評がなかなかよかった。
その最後の文章は紙屋氏のものだが、それは美しく、私に強い共感を与える。
左翼であるぼくらは、方針文書や理論をなぞって現実におそるおそるふみだしてみる。その方針と理論とちがった、あまりにも豊かで複雑で、みずみずしい現実が、ぼくらの意識にやさしい侵入をはたしたとき、臆病な左翼はびっくりして引き返してしまう。しかし、真の左翼は、なにがおころうがそこから実践へ、客観的世界へとわけいっていく。 そうやって、客観的世界にわけいったものだけが「笑う」ことができる。そのとき、当初想定していた理論や方針を、まったくみずみずしい、思いもよらない新たな言葉でよみがえらせる場合もあるし、たんにその理論が貧しい抽象であったことを暴露する場合もある。しかし、いずれにせよその人たちは「笑う」だろう。それは本当に唯物論の立場に立って、現実にわけいったものだけが味わうことのできる「笑い」である。そのときはじめて左翼はーいや左翼にかぎらず、人は、世界を「美しい」と思うことができるのである
私は『ある日本共産党地区委員長の日記』の「付録」で、私の各地での講演への感想文をそのまま紹介したのだが、その感想文の最大の共通の特徴は「こんなに笑って話を聞いたことは初めてだ」というものだった。
私の講演というか講義というか、ともかく、かなりの爆笑が何回もある。
別に駄洒落ではない。
私は真面目に話す。
党から後援会活動に乗り出したときの新鮮な驚きについて語る。「大衆」の生きた反応と姿を語る。それがたまらなく魅力的で楽しく面白く聞こえるようなのだ。話し始めると、それが、面白くてたまらないという風に、みんな心から笑って聞いてくれる。涙を流して笑う。 実は今もその講演テープがあるのだが、いま自分で聞いても、確かに面白い。聴いていて愉快な、軽い気持ちになる。私の話術もあるのだろうが、それだけではないように思う。とくに、後援会活動のあり方について話すと、みんなはじけるように笑う。私も、こちらの思いが伝わったことを確信する。笑いを通じて、気持ちがまっすぐに通い合うのである。
(※私の本の306ページ「1993年5月」の学習会は、「福岡4区の後援会交流集会」だった。感想文は九州弁ではないが、その雰囲気は、やはり九州のものだったと今でも思い出す)
紙屋さんの感動的な文章が、私にはよくよくわかる。
そもそも、私には他人の笑顔を見るときの、ある基準がある。その本物か否か、私はレーニンの「あの笑顔!」こそ、人間の最高の笑顔だと信じている。あそこから、少しでも外れれば、それは「本当の笑顔」ではないように感じてしまう悪い癖がある。
「ああ、ドリン、ドリン、これだ、これだ」の笑顔だ。
あれこそ、あのレーニンの笑顔こそ、これまでの人間で最高の笑顔だ。それは誰とも比べようのない尊厳に満ちている。それはかれの内面の思想の豊かさと輝きと純粋を現している。
あたり前のことを淡々と主張し、行動するしかない。
誰が何を言おうが、自分の身に即してなにが起こったのかを証言し、現状の回復をめざすしかない。 (2024年12月12日記)
