時短論補足


※この23日付および24日付の記事については一部疑問が解消し、修正をした。併せて読んでほしい。
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20171125/1511658305





 前回の記事「抜本的時短のために『みんなが生産活動に従事する』ことは必要か?」は、それ自体としては特に修正する必要を感じていない。
 ただし、不破の名誉のために言っておくと、不破自身は、“生産手段を社会化すれば、生産力の上昇を使って労働時間の抜本的短縮ができる”という趣旨のことはちゃんと言っているのである。

マルクスは労働時間の短縮ということを非常に重視しました。いま私たちが、みんな一日八時間働いて、これだけのものをつくっているとしましょう。生産力が二倍になったら、労働時間を半分にしても同じ量のものができるはずです。生産力が四倍になったら、労働時間を半分にしてもいままでの二倍の量のものができるはずです。生産力の発展というのは、まともな社会だったら、労働の時間を減らして、それ以外の時間を増やすことと結びつくはずなのです。
……
ところが日本の私たちの経験では、生産力が発展すると、工場がかえっていそがしくなって、残業時間がよけい長くなったりします。これにたいして、生産がもうけのためでなく社会のための生産になると、暮らしの保障と同時に人間の全面的な発達が保障されるようになる。その要となるのが労働時間の短縮です。これが「生産手段の社会化」の効能の一つなんです。(不破「党綱領の改定について/『報告集 日本共産党綱領』所収、日本共産党中央委員会出版局、p.221-222)

 これこれ。
 こういう説明ならわかる。
 同じような話を、実は、不破は同書(『報告集 日本共産党綱領』)の中に収められている講演「新しい世紀 新しい綱領」で、鉄鋼産業を例にとって具体的な数字で計算しているのである。


 ところが、不破はその後、このような生産力発展をもとにして時短を説明するやり方をしなくなってしまい、前の記事で紹介したように、社会の構成員みんなが少しずつ生産労働にたずさわる……みたいな説明の仕方をするようになってしまったのである。
 ただし、不破は、そういう説明をした後でも、抜本的時短によって人間の発達が起こって、それがさらなる生産力の発展と時短を呼び起こす、という説明は一応している。*1そのことはぼくも納得がいく。


 なぜ“生産力上昇を時短に結びつける”という説明をやめてしまい、“社会の構成員が生産労働にみんなたずさわる”などという無理のあるイメージを持ち込もうとしたのか、謎である。

*1:未来社会では、生産力の発展が労働者を犠牲にしておこなわれることはありません。生産力の発展は、もっぱら発展する科学・技術の応用によっておこなわれます。そして、その社会における人間の能力の発展そのものが、科学・技術の発展およびその生産過程への応用を可能にし、現実化するのです。それによって、物質的生産力がさらに発展すれば、それに応じて労働時間がさらに短縮され、「自由の国」が拡大します。」(不破『党綱領の力点』p.147)