英語の勉強のつもりで読んでいた一文に
I believe that if Japan indeed had a few more infections in April to May, we could have seen widespread deaths, akin to what happened to our European friends.
というものがあった。
前後の文章でだいたい「ヨーロッパの仲間たちに起きたように、死者の急拡大を見ることになるだろう」的な感じで読んだが、恥ずかしながらakin toがわからない。
調べると「〔…と〕同種で,類似して 〔to〕」とあった。まあだいたいそれでよかったわけである。その時辞書には「Pity is akin to love.」という諺が書いてあったが、特に興味も引かれずにそのまま閉じた。
ところで土日に、杉本亜未『ファンタジウム』を読み返していて、「『可哀想だたぁ、惚れたって事よ』は夏目漱石先生だったろうか」という意味のセリフが出てきて、はてなんであったろうかと調べた。それはすぐわかった。『三四郎』である。
「その脚本のなかに有名な句がある。Pity's akin to love という句だが……」それだけでまた哲学の煙をさかんに吹き出した。
「日本にもありそうな句ですな」と今度は三四郎が言った。ほかの者も、みんなありそうだと言いだした。けれどもだれにも思い出せない。ではひとつ訳してみたらよかろうということになって、四人がいろいろに試みたがいっこうにまとまらない。しまいに与次郎が、
「これは、どうしても俗謡でいかなくっちゃだめですよ。句の趣が俗謡だもの」と与次郎らしい意見を提出した。
そこで三人がぜんぜん翻訳権を与次郎に委任することにした。与次郎はしばらく考えていたが、
「少しむりですがね、こういうなどうでしょう。かあいそうだたほれたってことよ」
「いかん、いかん、下劣の極だ」と先生がたちまち苦い顔をした。その言い方がいかにも下劣らしいので、三四郎と美禰子は一度に笑い出した。
あっ、これではないか! と驚いた。
全然関係のないことがひょんなことで近くにあって、たまたま記憶のフックがあったせいで「これって、あれじゃん!」とコーフンし、結びついて覚えてしまう…というようなことがある。これである。
(下記は2008年の『ファンタジウム』1・2巻当時のぼくの感想。物語が完結した現時点ではこの感想からはかなり距離がありますが、参考までに。)