「ペストで農業労働者の賃金が高騰した」っていうけど農奴なの? 労働者なの?

 「パンデミックは世界を変えるきっかけになる」という命題があって、ペストが中世を大きく変えた話は、いろんな人がしているよね。

 

ペストがヨーロッパ社会に与えた影響は、少なくとも三つあった。第一に、労働力の急激な減少が賃金の上昇をもたらした。農民は流動的になり、農奴やそれに依存した荘園制の崩壊が加速した。表21は、ペスト流行前後のイングランド南部のクックスハム荘園の損益計算を示している。地代や小作料、穀物や家畜の販売収入が減るなかで、荘園労働者に支払う賃金が増加していることがわかる。その結果、労働者の購買力は上昇し、彼らはそれ以前には経験したことのない経済的余裕をもつことになった。第二に、教会はその権威を失い、一方で国家というものが人々の意識のなかに登場してきた。第三に、人材が払底することによって既存の制度のなかでは登用されない人材が登用されるようになり、社会や思想の枠組みを変える一つの原動力になった。結果として、封建的身分制度は、実質的に解体へと向かうことになった。それは同時に、新しい価値観の創造へと繫がっていった。(山本太郎感染症と文明」KindleNo.664-672)

 

増田 ……農作物が採れても、(ペストで)人口が減りますから、供給過剰になって、農作物の値段が下がります。農作物を供給するのは貴族や地主の特権階級。彼らにとって人口減少は危機です。働く人が減ったから賃金は上がる。しかし人が減ったから農作物はダブつくので、価格は下がる。その結果、特権階級は、農作物を売って入ってくるお金は減ってしまうのに、土地を耕す農民たちには高い報酬を払うことになります。これで両者の関係は逆転し、貴族や地主などの特権階級が没落します。こうして人々の平等化が進みます。……

池上     ペストにより人口が減ったことで、中世初期の農奴制が変化して、社会的流動性が高まったわけですね。

池上彰増田ユリヤ感染症対人類の世界史』Kindle No.917-924)

 

 

感染症対人類の世界史 (ポプラ新書)
 

 

 

 これらの説明に共通しているのは、“ペストで人口が激減したために、賃金が上がった。そのために農民の地位が高くなった”というニュアンスである。

 共産党志位和夫も、マルクスの『資本論』を紹介しながら、そのことをよく話している。

ペストは、ヨーロッパ社会に大きな影響をあたえました。当時のヨーロッパは、農奴制のもとで、貨幣経済が徐々に進行し、農奴がしだいに領主に対する人格的な隷属から解放されて、小作人や自由農民になる過程にありました。そこに猛烈なペストが襲来し、農村人口が激減しました。極端な労働力不足が発生し、農業労働者の地位が向上し、その賃金の高騰が生じました。農奴の自由農民化が進行し、14世紀末には農奴制の崩壊が進み、やがて完全に崩壊するにいたりました。こうしてヨーロッパの農奴制は没落し、中世は終わりをつげ、資本主義の扉を開くことにつながっていったのであります。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-07-17/2020071707_01_0.html

マルクスの『資本論』を読むと、第1部の第8章「労働日」に、ペストにかかわる叙述が出てきます。14世紀なかばのイギリスで、エドワード3世の時代――1349年に、「最初の『“労働者規制法”』」がつくられたと書かれています。ペストが人口を激減させ、農業労働者の賃金の高騰が起こるもとで、力ずくで賃金を抑えることが必要となりました。こうして「労働者規制法」が歴史上初めてつくられました。しかし、一片の法律で、この流れを止めることはできず、繰り返し同様の規制法が制定されました。

 マルクスはこの章で、「標準労働日獲得のための闘争」の歴史を、二つの歴史的時期に分けて描き出しています。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-07-17/2020071707_01_0.html

   この志位の発言について、ぼくの身近にいる、ある左翼仲間から、農奴制とは何か」「賃金をもらう農業労働者のように読めるが、農奴ではないのか」という疑問が出た。

 農奴というのは、土地に縛り付けられ、領主からこき使われている奴隷のような存在ではないのか? 年貢みたいに取り上げられているんじゃないのか? その人たちに「賃金」を払っていたの? それにいかに人口が減ったとはいえ、そいつらから搾り取ればいいんじゃないのか? だいたい賃金を払っていたら、それは労働者っていうことじゃないのか? という疑問である。

  

 

 最近の歴史学の到達というものはあるんだろうけど、志位がマルクス主義歴史学の古典的な命題を使って考えを述べているのだろうから、ぼくもそういう範疇で答えてみる。

 

 農奴制は、中世の封建制下の生産様式である。

  • 農奴は、奴隷と違い、土地や農具などの生産手段を持つ。
  • しかし農奴は、領主から土地を「与え」られおり(分与地)、近代労働者と違い、領主に人格的に強く従属し、移動もできない「半自由民」だった。
  • したがって、はじめは、領主の土地(直営地)を週何日か(例えば週3日)無償で耕すことを強制されており(賦役=労動地代。領主の土地で働くことが搾取そのもの)、それ以外にも分与地での収入に対しても様々な租税をかけられていた。これが農奴に対する領主の搾取(剰余生産物の取得)であった。

 こうした特徴を持っているとされている。

 いくつかの文献にあたったが、肝心のところがわからない。

 例えば、石坂昭雄・船山栄一・宮野啓二・諸田實『新版西洋経済史』(有斐閣双書、1985年)だと

イギリスの荘園制(マナー)は、アングロサクソン時代の土地所有関係のうえにノルマン征服(1066年)によって大陸の制度がいわば継ぎ木されて確立したが、13世紀にはマナー制の最盛期を迎えた。

……14世紀に入ると賦役農奴制に立脚したマナー制は急速に崩れ、直営地は農民に貸し出され、賦役は金納化されて定額の貨幣地代が成立する。14世紀半ばに黒死病が大流行して労働人口が激減すると、領主にとって直営地の維持はますますに困難になった。

……これらの事件が賦役の金納化(commutation)の傾向を促進したことはいうまでもない。賦役から解放された農民や手工業者達は余剰生産物を近隣の市場で互いに売買し、しだいに貨幣的富(民富 commonweal)を蓄積するようになる。(前掲書p.50-51)

となっている。他人の土地を無償で耕す労働地代(賦役)が農奴の意欲を削ぐから次第に生産物地代・貨幣地代に移っていく、というのはなんとなく想像がつく。

 

 

 しかし、直営地が耕されなくなったら本当にヤバいので、無理にでも働かせようとするのではないだろうか、という疑問が生じる。

 人口が減って需給関係で直接生産者(ここでは農奴)の力が強くなっているのであれば、仮に労働地代のままであったとしても、直接生産者側が強気に出て労働地代を減らさせるように作用するのではないか? という疑問もわく。

 すなわち「なんとなくわかるけど、まだぼんやりしている」という感じなのである。

 しかし、ある概説書でその点がだいたい説明されていて「これだ」と思った。

 

 まず、領主の直営地がどのように耕作されていたか、という話。

領主は直営地の経営のためには、常雇労働者たち(famulii)を雇用して直営地耕作はもちろん牧畜(馬・牛・羊など)経営をおこなわせていたが、かれらの労働力では不十分であったので、農民からの賦役などを必要としたのである。(加勢田博編『概説 西洋経済史』昭和堂、1996年、p.30)

 

 

概説 西洋経済史

概説 西洋経済史

  • メディア: 単行本
 

 

 つまり、直営地は常雇労働者たち(famulii)が耕作していたが、それだけでは足りないので分与地を持っていた農民が賦役として駆り出されていた、ということになる。この「常雇労働者たち」が志位の言う「農業労働者」なのであろう。

 

このような状態のところへ、凶作と黒死病とが相次いで発生し、14世紀後半の人口減少をもたらした。領主が荘園を維持し直営地耕作を自らの手でおこなうためには、隷農たちからの賦役代納金などで、小屋住農その他の労働力を雇用しなければ〔な〕らないが、労働力が不足している故に労働賃金は高騰した。したがって、イギリスでは、1349年に「労働者条例(statute of laboures)を出して、賃金抑制をはかったが、その効果は無かった。(前掲書p.44)

 

 さっきの「常雇労働者」はここでいう「小屋住農その他の労働力」であろう。また、この「常雇労働者」の賃金は、農奴(隷農)たちの分与地からの租税を元手にするのではなく、農奴(隷農)たちが領主直営地を賦役する代わりに支払われているお金(賦役代納金)で拠出されているということになる。

 しかし、さっきの記述との関係でいうと、少々おかしい。

 なぜならさっきは“直営地を耕している中心は労働者で、足りないところを農民の賦役で補っている”かのように書いていたからである。しかし、ここでは“労働者の賃金の原資が農民が賦役のかわりに差し出しているお金(代納金)でまかなわれている”とされている。もともと賦役がメインでそれをお金にかえて、それが労働者を雇う原資になっている、という意味にしかとれないのだ。

 思うに、後者の方(賦役メイン→雇われ労働者メイン、という時系列)が正しいのではないか。

 つまりこういうことだ。

 もともとは直営地はすべて農民の賦役でやっていたが、それが次第に「お金で勘弁してくれ」と代わるようになった。町内会の草刈りに出る代わりに1000円払うようなものだ。領主の土地なんかどうせ作物を取り上げられるんだからバカバカしくてやってられないのである。また、やる気のない農民がみんなでよってたかっての耕作だからいかにも非効率そうだ。

 とにかくそうやって集まったお金を原資に労働者を雇って直営地を雇いはじめたのだろう。

  したがって、すでに賦役は金納に代わりつつあることが前提である。

 このことは、上記引用の前の段落に書いてある。

 

 商業の復活以来、貨幣経済の進展・普及が漸次農村に及んできた。これに加えて、十字軍による経済的打撃が封建領主を襲い、かれらは貨幣収入の増大をはかった。そこで、農民の土地保有にかかわる地代は最初現物提供であったが、次第に一定額の貨幣地代に転化した。さらに、中世後期になると、賦役労働そのものが低能率であり、領主の側からは賦役その他について農民を取り締るのが困難となってきた。農民にとっても、農繁期における臨時賦役は苦痛であった。都市と農村との間の商品流通を仲介する週市が存在していたので、この市場の存在は農民にとって貨幣入手の機会を提供していた。

 貨幣獲得の必要に促された領主は次第に賦役を貨幣代納(commutation)に変化させていった。(前掲書p.44)

 

 

 領主自身がもはや金納化は逆らえない流れとして認めていっていることがわかる。

 ペストの直前には、もはや直営地は農民の賦役ではなく、金納が中心となり、雇われた労働者が耕すのが主流になっていたのだろう。残りの部分を農民が賦役でまかなっていたのに違いない(ここはぼくの推察)。こうした中での直営地部分を実際に耕す労働者が賃金高騰でいなくなってしまっているということなのだ。

 これを農民(農奴)への抑圧の強化・徴税強化で乗り切ろうとしたことへの反作用が「ワット・タイラーの乱」である。

 

もっとも、領主のなかには領主による直営地耕作を依然として続行するものがいた。イギリスの場合、……労働者条例の効果が芳しくなく、労働賃金の高騰に直面して、領主は地代額・賦役を旧時代(1347年)の水準に戻そうとする措置をとった。いわゆる封建反動(feudal reaction)である。これに対して、農民たちは激しく抵抗し、一揆を起こした(たとえば、1381年のウォット・タイラーWat Tylerの乱)。(前掲書p.46)

 

 この結果、領主は二つの道を選ぶ。

 一つは、直営地経営を放棄して、それを誰かに貸し出し、借地料の「あがり」を期待するということだ。

 もう一つは、営利的経営に乗り出すということである。高い労働者を雇ってもなお儲けが出るような高い商品をそこで作って売るようにするわけで、これは才覚が必要になる。

 

第1の場合には、農民などからなる請負農業経営者(tenant-farmers)に、土地のみならず種子、農具一切を長期的に賃貸(stock and land lease)して、一定の貨幣収入を獲得することを意味する。この直営地の経営方針の変更は、封建的土地貸借とは異なる、貸借当時〔事〕者間に何らかの身分的隷属関係を伴わない土地貸借関係をもたらしたのであって、古典荘園の解体と地代荘園への転換を招くことになる。このような形での農民解放への動向も土地保有の保障を失うという面からいえば必ずしも農民にとって喜ぶべきことではなかった。貨幣経済に巻き込まれる機会が多くなるにつれて、経営能力を問われる農民の間には貧富の差が激化し、土地を失った貧困者は自由な労働者としての生活不安に直面しなければならなかったからである。(前掲書p.45)

 直営地から上がる収益について、封建的土地貸借の場合は、農業労働者に渡す生活費分を控除して、残りを領主が持っていく。新しい貸借関係では、この収益は耕している農民に入り、領主はそのレンタル料となる地代をもらうだけになる。

 第2の道は「囲い込み」へと発展していく。

 

 もともとの問いに戻ろう。

 土地に縛り付けられ、領主に従属していた農奴は分与地だけでなく、直営地も耕して賦役=労働地代を納めていたが、賦役はだんだん行われなくなってお金で納めるようになっていた。そして直営地は領主が雇った農業労働者が主に耕しており、農業労働者はペストによる人口減少で賃金が高騰したため、領主はもう直営地から労働地代を取るやり方をやめて、農民に土地を貸し出してそのレンタル料を取る方式に変更した。こうして、領主への人格的な隷属を前提にした農奴制は壊れていき、「契約」に近い関係に変わっていくことになる。そして農民は富を蓄えていく者が現れるようになり、他方で土地さえも失ってしまう自由な「労働者」も現れる。

 

 志位和夫の言ったことがようやくわかるようになる。再掲する。

ペストは、ヨーロッパ社会に大きな影響をあたえました。当時のヨーロッパは、農奴制のもとで貨幣経済が徐々に進行し、農奴がしだいに領主に対する人格的な隷属から解放されて小作人や自由農民になる過程にありました。そこに猛烈なペストが襲来し、農村人口が激減しました。極端な労働力不足が発生し、農業労働者の地位が向上し、その賃金の高騰が生じました。農奴の自由農民化が進行し、14世紀末には農奴制の崩壊が進み、やがて完全に崩壊するにいたりました。こうしてヨーロッパの農奴制は没落し、中世は終わりをつげ、資本主義の扉を開くことにつながっていったのであります。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-07-17/2020071707_01_0.html

 「だからなんだ」って言われても困りますが。