岩田規久男『リフレは正しい』


リフレは正しい アベノミクスで復活する日本経済 ひきつづき、アベノミクス本の紹介です。
 今回はリフレ派の本、岩田規久男の『リフレは正しい』(PHP)です。
 岩田は、いまや日銀副総裁になった人で、日銀におけるアベノミクスの実行者です。

がんばって書いたけど、やっぱり学者的

 岩田のこの本は、タイトルからして、前回紹介した、小幡の『リフレはヤバい』を意識しています。『リフレはヤバい』は反リフレの啓蒙的位置づけを担ってますが、本書もリフレの啓蒙的位置づけを担っています。つまり、初心者向けです。


 ひとことでいうと、かなりがんばって書いたけども、目線は小幡に比べてやっぱり高いいかにも学者の書いた入門書、という感じです。でも、基本点をできるだけわかりやすく書こうとした努力はかなり認められますし、批判にも反論しています。アベノミクスの考え方が一通りはわかるでしょう。

リフレ政策の核心=デフレ予想を変えさせる

 たとえば、岩田は「アベノミクスの金融政策の基本原則」(岩田p.68)というページで、次のように書いています。

 まず、なぜデフレになるのかを考えてみましょう。その理由はいたって簡単で、みんながデフレを予想するからです。これはトートロジー(同語反復)のようですが事実です。
 株価も、みんなが上がると思えば上がります。みんなが上がると思うから株を買い、買い手が増えれば株価は上がります。〔……〕
 みんなが同じ予想をすると、それが実現します。だから、予想というのは一方的に偏りすぎず、適度に散らばっているほうが経済は安定します。たとえば、インフレ予想が二%を中心に適度に散らばっていれば、実際のインフレ率も二%近辺で安定します。(岩田p.68-69)

 小幡のところでも紹介したように、インフレの空気をつくる、というのがこの政策の「基本原則」であり、核心なのです。この一文は、リフレ派側からのその核心点をわかりやすく書いています。


 小幡では、リフレの基本を、おカネの価値が下がっていき、ためこみをしなくなる、という点に重点がおかれていたのにたいし、岩田の本では、円安の醸成という点に重点がおかれています。岩田は、円高によって輸出を担う日本企業が苦しんでいたという話を書いたあとで、円高の元凶はデフレ予想、デフレになるという空気なんだとして、こう書きます。

 デフレ予想というのは円の購買力が上がると予想することです。そのため、円高になります。そして、それが輸出を抑制します。
 このような円高が続いていると、「他国の企業と競争できない」と判断し、シャープなどの企業がもっと海外に出ていくでしょう。その結果、国内産業が空洞化して雇用が失われます。それを防ぐためにはデフレをから脱却しなければなりません。そのためには、デフレ予想を覆さなければなりません。(岩田p.70)

 大切なのは、金融政策を変えることです。円の価値を適正水準まで下げること――すなわちデフレから脱却する金融政策が必要なのです。(岩田同前)

 まず、この円高・円安で輸出が強くなる・弱くなる、という理屈は、初心者が苦手とするところです。さらにいえば、金融緩和するとどうして円の「購買力」が変わるのか、そのあたりもよくわからないという人が多いでしょう。
 金利が上がるとか下がるというのもそうなんですが、そういう感覚がすっと入って来ないので、初心者は疲れ切ってしまいます。西日本新聞に「円安になったので、これで日用品が安く買えるようになる」と勘違いしている消費者の話が紹介されていましたが、そんなものです。

「金融緩和→インフレ期待」の初心者的説明はとぼしい

 さて、シロウトにとって知りたいことは、(1)金融緩和でなぜインフレを期待するようになるのか、(2)インフレへの期待からなぜ株高や円安が起きるのか、(3)株高や円安はどういう径路でぼくらの賃金を引き上げてくれるのか、ということです。


 (1)の金融緩和について書いた文章はいろいろあるのですが、この理屈をやさしく、きちんと説明している箇所は見当たりません。最初の方にでてくる金融緩和の意義の説明はこうです。

第一の矢である「大胆な金融緩和政策」の役割は、需要を増やしてデフレギャップを埋め、それによって実際の実質GDP潜在的GDPまで引き上げ、潜在的GDPの径路を踏み外さないようにすることです。(岩田p.20)

 わかりますか。全然わかりませんね。もちろん、この文章の前後に実質GDP潜在的GDPの説明はあるので、その部分はわかるとしても、金融緩和政策がなぜこうした引き上げを実現するのかが読んでいてもわからないのです。
 (1)はあんまりにも専門家には当たり前すぎてスルーされている、といった印象です。

「インフレ期待→株高・円安」の説明は一応ある

 では(2)はどうでしょうか。
 これもいくつかの箇所で説明らしきものはあります。
 たとえばp.90。ここでは、「予想インフレ率が二ポイント上がると、一八・四円の円安になるわけです」とあるだけです。
 平たく言うと“インフレになりそうだという期待が盛り上がると、過去のデータではこれまで円安の方にむかうんですわ”ということです。つまりこの部分は論理ではなく、データでそうなっていますよ、というふうにしか書いてありません。その直後には円安が実際にインフレを引き起こす流れが書いてあるのですが、これは次の段階の話です。


 ようやく出てくるのはp.146です。

インフレが予想されると円の購買力が減りますから、外貨預金にしたほうが得だということになり、その結果、円安になります。(岩田p.146)

 一応書いてありますが、非常にぶっきらぼうです。たぶんシロウトには、「インフレが予想されると円の購買力が減りますから」で頭がぼーっとなり、「外貨預金にしたほうが得だということになり」で手足が痙攣しはじめ、「その結果、円安になります」で死にます。困りましたね。
 わかったとしてもこれが出てくるのは、全体200ページちょいの中の146ページ目。遅すぎです。


 株高の方はどうでしょうか。

予想インフレ率が上がると、今まで預金しかしなかった人が、株式はインフレヘッジになると考えて株式を買い始めます。その結果、株価が上がります。(岩田p.92)

 「インフレヘッジ」が全体の分かりやすさを殺しています。がんばって超えるしかありません。
 インフレはおカネの価値が下がっていきます。だから、預金のままにしてあまり利子もつかないまま放っておくと、どんどんおカネの価値が目減りしていく。そこで、もっともうかるところはないかと株式などに流れ出ていく……という意味です。


 難しいけど、一応理屈は書いてあります。
 実際にいま、円安と株高は起きています。だから「アベノミクスで円安と株高は起きる」というのは疑いようもなく実現したというわけですが、実際には、それがこの理屈通りの径路で起きているのではない、ということです。
 いま、岩田が説明したようなことを「こんなふうになるんじゃないかな」という思惑をもって、外国の投機資金が流れ込んできて、円安も株高も、起こされています。別に、経済主体であるぼくら国民がそんなふうに「インフレヘッジ」をしようとしてやっているわけではないのです。


 いやいや、どうも個人投資家がどんどん株を買い出しているそうじゃないか、とかそういう話はいろいろあります。岩田はこのあたりについては少していねいに書いています。

 我々は、テレビやラジオのニュースを見聞きしても、新聞や雑誌を読んだとしても、なかなか気がつきませんが、投資家は景気の動向や経済政策に非常に敏感な嗅覚をもっています。どこかで、すごいエネルギーが開発されたとか、新しい薬が研究されているといった情報をキャッチすると、必ずそういう会社の株価は上がります。
 ところが普通の人は、後になってから「あっ、そうだったのか」と気づきますから、およそ「先物買い」とは縁がありません。
 それでも、少しずつ上がっていることに気づくと、「まだまだ上がるのではないか……」と思って、後追いで買うようになります。
 実は、それでも一向にかまいません。なぜなら、そうした動きが徐々に広まり、社会全体に浸透していけば、市況が活発になるからです。(岩田p.148)

 実体経済がすばやく動いてそうなっているのではなくて、敏感な人たちの思惑の交錯が今のところ経済をリードしている、ということです。

アベノミクスでどう賃上げを起こすのか

 さて、株高や円安が実体経済に合っているかどうかはおくとしても、(3)のように、それが賃上げにつながるのかどうかが大事なところではないでしょうか。
 岩田はそのあたりをどう説明してくれるのでしょうか。

日本の企業は他企業や金融機関の株式を持っていますから、株価が上がると、そのバランスシートがよくなり、純資産が増えて、倒産リスクが低下するため、設備投資などが積極的になります。(岩田p.92)

 それだけではありません。予想インフレ率が上がると、予想実質金利は下がります〔……〕。予想実質金利とは、名目金利から予想インフレ率を引いたもので、設備投資や住宅投資の実質的なコストを意味します。したがって、予想インフレ率が上昇して、予想実質金利が下がると、設備投資や住宅投資が増えます(岩田p.94)

 円安や株価の上昇が起こると、企業は余っているお金を生産の拡大や設備投資に回し始めます。バランスシートもよくなりますから設備投資が可能になり、また、リスクもとりやすいので積極的な経営を行なうようになります。
 さらに、輸出も伸びますから、生産が増え、所得も増えます。それによって、消費も増え、やがて供給が追いつかなくなると物価が上がりはじめます。(岩田p.146)

 2番目の引用文章とか結構むずかしいですよね。これは、前回の記事で紹介した小幡の次の指摘で理解した方がわかりやすいでしょう。

 インフレが起きるという期待が形成された時点で、人々の行動、投資行動も消費行動も変わります。インフレが将来起きる前提で、投資をすることになります。
 たとえば、インフレになるのだから、名目の価格が上がりますから、製品の売上高は単価が上がるのだから、将来増えます。今借金の契約をすれば、借金の名目額と、名目の金利は、今の水準に決まります。今の水準が、インフレを織り込んでないとすると、低い金利のままですから、今直ちに契約しておくのが得だ、ということになります。
 住宅ローンだったら、金利が上がる前に、今契約してしまえ。家も今買ってしまえ。現金を持っているのは損だ。インフレで目減りする。それなら、今のうちに家はもちろん、ありとあらゆるモノを買っておけ、ということになります。(小幡『リフレはヤバい』p.32)

 さて、それにしても、ここでの理屈は“株高で資産がふえたから、倒産とかいろんな心配をせずに、がまんしていた設備投資をできるようになる”、という前提になっています。
 でも、素朴なシロウトは、あるいはぼくのような左翼は、こう思うのです。「うーん、国民の側にあんまりおカネがないから、消費に結びつかないんであって、そこをそのままにして、設備投資してうまくいくの?」「まずは賃上げじゃないの?」。

「賃銀下落はデフレの原因ではない」

 この論点にかかわって、岩田は2点ほど反論しています。
 

 一つは、賃金下落はデフレの原因ではない、という主張です。


 しかし、日本では、賃金が下がる前にデフレが始まっています。企業はデフレのために賃金を下げないと雇用を維持できないのです。最初にデフレがあるからそうなったのであって、賃金が低かったからデフレになったわけではありません。(岩田p.79)

 岩田は「日本では、賃金が下がる前にデフレが始まっています」と一言で切って捨てていますが、名目GDPが下がりはじめたのが1998年、日銀がデフレを認めたのは1999年ごろからです。雇用者報酬の低下は1998年からです。岩田の抗弁はいかにも苦しいと思います。

「デフレを止めて、企業の雇用需要を増やし、労働市場を売り手市場にするしかない」

 もう一つは、賃金は政治の力ではどうしようもない、という主張です。

 生産年齢人口減少デフレ説を唱える人は、「賃金を引き上げよ」と言いますが、最低賃金を決めてこれ以上下げないようにと政府が命令することはくらいしかできません。賃金というのは市場の原理で決まるものです。「もっと賃金を高くしろ」と企業に強制すれば、失業者が増えるだけです。賃金を上げるには、とにかくデフレを止めて、企業の雇用需要を増やし、労働市場を売り手市場にするしかないのです。(岩田p.81、強調は引用者)

 あっ、ここに出てきますね。アベノミクスで賃金を上げるしくみが。


 金融緩和→円安・株高→設備投資増→雇用需要増→賃金増


…といったところでしょうか。
 なるほど。これはこれで一理あります。
 でも、たとえば最近、2000年代半ばにものすごく好景気になって、株高と円安になって企業の利益も急激にのびた時代がありましたよね。あの時期、設備投資も伸びず、賃金も上がりませんでした。あれはどうしてなんでしょう。という疑問がふっとわきあがってきます。


 リフレ派の人たちの理屈は、このように何段階かの矢印を重ねる、「風が吹くと桶屋がもうかる」的な印象をうけてしまうのですが、実感に照らすと「うん?」と思ってしまう部分がいろいろあります。
「円安で単純に輸出産業の設備投資や国内雇用が増えるのかなあ」
「株高でバランスシートがよくなれば設備投資にむかうのかなあ」
などです。
 だけど、そういう細かい径路は実はどうでもいいことなのかもしれません。こまけぇこたぁいいんだよ!!
 きっと大切なのは、「インフレになるだろう」という空気を醸成することなのです。
 おカネの価値を下げることで、おカネなんか後生大事に持っていてもしょうがない……と価値観を革命してもらうことが目的なんですよね。
 さっき、ぼくは「国民の側におカネがないからモノを買えないのだ」といいましたが、それはいかにもサヨク的な世界観だと言われるかもしれません。アベノミクス派からみると、階層の区分けは別にして、国民はいっぱい貯め込んでいるのです。そのリスみたいな行動様式をやめさせて、カネを吐き出させること、そのためにインフレを起こすんだ、というふうに考えているとすれば、賃上げのことなんか大して考えていなくても不思議ではありません。

試験が難しいから保育士が足りないの?

 ただ、やはり、岩田の認識っていうのは、本当に現実を見ているのかな、と疑いたくなるような箇所に出会うのもまた事実です。
 この岩田の本を使って、サヨ仲間で学習会をしたとき、一番憤激が起きたのは次の箇所でした。アベノミクスの第三の矢にかかわって、規制緩和について論じたところです。

 たとえば介護や保育はどうでしょうか。この分野はまだ規制緩和が進んでいません。逆にいえば、他の分野で失敗した人が入っていける余地があるということです。
 もうこれ以上の需要がないのでは? と考えている人もいるかもしれません。現状ではそうかもしれませんが、それは需要がないのではなく、お金を出せる人がいないだけです。「子供を預かってもらいたいが、お金を出せない」ということです。要するに、潜在需要はあるということです。このような層は、成長率が上がればお金を出せるようになります。そうなると需要が出てきます。
 現状では、介護士や保育士の試験はけっこう難しいようで、その分野に入っていくためには高いハードルを越えなくてはなりません。難しい試験に合格した人を置かないと介護施設保育所を開業できません。要するに、参入規制しているわけで、このあたりも規制緩和で参入ハードルを低くすれば、他の分野で失敗した人や失業した人も入っていきやすくなります。(岩田p.156)


 保育園が足りず待機児童が多いのは、保育士の試験が難しいせいでしょうか? 試験を簡単にしてだれでもとれる資格にして、安い人件費でやればいっぱいふやせるという意味でしょうか。いま保育士は半分くらいが非正規です。労組が実態調査をしていたのを見たことがありますが、「月7万円で病院をがまんしている」なんていう話がゴロゴロあります。これ以上下げてどないせいっていうんでしょうか。
 それともあれですか。ホンキで、単純に試験が難しくて保育士が不足している、とお思いなのでしょうか。保育士の資格をもつ人はたくさんいるけど、出てこない。それに見合う賃金がないからです。だから、保育士を集めるために、国は保育士等処遇改善臨時特例事業とかなんとかいって、賃上げして人を集めようとしているんじゃないですか。何言ってんだか。


 それと、「子供を預かってもらいたいが、お金を出せない」というのも今ひとつ意味がよくわかりません。いま待機児がパンク状態なのは、潜在需要っていう話もあるんですけど、あふれる需要が目の前にある状態になっています。個々の親が「おカネを出せない」とかいう話じゃないんですよね。
 仮にこれを「認可ではなく、認可外や認証保育でもいいから預かってほしいけど、高くて預けられない」という意味にとったとして、おカネがあればそちらに回るでしょうか。まあ、一定数は回るでしょう。認可よりもがんばっている認可外園ってありますから。
 でも、このグラフみてもわかるとおり、親が望んでいるのは、認可園なんです。それをどう増やすかって話でしょう。
 そのさい、横浜のように「企業参入で認可園をふやせ」っていう主張なら、わかります。いや、ぼくはその主張には慎重ですけど、主張自体は現実にかみあっています。
 でも「保育士の試験をカンタンにしろ」とか「おカネが出せないから需要が見えてない」っていうのは、ホントにこの人は現実を知ってんの? とか思っちゃいます。


 ああ、結局リフレ派の悪口ですね。すいません。