何か書かないと人生が変わらない

 「はてなブログ10周年特設サイト」で、なんと自分のブログが取り上げられておりました。

hatenablog.com

 

 ありがとうございます。

 2箇所で取り上げられました。

 一つは、「II 10年間で話題になった記事」のところで。

 ぼくが書いたこの記事ですね。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 もう一つは「III はてなブログ編集部注目のブログ」というところで、ブログ自体を取り上げてもらいました。

 そこでこのブログの短い紹介が編集部から付けられているんですが、「20年積み重ねたカルチャー、感想・考察」と書かれていました。

 

 そうですね、ブログをやり始めてもう20年近くになりますね。

 「日本とコリア」11月1日号のインタビューでも答えましたが、2003年からホームページ形式で始めていますから、正確には18年です。

 と言いたいんですが、本当はその前、2002年に楽天のブログ(楽天日記)で3ヶ月くらいやったんですね。同じ「紙屋研究所」名義で。一旦閉鎖しました。そのあたりの経緯は2004年にマルクスにインタビュー「される」という企画でちょっと話してます。

www1.odn.ne.jp

 

 ブログって人類史上例がないと思うので、ブログを20年もやっていたら、きっと人類の中でも未踏のことをやっているんだと思います。人類未踏っていうとすごい感じがしますが、よく考えると、そんなへんてこりんなことを誰もしてないんだけど…みたいなものでして、ある意味「びっくり日本新記録」みたいなもんです。

www.youtube.com

 

 実際、リアルでは「すごいですね! 続けるコツは何ですか!?」などと聞いてくる人は、まず、いません。世の中の人はみんなツイッターとかnoteとかで楽しく投稿し、楽しくなくなればやめているだけですから、無料ブログのようにお金にもならないことを意識的に「続ける」などという珍妙なことはしていないのです。賽の河原で20年間石を積んでいる人を見たら「すごいですね! 続けるコツは何ですか!?」とは聞かずに「へえ……。あー、そうですか。はーん。…ちなみに聞いていいですか? 何でそんなことをしているんですか?」とは聞くかもしれませんが、それと同じです。知らんけど。

 

 でもですね。

 ツイッターもぼくはやってますけどそういうまさしく「つぶやき」じゃなくて、一定の分量でなんか書いて世の中に投げると、ぼくの場合は、自分の中で何かが固まるんですよね。

 固まることは、いい点もあるけど悪い点もある。悪い点としては、まさしく「言霊」になってしまって、それにとらわれてしまうんです。そもそもぼくはマルクス主義みたいなものに取り憑かれてしまう人間なので、世界観としての統一的な感覚を得ようとして前に言ったこととの整合性を考えちゃうのです。そうなると、いったん一定分量の言葉として外に放つと方向転換が利きにくくなるんです。

 でもそれを避けようと思うと、ずっと黙っているのが一番いいことになってしまって、何も言わない・何も行動しないことになっちゃいます。

 他方で、「いい点」としては、第一に、曖昧になっていたことがクリアになります。最近とみにそんな感じでブログをぼくは使うようになってきたんですが、もう世の中として、あるいは自分の中でハッキリしていることは別にぼくが何か整理して考えたり、言ったりする必要はないわけですよね。モヤモヤしていることを、整理して示すことが一つの意義だろうと思ってなんか書いたりすることが増えてきました。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 で、もう一つ、ぼくが何かを言うことで、たいていは非常に小さいものですが、何らかの反響・波紋がぼくの周りで広がるので、それによって、いろんな人から声をかけられて、全然違う自分に会えるようになります。考えの違う人やグループに、いい形で会えたり、また別の出会いに連れて行ってもらえます。

 そうすると自分の人生そのものが実は小さく修正されていきます。

 小さい修正が重なると大きな修正になっていたりします。

 大きな修正は本当に修「正」だったのかどうかは確かにわかりません。じっとしていれば、もっと素晴らしい人生だったのかもしれないのですが、ぼくは現時点で自分の人生に対して自己肯定感が強いので「今の自分になるまでにそういう20年に及ぶ小さな修正の積み重ねがないと無理だった」としか思えないのです。

 義務ではないのですが、振り返ってみて、「何か書かないと人生が変わらないな」と思っているのが、現時点です。