こういう人のもとでは働きたくないなあ

 2月22日に福岡国際会議場で新卒者むけの「会社合同説明会」があって、福岡市の高島宗一郎市長が、福岡市役所への就職希望者にむけて講演をした。なぜかそれを聞くハメになり、聞いた。*1

 高島市長はこの10月に自民・公明の応援で当選した、KBCのアナウンサー出身の36歳だ。ちなみに祖父は豊後高田市の市長、父もアナウンサーである。

 福岡市に就職してもらうためにトップとして話をするはずの企画なんだろうけど、講演の大半は自分が放送局に受かりまくった体験にもとづく「就職活動セミナー」みたいな話になっていた。

一番の努力の無意味さ

 この中で一番になる努力をしている人は?
(だれも手を挙げない)
 いないの? 君らには落ちても悔しがる権利はないよ。

 他の都市の連中に絶対負けるな。
 俺はキー局(の就職試験)は通らんやった。だから(面接での受け答えの)展開を変えることを試みた。ブラッシュアップさせた。5社で3回、計15回、面接うけたよな。日テレがダメで、そのあと反省してブラッシュアップされた俺がKBCの面接にきて、面接会場見回したとき「ああ、敵はほとんどいないな」って思ったよ。
 この会場だけじゃなくて、同世代の人がすべてライバル。誰にも負けない努力が要るんだよ。


 「一番になる努力」っていうのは、日本の中の同世代の就職活動中のやつのなかで一番、っていう意味に読み取れる。

 昔、半年計画たてようとしたけど立てられんかった。しかし半年は1日の積み重ねなんだよね。「1日一生」というつもりで1日1日を完全燃焼する。限界までやったんだよ。そしてバタッと寝る。毎日の自分の限界に挑む。だからやりかたくないことがでてきたときは大変。「サザエさん」のジャンケンだって利用したよ。これで勝ったら次の行動やる!とか自分ルールを決めてさ。

 こういう抽象的かつ無内容な量的努力を求める人が上司・トップになると本当に怖い。過労死する職場とか、こんな感じじゃないのか。

 就職活動というのは、自分という労働力商品について、「ターゲットとする相手に購買意欲を引き起こさせ、実際に購買の契約に至る」というのが目標なんだから、それが達成できればどんなに省エネだってかまわないはずだ。目的遂行のために淡々と努力すれば良い。

 たとえば新しいヒゲソリを売るために「他社に負けない努力してんのかオラー」「お前らの構えがなってない」と怒鳴る上司みたいなもんで、何の役にも立たない。役に立たないどころか、無駄にエネルギーを消尽させ次々と部下を倒れさせるという点で有害きわまる。
 やることは、新しいヒゲソリの特性を開発部門とよくうちあわせてつかみ、それがどういう客に売れるのかをよく研究することだけだろう。ほしがっている客のイメージが明確になれば、売る場所も売り出し方もおのずと決まってくる。出すべきエネルギー量はそのことに従属しているはずだ。

 実は高島市長は別の場所で、就職というものの極意について触れている。

 就活っていうのは、「あなたといっしょに仕事をしたい」というふうに思ってもらえるかどうかだ。

 これは正しい。まったくそのとおりで、努力はそのために行われるべきだ。*2
 高島市長はこの後に続けて、自分もアナウンサーとして放送局にいたとき面接官をやったという体験を話しているように、その会社の現場労働者が「こいつと仕事したい」と思ってもらえればいいわけで、そういう場合の努力というのは、会社研究や業界分析もいいけども、その会社や業界にいる人に話を聞くというのが手っ取り早い。
 たとえば、エステ業界なら「エステ」という公式に掲げている事業や大義はあるだろうけど、現場労働者が日常的にどんな作業に追われているのか、何を負担に思っているのかは見えてこない。毎日毎日実際にはタオルを運搬するような仕事をしたり、客集めにチラシ配布ばかりしているかもしれない。そのことが公式に掲げる事業や大義とどんなふうに結びついているのか、そこに何か面白さややりがいを見出せるかがカギになる。
 あるいはそういう人たちの不満や問題意識を聞くことで、どういう人をほしがっているのか、どういう職場の雰囲気になっているのかをつかむこともできる。

 ソフィスティケイトされて、パッケージにされた「会社研究」「業界分析」からはなかなか「あなたといっしょに仕事したい」というイメージはわきにくい。具体的な「人」を目の前におくことで、「その人」といっしょに仕事をするイメージをつかむべきなのだ。


相手が何を欲しがっているかを知る

 はてなブックマークを集めたエントリで次のようなものがあるが、

東大生による就職活動論 - ignorant of the world -散在思考- 東大生による就職活動論 - ignorant of the world -散在思考-

Q1.なぜ「あなたは」この会社に入りたいのか?
Q2.なぜ会社は「あなたを」採用する必要があるのか?


という二つの問いに備えよ、とこのエントリは書いている。
 前者には自己分析、後者には会社・業界分析が対応するのだろう。
 ただ、自己分析というのは、ぼくから言わせると、それ自体でつきつめていっても「自分探し」に似ていて、あまり意味がない。「どんな人に自分の労働力商品を買ってもらいたいか」というイメージ、つまり後者のイメージができて、はじめて、自分の売り出しポイントが定まってくるし、自分という労働力商品のプレゼンをどうブラッシュアップするのかということも軸が決まる。まあ、まったく知らないではできないだろうから、一通りの「自己分析」をしたら、あまりそこには時間をかけず、「相手」がどのような存在で、どんなことを欲しているかをイメージすることに時間をかけた方がいい。


「自分が競争して勝つ」という世界観 競争か協同か


 話を元に戻すけど、「一番になる努力」というのは、壮大に無意味なことだ。
 高島市長がここで披瀝している世界観というのは、自分以外は敵(ライバル)であり、そことの闘争に打ち勝つ努力をぶっ倒れるまですべき、というようなものだろう。
 彼の話は、いかに自分が努力して内定を得たか、ということで満たされている。

 俺は大学3年から準備したよ。大学は獨協大の推薦入学だった。そこで中東とか行く国際関係のサークルをやった。で、外国行くんだけど東大のやつとかがやっぱり出先では東大だってことで声かけられる。(学歴が幅を利かせていて)悔しかった。
 でも(「学歴がないから」とか)「俺はやればできるんだ」なんていう言い訳の人生はしたくなかった。「本当はやればできたのに…」とかいうのは嫌だ。だから就職ではリスクが大きくてもトライした。その覚悟があった。1000人から1人しか選ばれないならその1人にならなくちゃ。絶対つかむ。
 放送局、いっぱい受かった。青森放送局、千葉テレビKBC…。合格したら学歴とか全然関係なかったよ。青森なんか行ったこともなかった。コネもなかった。いっしょに最終(面接)に残った人は5大学に行っているような人ばかりだったよ。その中に俺がいたわけ。
 やることは1つだけ。やるしかない。

 高島市長は、自分の力で放送局への就職をかちとり、そこでに人気アナウンサーの地位をもぎとり、そして今や政令指定都市の市長の座まで獲得した、そういう自負があるのだろう。
 自分以外は闘争相手であり、その全てに打ち勝つ、果てしない努力をおこなうように求めている。

 他方でぼくが求める就職活動観というものは、会社で面接をする現場労働者にむかって、「いっしょに仕事したい」と思ってもらえることであり、その目標達成のために必要な、限定された努力である。そしてその目標達成のためにはいろんな人に協力してもらうべきである。

 「競争」と「協同」は人間の営為のなかで不可欠な二つの契機であるけども、ぼくにとっては前者が人間の能力を引き出すというのはきわめて限定的・条件的だと思える。不要とは思わないが。
 スポーツだって、「無数のライバルたちとの孤独な闘い」という世界像なのか、「自分の課題を見出し、その課題克服に必要な協力を得る」という世界像なのかでずいぶんと違ってくる。すぐれたアスリートが語る抱負はほとんど後者ではないか。


高島市長は何を話すべきだったのか

 さて、高島市長がこのセミナーですべき話は本来こんな「就職活動の仕方」みたいなことではなかったはずだ。
 彼は福岡市のトップリクルーターとして、福岡市にどんな仕事があるから、どんな人材に来てほしいのかを語らねばならなかったはずである。

 少しは話している。

 安定を求める人は来ないで。チャレンジする人といっしょに仕事したい。

 そのわりには、金銭条件的なこんな発言もしているのだが。

 議会じゃないから忌憚なく話するけど、(この就職活動の結果で)今度いく焼き肉屋変わるぜ? どういうランクに行く焼き肉屋とか、ここで決まるんだよ。いやホント。議会じゃないから忌憚なく話するけど。君ら受験勉強を一生懸命したかもしれないけど、(就職活動っていうのはその)何倍も大きな意味があるんだよ。受験は数年のことじゃん。どんな大学行っても関係ないの。でも就職は一生決めるよ。年金の額とか。男に言っとくけど、結婚してもらえんで。まじで。女とかも、めぐりあう男かわってくるぜ。

 「安定を求める人は来ないで」という言葉を、高島市長の立場で解釈すれば、「雇用の安定や労働条件のよさのみに注目して、働こうとしない人は来ないで」という意味だろう。

 だけど、就職という雇用の場において、これから労働者になる「安定」を求めるのは当たり前のことだ。とりわけ福岡市をはじめとして昨今、有期で生活保護以下で働かせる「官製ワーキングプア」を大量に作り出している自治体のトップが言うべき言葉ではない。
 そもそも「働こうとしない人」「チャレンジしない人」は福岡市の責任において採らなければよいだけなのだから、言う必要など何もない。むしろ公務員が仮に「好条件」であるなら、それをエサにして「優秀な人材」を集めるべきだろう。

 そして「優秀な人材」を集めるには、そんなどうでもいい「就職活動の仕方」みたいな話をトップがいい気になって喋り倒すのではなく、福岡市がどんな仕事をしているのか、どんな人材を求めているのかをしゃべるべきだった。

 いや、多少は語っている。

 市長になって楽しいよ。いろんなことできるし。
 区役所みたいな見えないところを支える仕事もあれば、国際戦略とか企業誘致みたいな仕事もある。いろいろあって、クリエイティブだ。

 しかし、この中で市長が少しでも具体的に語ったのは後者の部分なのだ。

 市はいまめちゃめちゃ大事なところだ。もう内需を期待したりできないし、高齢化もすすむ。だからアジアの活力をとりこんでいかないとダメなんだ。船便でいくとアジアに一番近いのが福岡。釜山とも近い。国境を越えた経済圏をめざす。これがモデルケースとして成功したら東京と大阪もマネする。世界に先駆けるんだよ。
 新しいものをクリエイトしないと俺は燃えない。他の人がやっていることをやっても意味ないもん。
 道州制だって、九州は道州制にしても議論進んでるし、実現可能性高い。中国地方とかいっても一体感ないやろ? 九州はすでに島だし、「九州」という括りで昔からあるし。
 新しい国の在り方もここで考えるんだよ。

 高島市長のスローガンは「アジアナンバーワンの都市をめざす」である。
http://s-takashima.com/action/takashimavision.pdf
http://www.youtube.com/watch?v=PFYCSB2G7TA

 議会ではその中身を問われていろんなことを言ってるけども、結局「アジアの活力をとりこむ」=「成長するアジア諸国のヒト・モノ・カネをとりこむ」という意味なのだろう。

 すでに輸出型大企業は「アジアの活力」をとりこんでいる。しかし、それは社会にはあまり還元されず、内部留保となって積み重なっている。他方で雇用者報酬は落ち込んでいる。福岡市の1人あたりの雇用者報酬は10年間で77万円も引き下がっているのだ。だとすれば、自治体が緊急にすべきなのは、とりこまれつつある「活力」を市民に還元し、還流し、循環させるシステムづくりなのではないか。

 高島市長は、新年度予算案で、人工島事業に156億円もつぎ込んでいる。人工島事業は市が巨費を投じて埋立をおこないそこを売って採算をとるという事業だが、土地はさっぱり売れない。アジアとの経済交流の拠点としてコンテナの取扱量が増えていると喜んでいる。しかしやってくるコンテナは増えても、人工島の土地はまったく売れないのだ。「みなとづくりエリア」で売り出している5.1ha区画の土地は1年前から「売れる売れる今にも売れる」と議会答弁をくり返しながらまったく売れない。

「現在、複数の企業と協議をすすめている」(2009年12月答弁)
「現在、複数の事業者と具体的な協議を行なっており…アイランドシティへの進出に前向きに検討している企業がある」(2010年3月答弁)
「現在、複数の事業者と具体的な協議を行なっている」(2010年10月答弁)
「協議に時間を要している」(2011年2月答弁)

 会社の営業が会議のたびに「売れます売れます。いやもう今回はハンコ忘れただけですから。ええもうすぐ成約です」って1年ずっと言ってたら、その事業はリストラされるだろ。まあ、それはともかく。

 まあ、「福岡市の課題」を何に設定するかというのは、市長の権利だから、好きにやればよい。高島市長は、その課題をアジアの活力をとりこむ戦略づくりだとして、その仕事をいっしょにやりたい、と言ったわけだ。

 しかし、どう考えても、自治体というものの仕事が多岐にわたっている以上、アジア戦略と道州制だけを仕事として提示するわけにはいかないだろう。高島がちらりと触れたが、「区役所の仕事」のようなものをふくめて、どんな人材がほしいのかを高島市長は提示する責任があったはずである。

 ベタなイメージの提示としては、事なかれ主義だった小役人が自分の死期を悟って住民のための公園づくりに邁進した黒沢映画の「生きる」的な公務員像もあるだろう。民間の感覚を知ってお役所主義を批判するようになった小説・映画「県庁の星」のような公務員像もあるだろう。

『県庁の星』書評 - 紙屋研究所
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/kencho-no-hoshi.html

 もちろん、住民と直接接する仕事だけでは自治体は回らない。「何をするにもヒトが必要だし、カネがいる。そのためには税収を上げて、カネが回るようにするしくみをつくり、戦略をつくる人材がいる」ということで、アジア戦略うんぬんを話すということはあり得た。

 高島市長は、憲法が定める「全体の奉仕者」としての公務員像を、抽象的にではなく、「具体的イメージ」とともに示す必要があったのだ。
 安定を欲する人は来ないでほしい、というのではなく、公務員というものが仮に「好条件」だとするのであれば、その「好条件」を最大限に生かして、どういう人材に来てほしいか、どんな人といっしょに仕事をしたいのか、高島市長はアピールすべきであったはずだ。なんで延々と自分の就職体験自慢話をしているんだろうか。

*1:以下の市長の発言は、ぼくのメモなので、文責はぼくによるものである。言葉の細部にわたって市長がこう発言したと確言できるものではない。

*2:高島市長の講演は、この目的遂行のための「一番の努力」を求めているという具合に一貫した主張をしているふうにも読めるが、ぼくの見方は「一番を求める努力」のようなマッチョな高島市長と就職活動でのリアルにふれるときは「リアル」になっているというかんじで「分裂」していると見る。