小幡績『リフレはヤバい』


 アベノミクス本の紹介を続けます。


 評価の基準を再掲しておきますが、

  • アベノミクスの第一の矢である金融緩和について、どれくらいわかりやすく書いているのか、ということ。
  • 次に、どういう理屈で経済が上向いていくか、そこを庶民・シロートにも説得的かつわかりやすく書いているのかどうか。反アベノミクス本の場合は、そこをどれくらい説得的に批判できているのか、ということ。
  • とくに、「賃金が上がらないと経済など上向かないではないか」という理屈に対して、それぞれの本がどんなふうに考えているのか。

です。


リフレはヤバい (ディスカヴァー携書) さて、今回は小幡績『リフレはヤバい』(ディスカヴァー携書)です。
 結論からいいますと、この本が一番シロートが学ぶにはわかりやすいと思います。
 「お前が反リフレ派の左翼だからそう言ってるんだろう」と思うかもしれませんが、そうではありません。
 「反リフレ派の立場から、リフレ派のロジックを説明してやって、それでていねいに反論していく」という体裁をとっているので、初心者でもすっとわかります。リフレ派の人でここまでやさしく説明してる人はいないと思います。
 ただし、もう一冊、ある意味でもっとわかりやすく書いている本をあとで紹介します。小幡のこの本がわかりやすいか、そちらの方がわかりやすいかは、そちらの本の書評を書く時に記します。

語り口調の平易さは類書にない

 『リフレはヤバい』はこういう出だしです。

 リフレとは何でしょうか?
 それはインフレを起こす、ということです。
 インフレとは、多くのモノの値段が上がるということです。


 モノの値段が一斉に上がったら、ふつう困りませんか? コンビニでおにぎりも牛丼も、ジーンズもガソリン代も電気料金も、みんな上がってしまったら困りますよね。給料もバイト代も上がらないのに。
 ふつうの人は、みんな困ります。
 なぜ、そんなことをあえてしなければならないのでしょうか?
 よくわかりません。(小幡p.18)

 どうでしょう。すごくやさしいし、フツーの人の目線で論理が語られ出すことがよくわかると思います。ムリなく読み進められるでしょう。こういう文章はすばらしいと思います。
 インフレを起こす方法の解説は、他のアベノミクス本でもていねいに書かれています。日銀が、政府の出している国債をマーケットで買うことで、国債をたくさん持っている市中銀行などの口座(無利子の日銀当座預金)におカネがたまっていきます。このあたりの記述は、語り口がやさしいぶん、小幡の本に分がありますが、まあ他の本でもわからないわけではありません。

「おカネを刷らないの?」に対する答え

 でも、ぼくが初めにのべたように、「おカネを刷って、みんなに配る政策はしないのか?」という素朴な疑問には他のアベノミクス本はあまり答えていません。
 小幡のはその問題に答えています。203ページからの「リフレ派の妄想の現実化の恐怖」のところです。麻生政権下での政府紙幣の検討や米国のプラチナコインの鋳造の議論などを紹介した上で、この問題で「もっと真剣に荒唐無稽なストーリーを展開した経済学者」(小幡p.204)の説として、「ヘリコプターマネー」についてふれてます。
 米国FRB議長のバーナンキ、およびその元ネタたる経済学者フリードマンの議論です。

ヘリコプターマネーとは、ヘリコプターで上空からお札をばら撒く政策です。そうすれば、何ものにも邪魔されず、消費者におカネが行き渡り、消費者が拾ったおカネでモノを買うことになり、当然インフレが起きる、という議論です。(小幡p.204)

 これは、日銀の口座におカネがたまっても市中におカネが出ていかないじゃないか、という議論を意識しています。この政策は給付金を国民1人あたり20万円配る、という政策と実質的には同じですが、「人目を引くような、いや耳目を集めるようなへんてこりんな話」(小幡p.203)にすることに意味があるわけです。

 これはスジが通っています。いいか悪いか別にして、スジだけは通っています。
 当然次のような疑問が浮かびます。

 さて、なぜ、ヘリコプターマネーは語られて、給付金二〇万円は語られないのでしょうか?(小幡p.205-206)

 この思考の流れは、シロウトの思考の流れをよくふまえています。だから、小幡の書き方はものすごく上手いと思うのです。講演会や学習会でこういう話を紹介したら、会場からいかにも出てきそうな質問です。別の言い方をすれば「どうしてそれをやらないんですか?」。
 小幡は次のように答えています。


 それは現実的な話をすると、無理な話だとばれてしまうからです。
 リフレ派の人々は、自分で世の中を動かそうなどという責任感はありません。議論するのが好きなのです。知的に見えて、かつ人々をあっと言わせるような議論をして、喝采を浴びるのが好きなんです。それだけなんです。(小幡p.206)

 ぼく自身、なぜヘリコプターマネーや給付金がダメなのか、よくわかっていないのですが、仮に1人20万円とか総額を決めたとしても、政府が紙幣を印刷してバラまくと決めた段階で、日本政府は困ったらいつでもおカネを刷っちゃうらしいぞ、という噂が広がって、日本の国債の暴落とか、円の信用の失墜とかにつながっていくのだろうと思います。
 でも「財政規律が……」とかムズカシイことを小幡は言いません。「現実的な話をすると、無理な話だとばれてしまうからです」と実にスマートに書いてますよね。このあたりが、小幡のかわいいところでもあり、また手強いところでもあります。

リフレ政策の核心部分をどう説明しているか

 リフレ政策の核心部分を説明する小幡の文章も載せておきます。

 しかし、インフレターゲットを設定して、インフレ率を二%にすることを目標にする、そのために、国債を買いまくる、と日銀が宣言したところで、どうしてインフレが起きるのだろう。そう思われた方は鋭いです。私も同じ意見です。
 そこで、第三の手段が出てきます。それは「期待に働きかける」というものです。
 つまり、「インフレ期待を起こす」ということです。インフレそのものは直接には起こせないので、代わりに「インフレ期待という期待」を起こす。人間の気持ちを動かす。これがリフレ派の主張する“決め手”です。(小幡p.38)

 この文章は、日銀がいっぱい国債を買って銀行におカネがつみあがっても、それを企業が借りていかないとおカネは市中に出回らないではないかという批判を書いたうえで、その批判に反論しようとするリフレ派の気持ちを代弁した一文です。
 「おカネは市中に出回らないではないか」批判は、リフレ派がかなり意識しているもので、リフレ派の本を読むとそこに反論するのに苦労しているのがわかります。そして、究極的にはここで小幡が紹介していることが結論になります。つまり、インフレの期待(予想)をみんなが持つようになることが大事なんだ、という主張です。小幡は皮肉として、「インフレそのものは直接には起こせないので、代わりに」という一文をつけています。

 そのうえで、小幡は、インフレ期待がつくられたら、どんなふうにモノが売れていくのかを次のように書いています。

 インフレが起きるという期待が形成された時点で、人々の行動、投資行動も消費行動も変わります。インフレが将来起きる前提で、投資をすることになります。
 たとえば、インフレになるのだから、名目の価格が上がりますから、製品の売上高は単価が上がるのだから、将来増えます。今借金の契約をすれば、借金の名目額と、名目の金利は、今の水準に決まります。今の水準が、インフレを織り込んでないとすると、低い金利のままですから、今直ちに契約しておくのが得だ、ということになります。
 住宅ローンだったら、金利が上がる前に、今契約してしまえ。家も今買ってしまえ。現金を持っているのは損だ。インフレで目減りする。それなら、今のうちに家はもちろん、ありとあらゆるモノを買っておけ、ということになります。(小幡p.32)

 わかりやすいですね。
 疑問の余地がありません。
 シロートは時間の経過にそって、具体的にしか考えることができません。そのあたりを実にていねいに書いています。しかもこれはリフレ派の文章ではなく、反リフレ派の人が書いているのですから、すごいと思います。

インフレの6つのメリット

 本書の白眉だと思えるのは、「リフレ派が主張するインフレの六つのメリット」を書いているところです。要約すると、

  1. お金を貸している人から借りている人への所得移転
  2. 預金者から銀行への所得移転
  3. 日銀からの贈り物
  4. 賃金が下げられる
  5. 駆け込み需要を促す
  6. デフレスパイラルを防止する

 見方を変えると、資本*1にとってデフレよりもインフレの方が親和的であるということを言っているんだろうと思います。小幡はこれをきちんとリフレ派の気持ちにたって説明したあと、自分の言葉で批判を加えています。
 賃金のところだけご紹介しましょう。

 バイトに限らず、一般的に、労働組合があることなどから、賃金の額面を引き下げるのは現実には難しい。しかし、企業の競争力が低下し、他の国の工場で安い賃金で労働者を雇って生産を拡大し始めたとき、これに対抗するのに賃金を引き下げないといけない状況に直面したとします。
 もし賃金の引き下げができれば、工場の賃金コストが下がり、町にあふれていた失業者たちをこの工場で雇うことができるかもしれません。
 このような状況では、賃金の額面額、つまり時給八〇〇円などといった名目賃金を引き下げられなくとも、インフレ率が上昇することにより、実質的な賃金の引き下げができます。つまり、賃金以外のモノの値段が上昇すれば、実質的に賃金が下がったのと同じことになるのです。企業の製品の販売価格が上がるわけですから、企業の利益も大きくなります。すると、企業はもっと雇うことができます。(小幡p.130〜131)

 これは、経済学の世界においても、最も重要なインフレのメリットと考えられています。一九三〇年代の大恐慌のときにケインズが主張した政策の流れを受けているものです。このとき生まれたケインズの一般理論に含まれる雇用理論で提唱され、その後の多くの経済学者たちが主張した「名目賃金の下方硬直性」です。(小幡p.129)

 小幡の反論は次のとおりです。

 この議論は古いのです。〔……〕実際に、雇用の過剰、賃金コストの高さ、という問題は、二一世紀に入ってほぼ解決し、団塊世代の退職を経て、ほぼ終わっているのです。
 むしろ、若年層の給与所得の低下、非正規雇用、および若年雇用を酷使するブラック企業という新しい企業群の存在、これらが大きな問題となっています。したがって、現在の問題は賃金の実質的な下落を可能にすることではないので、このメリットも重要ではないのです。(小幡p.142)

 どうです。これもわかりやすいと思いませんか。
 反論の方は、ひいき目が働くのでアレですが、賃金が実質的に下がっていく効果についてわかりやすく説明されていると思います。


小幡の本の難点

 小幡の本の難点は、過去の円安のシナリオを検証している部分が一つ。これは初学者には難しいんですね。結論だけ知りたい人は、ここを飛ばして読んでもいいと思います。
 もう一つは、国債の暴落の危険を論じているところです。
 国債が暴落するかどうかは、その可能性があることはありますが、それ一点張りになると(いや、小幡は「一点張り」ではないのですが)、「オオカミがきた」みたいにとらえられてしまいます。そのあたりは「理論的にはそういう危険性もあるのだな」と押さえておくくらいでいいんじゃないかと思います。


 リフレの代わりに何をするか、という対案も説得力が弱いと思います。
 小幡は結局、円安にして外国とコスト競争するような考えは古いというわけですが、じゃあその代わりにどうするのかということになると、人的資本の充実だとしています。でも、こういう働き方ができるのはおそらく一部の人だけで、一国全体を牽引していくにはどうしたらいいかはもっと考えないといけないことがあると思います。


 まあ、でもそのことを論じるには、分量が少なすぎると思います。
 とにかく、わかりやすくアベノミクス、というかリフレを理解するには、ぼくが読んだなかではこれほどの本はありませんでした。リフレ政策に賛成反対か別にして、考え方をまず知るにはこの本はとてもいいと思います。リフレ派はもうちょっと目線を低くしてこの小幡本に学んだ方がいいでしょう。


 ところで、こういう本の紹介をしていると、とりわけアベノミクス礼賛派の方々がむきになって批判してこられます。コメントされるのはご自由ですが、わかりやすいかどうかを見ているだけなので、ひとつ冷静に。

*1:「資本家」という意味です。